遅咲きの新年御挨拶
あけましておめでとうございます。会員のカトケンです。 少し時間が空いてしまったが、昨年最後の行事、11/27春日局ゆかりの地をめぐるオフ会を無事終えた。参加は13名、来てくださった方の一体感があって楽しく案内ができた。 お寺では、パンフレットを用意してくださり、こちらからお願いしたわけではなかったが、御朱印を受け付けてくださって、書いておくので帰りに寄ってくださいとの粋な計らいーー...
View Article年頭のあいさつと謎の墓
お二人から遅れてしまいましたが、新年あけましておめでとうございます。 会員のクロサカです。 本年もあまり知られていないお墓を紹介していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。 さて、2017年最初の投稿です! 昨年行われた麟祥院オフ会の事前準備として、当会員カトケンさんと文京区動坂近くの養源寺を中心に周辺調査を行いました。 その際に発見した「謎」の墓を紹介したいと思います。...
View Article初代蝦夷奉行羽太安芸守正養の墓
会員のカネコです。 昨年末、ロシアのプーチン大統領来日でにわかに北方領土が注目を浴びましたが、北方四島をはじめ、樺太・千島列島が日本の領土になった経緯というものはもう一度理解するべきなのではないかと思いました。 その中で出会ったのが今回紹介する初代蝦夷奉行羽太(はぶと)安芸守正養です。...
View Article間宮豊前守信盛の墓-間宮林蔵の先祖考-
会員のカネコです。 京急川崎駅の下りホームを降り、左側に目をやると、寺院墓地が広がっています。 これは曹洞宗瑞龍山宗三寺の墓地です。 私は日々この風景を見ながら出勤しています。 この墓地の京急寄りの壁際に間宮豊前守信盛の墓碑があります。...
View Article第14回巡墓会「深川巡墓会~江戸の始まりと幕末黎明期の群像~」開催のお知らせ
会員のカネコです。 探墓巡礼顕彰会では、第14回目となる巡墓会を5月14日(日)深川近辺の寺院にて行うことになりました。 深川近辺の寺院に眠る主に江戸初期と三大改革期の人物の墓参を行い、その事蹟を解説いたします。 皆さまのご参加をお待ちしております。 開催要項は以下のとおりです。 ■開催要項 ★日時 平成29年5月14日(日)雨天決行 12:30 地下鉄清澄白河駅A3出口にて受付開始 13:00...
View Article桑名照源寺にある楽翁公の墓
会員のクロサカです。 再来月に迫ってきた深川巡墓会。 そこで、今回の巡墓人物の目玉の一人、松平定信のもう一つのお墓について、簡単に紹介したいと思います。 松平定信のお墓は、深川の寺町の一角、霊巌寺にあります。国指定史跡にも指定されており、歴史好きの方ならご存知の方も多いと思います。 しかし、定信の墓が松平家の領地だった三重県桑名に建立されているというのは、あまり知られていないかもしれません。...
View Article先祖への旅を続けながら江戸と京都を楽しむ
今年に入ってからわが先祖の住まいを3ヶ所回った。 いずれも赤坂・六本木 六本木の1ヶ所が分からなくてうちが住んでた後に住まいとしていた家を調べたらすぐ出てきた。 東京へ出てきて最初に働いた職場からそう遠くなく、よく散歩がてら歩いた場所だった。 かつて麻布市兵衛町と呼ばれたところで、今もある御組坂の東側である。 ちなみに赤坂はこんな具合になっている。 (薬研坂) (今井谷)...
View Articleエトロフ(択捉)島の戸田亦太夫の墓
会員のカネコです。 当ブログでは会員が実際に行ったことがあるお墓を紹介していますが、今回は行ったことがない、否、行けないお墓を紹介します。 少し前に投稿した初代蝦夷奉行羽太安芸守正養の墓の中で、羽太正養が奉行職を解かれる理由となった文化4年(1807)にロシアがエトロフ(択捉)島を襲撃した文化露寇について触れました。 この時にシャナ(紗那)会所を守っていたのが幕府の役人であった戸田亦太夫です。...
View Article先祖と将軍の生母を追いかける
会員のカトケンです。 京都から帰って1週間。この勢いで一気に怒濤の掃苔計画を敢行。 まずは浅草から。先祖を調べながら土曜午後6時過ぎからテレビでやっていた《忠臣蔵の恋》を見て、先祖が仕えた桜田御殿が出てくるのがうれしくて主役月光院の実家の菩提寺唯念寺を訪ねる。 実父はこの寺の僧侶だといい、墓があるか小さな墓域をくまなく回ったが、歴代住職の墓は「当寺代の墓」にひとまとめになっていた。...
View Article間宮の里を行く-続・間宮林蔵先祖考-
会員のカネコです。 以前、間宮林蔵の先祖考として、間宮豊前守信盛の墓について書きました。 間宮豊前守信盛の墓-間宮林蔵の先祖考- 間宮豊前守信盛は川崎に居館を構えていましたが、その子信元は現在の横浜市港南区港南・洋光台・笹下に跨る笹下城に居城を移しました。 その後、この笹下城の一帯は間宮氏の本拠地として江戸時代に至るまで間宮氏一族との関係を保っていきます。...
View Article間宮氏研究余滴-火盗改間宮友三郎光徳-
会員のカネコです。 ここ数回にわたり間宮林蔵の先祖と考えられる小田原北条氏家臣間宮氏一族について書きましたが、間宮氏一族の中からは火附盗賊改を勤めた人物がいます。 我々の師である釣洋一先生著『江戸刑事人名事典』には次のように書かれています。 間宮友三郎光徳...
View Article間宮林蔵の故郷を行く
会員のカネコです、 昨日は来月の深川巡墓会で解説する間宮林蔵の生誕地であるつくばみらい市上平柳へ行ってきました。 取手駅からバスで30分ほどの所にある上平柳。バス停を降りると田園風景が一面に広がっていました。 林蔵の生家に隣接して間宮林蔵記念館があり、林蔵の愛用品や蝦夷図、北蝦夷地図などが展示されており、林蔵の業績がよく理解できる内容になっています。...
View Article第14回巡墓会「深川巡墓会~江戸の始まりと幕末黎明期の群像~」迫る(開催要項一部変更あり)
会員のカネコです。 第14回巡墓会「深川巡墓会~江戸の始まりと幕末黎明期の群像~」が来週5月14日(日)に迫りました。 今回は深川近辺の寺院に眠る主に江戸初期と三大改革期の人物の墓参を行い、その事蹟を解説いたします。 鋭意準備中ですので、皆様のご参加お待ちしております。 開催要項は以下のとおりです。 ■開催要項 ★日時 平成29年5月14日(日)雨天決行 12:30...
View Article第14回巡墓会「深川巡墓会~江戸の始まりと幕末黎明期の群像~」を開催しました
会員のカネコです。 昨日、5月14日(日)に第14回巡墓会「深川巡墓会~江戸の始まりと幕末黎明期の群像~」を開催いたしました。 毎年この時期の巡墓会は初夏の暑さとなりますが、今回は曇り空で歩くにはちょうど良い気温となりました。 参加者27名(講師含む)の方にお集まり頂き、無事終了することが出来ました。 参加者の皆さまに厚く御礼申し上げます。 深川巡墓会にて解説した人物は以下の通りです。 霊巌寺...
View Article港区天徳寺と新宿区浄運寺
会員のカトケンです。 金曜に休みをもらい、3連休3日目となった5/21(日)、ようやく念願の桑名帰りの収穫確認と将軍生母の実家追跡の再調査に出た。 まずは都内港区芝にある天徳寺。この愛宕近辺は小弟が13年前に上京した折、働いていた場所である。 愛着のある場所で、昼に散歩しても入ったことのない寺院であったが、まず入って六角堂にお参りし、葵の御紋の灯籠が目に入る。...
View Article百聞は一見に如かずーー故郷で感じたこと
会員のカトケンです。 前回ブログで、この間の深川巡墓会に参加いただいた皆さんにお礼を忘れておりました。常連の方をはじめ、新しい方、久しぶりに来てくださった方、そして釣先生を世に送り出した編集者の方ーー 楽しい中にも緊張感のある墓案内となりました。ありがとうございました! さて、ここのとこ立て続けにふるさと静岡に帰省して、先祖の資料を収集したほか、久しぶりに大龍山臨済寺を訪れた。(=写真)...
View Article神奈川県立図書館で調べもの
会員のカトケンです。 この日は横浜へ行くと決めて、毎週のように通っていた図書館へ。 会員のカネコさんから鹿児島県史料集に伊皿子大円寺の過去帳があると聞き、調べたのです。 「薩陽過去帳」のタイトルですが、幕臣もかなり記述ーー土方八十郎やら坂井八郎右衛門やらがありました。 その中で興味深かったのは 調所笑左衛門の記述。こんな大物が葬られていたとは。今度の土曜、ぜひ足を運んでみたいと思います。...
View Article追跡調査 円十郎たちーー調所広郷と岩下方平
会員のカトケンです。 前回、杉並の大円寺に調所と岩下の墓があると思い、喜びいさんで出かけたところ、クロサカ幹事に前者は九品仏淨眞寺、後者は青山霊園だと知らされ、その後両所を訪問。...
View Article間宮林蔵の養子鉄次郎孝順の実家について
会員のカネコです。 5月に開催された深川巡墓会では間宮林蔵について解説しました。 レジュメでは林蔵の実績はもちろん、その出自に関しても詳細に記載しました。 その一部は先行して当ブログでも紹介しました。 本番の解説の際に口頭で訂正させて頂いたのですが、レジュメの記述に誤りがありました。 それは林蔵の養子で幕臣間宮家を相続した鉄次郎孝順の出自について「浅草蔵前の札差青柳家の二男」と書いたことです。...
View Article池上太郎左衛門幸豊研究余滴
会員のカネコです。 昨年行った池上本門寺の巡墓会で田沼意次のブレーンの一人、池上太郎左衛門幸豊を紹介しました。また、一昨年には当ブログにて下記の記事を書き、幸豊に関する簡単な紹介をいたしました。 池上太郎左衛門幸豊-田沼意次のブレーンとなった川崎の名士- 池上太郎左衛門幸豊は川崎では郷土の偉人として知られていますが、日本史の中央の流れから見ると無名に近い存在かと思います。...
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