新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
昨年は2018年秋に開催された「流星忌」以来、当会単独では2017年秋に開催された第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会」以来、久々となる第16回巡墓会「谷中霊園巡墓会~渋沢栄一とその周辺~」を開催しました。
新型コロナウイルスの流行後、初めての開催となり、不安もありましたが、対策を講じた上で開催に踏み切りました。
天候にもめぐまれ、総勢15名での巡墓会を無事に終えることができ、当会の活動再始動の年となりました。改めて御礼申し上げます。
巡墓会のレジュメを作成するにあたり、渋沢栄一とその周辺人物に関する資料などを読み直しましたが、改めて栄一の人脈や活動の広さを感じました。
渋沢栄一については様々な先学たちが研究しており、関連書籍も数多く出ていますので、研究され尽くしている感がありますが、まだまだ隙間の部分で抜けている所があるのではないかとも思いました。
そのようなこともあり、巡墓会が終わった後も、渋沢栄一関連の書籍を仕事の合間を縫って拾い読みしていました。
その中から2冊ほど紹介します。
1.穂積重遠『新訳論語』(昭和56年・講談社)
穂積重遠は渋沢栄一の長女歌子と穂積陳重の長男です。重遠は父陳重と同じく法学者ですが、祖父栄一の影響で子供の頃から『論語』に親しんでいました。
太平洋戦争で穂積家は罹災し、祖父栄一から貰った『ポケット論語』(矢野恒太編)をはじめ数多くの蔵書が焼失しました。重遠は罹災後第1回の外出の際に『論語』を含む『経典餘師』と『論語解義』の2冊を購入し、戦後に迎えた息子の妻に穂積家の家風とばかりにこの2冊を使って『論語』をポツポツと教えました。
重遠はちょうどこの頃に読んだ『読書について』の一文に共鳴し、生まれて半年余の初孫を見て、この子が大きくなった時に『論語』読ませてあげられるかなと思い、自身がおじいさんから授かった家庭的論語を、この孫や未来の孫たちのために書いておこうと思い立ちました。
このような経緯で作成されたため、書き下し・現代語訳の他に、所々補足として、重遠の実生活や時事問題を絡ませたり、雑談を交ぜながら面白く語る部分があったりと、とても親しみが持てる1冊となっています。
巻末の解説は栄一が孫たちの『論語』講義のために招いた宇野哲人の子精一が書いており、この中で父哲人から聞いた栄一のエピソードが書かれています。
「渋沢は、その「ポケット論語」は常に持っていて、何か問題があったり、心に決しかねるようなことがあると、取出して手当り次第にページを開いて参考にしたという。この話は私の父が渋沢と知合って以後、多分大正の中期頃のことだと思うが、ある時、たまたま渋沢の自動車に同乗したことがあって、その時も渋沢は『論語』を開きながら何か考えごとをした後に、「私はいつもこうするのです。始終持ち歩いていますから、本が傷むと矢野君から貰うのですが、もうこれで何冊目になります」と話したことを、私は父から聞いている。」
いかに栄一が『論語』を指針に生きてきたかがよく分かるエピソードです。
栄一に興味がある方であれば、この本の「はじめに」と「解説」を読むだけでも面白いと思います。
2.野々村孝男著『首里城を救った男 阪谷良之進・柳田菊造の軌跡』(平成11年・ニライ社)
文部省文部技官阪谷良之進と文部省建築技師柳田菊造の二人を軸に、昭和3年(1928)から昭和8年(1933)にかけて行われた沖縄首里城正殿の昭和の大修理を貴重な資料を交えて紹介しています。
阪谷良之進は栄一の二女琴子の夫阪谷芳郎の甥で、芳郎の兄次雄の長男となります。
父次雄は良之進が3歳の時に死去したため、良之進は叔父の芳郎のもとで養育されました。
東京美術学校図案科を卒業後、内務省、その後文部省に入り、重要建築物調査研究を専門として、国宝建造物保護にその生涯を捧げました。
この本の中で、著者の野々村孝男氏が阪谷良之進と柳田菊造の資料を探すため遺族を探しをしたというくだりに感銘を受けました。
良之進については数多くの実績に対して、その人物について紹介されている文献が少なく、ほとんど謎の人物の状態であったといいます。遺族探しもうまくいかず、行き詰まっていた所で、思わぬヒントを2冊本から得ました。
この2冊とは森まゆみ著『鷗外の坂』と森銑三著『人物研究雑感』で、『鷗外の坂』の「鷗外は偶然ある人物に親近感を抱くと、その人物についての書を集め、子孫の現在をたしかめ、墓を探す。一直線に資料や結論に到達してはかすりもしない種々雑多なことども…」という一文と、『人物研究雑感』の「古人の研究も、文献的研究のみを以て勿論能事了れとすべきではない。それ以外にも、墓碑を尋ね…」という一文から、お墓から遺族を探し出せることに気付き、谷中霊園の良之進の墓を探し出し、遺族を見つけることができました。
遺族宅には良之進の撮影した写真など、数々の未公開資料が見つかり、知られざる良之進の足跡が明らかになりました。
一方、柳田菊造についても遺族探しを行いますが、今度は墓からの操作が困難であったため、柳田が修復した寺院の資料を探しまわり、長野県の寺の蔵から柳田の履歴書がみつかり、柳田の本家の住所が分かり、そこから分家していた柳田の遺族が見つかり、後日柳田の墓参にも行っています。
お墓から子孫を探し資料を探し出す、あるいは資料から子孫を探し墓参するという行為は人物研究をする上では切り離せない作業であることを再確認しました。
現在は個人情報保護の観点から、墓から子孫を探すことが難しくなっていますが、「資料を探す」「墓を調査する」「子孫へ取材する」という3つの作業が密接に絡みあうことで、人物をより深く知ることができることは間違いありません。
これは私自身も含めてですが、お墓のことを調べている人が陥りやすいことは、お墓を探すことが目的になってしまうことです。
見つけるという達成感を繰り返すうちに、いつの間にか一つでも多くの墓を見つけるということが目的となり、そのお墓に眠っている人物のことは下手をすると名前くらいしか知らないということに陥ることです。
誰々のお墓がどこにある、ということをたくさん知っていても、その人物については良く知らないということでは一体何のためにおを探しているのか分かりません。
やはり、何のためにお墓を探すのかという本来の目的は常に確認していかねばならないと『首里城を救った男 阪谷良之進・柳田菊造の軌跡』を読んで自らの戒めにしました。
なお、阪谷良之進の墓は昨年の谷中霊園巡墓会で案内しました、阪谷朗盧の墓域内にある、正面[阪谷家累代墓]と刻まれた五輪塔となります。
私は40代中ばとなり、仕事の方で成果を挙げなければならないため、なかなかプライベートの歴史研究に時間を割く事ができませんが、引き続きライフワークである二本松を中心とした福島の郷土史、自身の先祖調査、渋沢栄一とその周辺のことなど、いくつか自身に課しているテーマがありますので、これらを地道に掘り下げて行きたいと思っております。
当会の巡墓会につきましては未定となっておりますが、今年も何らかの形で企画できればと思っております。企画が決まり次第お知らせいたします。
本年が皆様にとって良い一年になることを祈念いたします。
引き続き、当会メンバーへのご支援ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
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本年もよろしくお願いいたします。
昨年は2018年秋に開催された「流星忌」以来、当会単独では2017年秋に開催された第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会」以来、久々となる第16回巡墓会「谷中霊園巡墓会~渋沢栄一とその周辺~」を開催しました。
新型コロナウイルスの流行後、初めての開催となり、不安もありましたが、対策を講じた上で開催に踏み切りました。
天候にもめぐまれ、総勢15名での巡墓会を無事に終えることができ、当会の活動再始動の年となりました。改めて御礼申し上げます。
巡墓会のレジュメを作成するにあたり、渋沢栄一とその周辺人物に関する資料などを読み直しましたが、改めて栄一の人脈や活動の広さを感じました。
渋沢栄一については様々な先学たちが研究しており、関連書籍も数多く出ていますので、研究され尽くしている感がありますが、まだまだ隙間の部分で抜けている所があるのではないかとも思いました。
そのようなこともあり、巡墓会が終わった後も、渋沢栄一関連の書籍を仕事の合間を縫って拾い読みしていました。
その中から2冊ほど紹介します。
1.穂積重遠『新訳論語』(昭和56年・講談社)
穂積重遠は渋沢栄一の長女歌子と穂積陳重の長男です。重遠は父陳重と同じく法学者ですが、祖父栄一の影響で子供の頃から『論語』に親しんでいました。
太平洋戦争で穂積家は罹災し、祖父栄一から貰った『ポケット論語』(矢野恒太編)をはじめ数多くの蔵書が焼失しました。重遠は罹災後第1回の外出の際に『論語』を含む『経典餘師』と『論語解義』の2冊を購入し、戦後に迎えた息子の妻に穂積家の家風とばかりにこの2冊を使って『論語』をポツポツと教えました。
重遠はちょうどこの頃に読んだ『読書について』の一文に共鳴し、生まれて半年余の初孫を見て、この子が大きくなった時に『論語』読ませてあげられるかなと思い、自身がおじいさんから授かった家庭的論語を、この孫や未来の孫たちのために書いておこうと思い立ちました。
このような経緯で作成されたため、書き下し・現代語訳の他に、所々補足として、重遠の実生活や時事問題を絡ませたり、雑談を交ぜながら面白く語る部分があったりと、とても親しみが持てる1冊となっています。
巻末の解説は栄一が孫たちの『論語』講義のために招いた宇野哲人の子精一が書いており、この中で父哲人から聞いた栄一のエピソードが書かれています。
「渋沢は、その「ポケット論語」は常に持っていて、何か問題があったり、心に決しかねるようなことがあると、取出して手当り次第にページを開いて参考にしたという。この話は私の父が渋沢と知合って以後、多分大正の中期頃のことだと思うが、ある時、たまたま渋沢の自動車に同乗したことがあって、その時も渋沢は『論語』を開きながら何か考えごとをした後に、「私はいつもこうするのです。始終持ち歩いていますから、本が傷むと矢野君から貰うのですが、もうこれで何冊目になります」と話したことを、私は父から聞いている。」
いかに栄一が『論語』を指針に生きてきたかがよく分かるエピソードです。
栄一に興味がある方であれば、この本の「はじめに」と「解説」を読むだけでも面白いと思います。
2.野々村孝男著『首里城を救った男 阪谷良之進・柳田菊造の軌跡』(平成11年・ニライ社)
文部省文部技官阪谷良之進と文部省建築技師柳田菊造の二人を軸に、昭和3年(1928)から昭和8年(1933)にかけて行われた沖縄首里城正殿の昭和の大修理を貴重な資料を交えて紹介しています。
阪谷良之進は栄一の二女琴子の夫阪谷芳郎の甥で、芳郎の兄次雄の長男となります。
父次雄は良之進が3歳の時に死去したため、良之進は叔父の芳郎のもとで養育されました。
東京美術学校図案科を卒業後、内務省、その後文部省に入り、重要建築物調査研究を専門として、国宝建造物保護にその生涯を捧げました。
この本の中で、著者の野々村孝男氏が阪谷良之進と柳田菊造の資料を探すため遺族を探しをしたというくだりに感銘を受けました。
良之進については数多くの実績に対して、その人物について紹介されている文献が少なく、ほとんど謎の人物の状態であったといいます。遺族探しもうまくいかず、行き詰まっていた所で、思わぬヒントを2冊本から得ました。
この2冊とは森まゆみ著『鷗外の坂』と森銑三著『人物研究雑感』で、『鷗外の坂』の「鷗外は偶然ある人物に親近感を抱くと、その人物についての書を集め、子孫の現在をたしかめ、墓を探す。一直線に資料や結論に到達してはかすりもしない種々雑多なことども…」という一文と、『人物研究雑感』の「古人の研究も、文献的研究のみを以て勿論能事了れとすべきではない。それ以外にも、墓碑を尋ね…」という一文から、お墓から遺族を探し出せることに気付き、谷中霊園の良之進の墓を探し出し、遺族を見つけることができました。
遺族宅には良之進の撮影した写真など、数々の未公開資料が見つかり、知られざる良之進の足跡が明らかになりました。
一方、柳田菊造についても遺族探しを行いますが、今度は墓からの操作が困難であったため、柳田が修復した寺院の資料を探しまわり、長野県の寺の蔵から柳田の履歴書がみつかり、柳田の本家の住所が分かり、そこから分家していた柳田の遺族が見つかり、後日柳田の墓参にも行っています。
お墓から子孫を探し資料を探し出す、あるいは資料から子孫を探し墓参するという行為は人物研究をする上では切り離せない作業であることを再確認しました。
現在は個人情報保護の観点から、墓から子孫を探すことが難しくなっていますが、「資料を探す」「墓を調査する」「子孫へ取材する」という3つの作業が密接に絡みあうことで、人物をより深く知ることができることは間違いありません。
これは私自身も含めてですが、お墓のことを調べている人が陥りやすいことは、お墓を探すことが目的になってしまうことです。
見つけるという達成感を繰り返すうちに、いつの間にか一つでも多くの墓を見つけるということが目的となり、そのお墓に眠っている人物のことは下手をすると名前くらいしか知らないということに陥ることです。
誰々のお墓がどこにある、ということをたくさん知っていても、その人物については良く知らないということでは一体何のためにおを探しているのか分かりません。
やはり、何のためにお墓を探すのかという本来の目的は常に確認していかねばならないと『首里城を救った男 阪谷良之進・柳田菊造の軌跡』を読んで自らの戒めにしました。
なお、阪谷良之進の墓は昨年の谷中霊園巡墓会で案内しました、阪谷朗盧の墓域内にある、正面[阪谷家累代墓]と刻まれた五輪塔となります。
私は40代中ばとなり、仕事の方で成果を挙げなければならないため、なかなかプライベートの歴史研究に時間を割く事ができませんが、引き続きライフワークである二本松を中心とした福島の郷土史、自身の先祖調査、渋沢栄一とその周辺のことなど、いくつか自身に課しているテーマがありますので、これらを地道に掘り下げて行きたいと思っております。
当会の巡墓会につきましては未定となっておりますが、今年も何らかの形で企画できればと思っております。企画が決まり次第お知らせいたします。
本年が皆様にとって良い一年になることを祈念いたします。
引き続き、当会メンバーへのご支援ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
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