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Channel: 探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-
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間宮林蔵の養子鉄次郎孝順の実家について

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会員のカネコです。
5月に開催された深川巡墓会では間宮林蔵について解説しました。
レジュメでは林蔵の実績はもちろん、その出自に関しても詳細に記載しました。
その一部は先行して当ブログでも紹介しました。

本番の解説の際に口頭で訂正させて頂いたのですが、レジュメの記述に誤りがありました。
それは林蔵の養子で幕臣間宮家を相続した鉄次郎孝順の出自について「浅草蔵前の札差青柳家の二男」と書いたことです。
この出典元は吉川弘文館の人物叢書『間宮林蔵』(洞富雄著 昭和35年(1960))です。インターネット上でもwikipediaの「間宮鉄二郎」のページに同様の記述があります。これは参考文献に人物叢書『間宮林蔵』が挙げられているので、これが元になっていると思います。

間宮鉄二郎

他にも新人物往来社『幕末維新大人名事典』、吉川弘文館『明治維新人名辞典』でも同様の記述があります。

これが何故誤りかと言うと、筑波書林『間宮林蔵の発見』(大谷恒彦 昭和57年(1982))に鉄次郎孝順の戸籍謄本の一部が載せあり、そこには「実父幕臣青柳繁右衛門亡二男」と書かれているのです。
札差は幕臣では無いはずだと思い、違和感を感じ調べてみると、江戸城多聞櫓で発見された古文書を翻刻した『江戸幕臣人名事典』には次のように書かれていました。
「浅草□町御蔵手代組頭青柳栄之助方同居 養父間宮林蔵死御普請役 実祖父青柳久左衛門死御蔵手代 実父青柳繁右衛門御蔵手代」



浅草の何町かは分かりませんが、浅草の幕臣青柳家が、浅草蔵前の有名な札差である青地家と混同された結果、浅草蔵前の青柳家となったのではないでしょうか?。青柳という札差はありませんし、そもそも札差は幕臣の身分ではありません。

さらに『特集人物往来3(2)』に鉄次郎孝順の子孫である間宮林栄氏が書いた「隠密探険家間宮林蔵の生涯―間宮海峡の発見者林蔵は幕府の隠密だった!碩学の意外な素顔」という記事があり、そこには「幕令に依り、御船蔵手代青柳栄之助の子鉄次郎が選ばれて間宮家の跡目を相続した。」とあり、やはり札差云々という記述はありません。
これは、人物叢書『間宮林蔵』で洞富雄氏が誤って書いたことが、その後引用され続けているということになるのではないかと思います。

そのようなことで、「浅草蔵前の札差青柳家の二男」は誤りであると判断しましました。
レジュメの訂正を兼ねて、訂正に至った経緯を解説いたしました。

鉄次郎の名も、鉄二郎と書かれているものもありますが、『江戸幕臣人名事典』はじめ鉄次郎と書かれているもが多いため、「次」が正しいのではないかと思います。

尚、青柳家に関しては『寛政重修諸家譜』の青柳姓の家を調べましたが、久左衛門・繁右衛門・栄之助に該当する人物は見当たらず、旗本ではなく御家人の家であったものと思われます。
また、鉄次郎孝順以降の間宮家の墓は間宮林蔵墓所とは別域の本立院墓地にあります。

吉川弘文館の人物叢書は権威あるシリーズで数々の名著が出ており、これを参考に書かれているものも数多くありますが、今回のようなケースもありますので、やはり複数の資料や出典元を辿って行く必要性を改めて感じた次第であります。

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