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Channel: 探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-
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東軍慰霊祭in静岡のご報告1

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会員のカトケンです。

9月28、29日の2日にわたり静岡市にて催された第21回戊辰役東軍殉難者慰霊祭は、無事終了しました。

慰霊祭には約90名の方々が参列、蓮永寺の開かずの間とも言える本堂において、松村貫首読経のもと厳かな雰囲気で執り行われました。

天井の高い同寺の本堂は、質朴でどっしりとした柱に支えられ、窓が全開されていてとても開放的。暑い日でしたが、ときより心地よい風が入ってきました。

慰霊祭は、中島三郎助子孫中島恒英氏の祭文奉読に始まり、その姿は翌日の静岡新聞に写真入りで報じられました。

不肖私も、前日の特訓と師匠臨席のもと、山岡鉄舟「壮士の墓」を吟じ、中島様の祭文が咸臨丸事件と壮士の墓に触れていたことと揆を一にすることができました。

メインイベントである樋口雄彦先生のご講演は、駿府に移住した幕臣の書簡に咸臨丸の事件が取り上げられていることや、戦さ帰りの幕臣たちが仇敵の藩に「御貸人(おかしびと)」となって明治初年から教師や技術者として活躍していたことが紹介され、旧幕の人たちが新しい時代に必要とされたことがわかりました。

明治初年の静岡藩は戦争参加者にも寛容で、家を取り潰しにせず待遇したとのお話は、なかなか一般書には出てこない内容であり、大変感激しました。質問にも積極的に答えてくださり、一から手紙を書いてお願いした甲斐がありました。

蓮永寺の貫首からは幕末三舟の書が本堂に行く間の部屋に飾られていることが紹介され、皆さん食い入るように見ていました。

また、こちらで用意したプログラムに同寺士族墓地の地図と名簿をつけ、ご案内させていただきました。

夜は場所を変えて懇親会、東嘉会さんの木遣りがいきなり始まるオープニングで皆さんを驚かせ、同会会長より新門辰五郎ゆかりの木遣りの紹介を経て、自慢の喉が披露されました。

こちらも約70名の方が集まり、静岡からシズオカ文化グラブ、東京からは天然理心流館主と門人、遠くは江差から近くは神奈川から見えた開陽丸子孫の会、遠くは青森から新選組研究家の方など参加者を積極的に紹介させていただきました。

懇親会後、有志にて駅近傍の居酒屋で2次会、歴史談義に花が咲き、盛況のうちに第一日目が終わりました。ーつづくー

東軍慰霊祭in静岡ご報告2

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会員のカトケンです。

翌29日(日)は、朝8時から静岡駅北口の竹千代青年像前に集合。歴史研究家の佐野明生先生に専属講師をお願いし、静岡市葵区、清水区、駿河区の幕末維新ゆかりの地をめぐりました。

徳川慶喜謹慎の地、宝台院を皮切りに徒歩にて慶喜屋敷跡である浮月楼、西郷・山岡会見之地碑、宝泰寺の壮士の墓、これは品川を脱出した榎本艦隊の輸送船美加保丸の乗組員を供養したものです。

そこから貸切バスに乗り、臨済寺に行きました。東軍招魂碑に加え、箱館戦争榎本政権の会計奉行添役永峰弥吉(同時、高橋)の墓を見学しました。

普段本堂の拝観は許されませんが、事前にお願いに上がっていたおかげでしょうか、竹千代勉強の間や茶室「無想庵」まで見せていただき、庭とお寺の茅葺き屋根を含む市内の景色を見下ろせる予想外の大サービスとなりました。お寺の方に心より感謝します。

臨済寺滞在が長くなったおかげで、昼前の梅蔭寺をあきらめ、次の鉄舟寺へ。清水までしばらく移動中、佐野先生による次郎長の解説が到着まで続きました。梅蔭寺に寄れないためにサービスしてくださいました。

あとから、訪問先を省略するのはやってはいけないこととアドバイスを受け、案内する難しさを痛感しましたが。

鉄舟寺では宝物館を見学、鉄舟の墓と銅像を拝みましたが、印象的だったのは、送電線従事者の殉難碑があったことです。瓦解(維新)に直接関係はないものの、危険を伴う仕事に従事する人が多くいる町ならではの新たな発見ができました。

さて、お昼は巴川沿いのなすび総本店で海鮮盛りに舌鼓を打ちました。富士山世界遺産登録にあやかって、氷を富士山に見立てたものでした。由比名物の桜えびは、何度食べても飽きません。昼間っからお酒が入り場もなごみます。

私は佐野先生といろいろとお話させていただいた中で、これを期にぜひ情報交換していきましょうとあたたかいお言葉をかけていただきました。

先生の寺院に関する造詣の深さ、時代を限定しない歴史の知識に加え、落ち着いた語り口と張りのある声がよく通り、お墓を案内させていただいている私には学ばせていただくこと湯水のごとしでした。

午後は次郎長ゆかりの船宿末廣(復元)に寄り、巴川を少し下って壮士の墓。これが咸臨丸殉難者を葬った山岡鉄舟書による墓碑です。次郎長が賊軍でも仏になれば皆同じと遺体を引き上げた美談となっていますが、

実は漁師たちにとっていつまでも死体の浮かぶ海にしておけない事情から次郎長へ頼み込んだという経緯が語られ、衝撃的ながら、海とともに生きる町の必死さを思わずにはいられませんでした。

続いて興津の清見寺をたっぷり堪能、2階から駿河湾が一望でき、咸臨丸殉難碑に刻まれた榎本武揚の言葉が福沢諭吉の『痩我慢之説』を生むことになった説明も十分していただきました。

さらに徒歩で行ける距離にある坐漁荘を見学。近年になって、西園寺公望の別荘を復元したものです。

今度は清水区のほぼ海岸沿いにある萬象寺で、最後の西国郡代窪田治部右衛門鎮勝、泉太郎鎮章父子の墓をお参り。

明治になり鎮勝は本姓蒲池に復し、克斎と号しますが、この家は熊本の名族で松田聖子もその一族であることからお参りにきたとの話題で盛り上がりました。

この鎮勝は川路聖謨や永峰弥吉と従兄弟に当たることをかつて明治維新史談会に属されていて、今回名古屋からいらした成木さんという方が昼食時に系譜資料を渡してくださいました。

私は出発時に蓮永寺にある湊信八郎信任と伊庭八郎との関係資料もいただき、今まで知らなかった系譜が拡がりをみせ大変勉強になりました。心より感謝申し上げます。

さて、最後の訪問先はかつての照久寺、現在は最初の訪問先宝台院の別院となっているお寺を訪ねました。ここは徳川四天王と言われた榊原照政のおい照久が久能山東照宮を護るため、旗本交代寄合として代々その職を全うした一族を葬った場所です。

お寺さんから資料をご準備いただき参加者一同も大喜び、佐野先生の解説に続き、今回実行委員の一人で静岡での集客力に貢献していただいた石川たか子さんのご先祖、正確には姻戚である小花和重太郎の名が刻まれた「旧幕府歩兵隊殉難者慰霊碑」
を見学。

石川さんがかつて慶喜の大河の年に作成した資料を配ってくださいました。故前田匡一郎先生が用意され、またこの時小花和重太郎の弟トミーこと米田桂次郎について釣先生が講演された縁がここでも実を結びました。

静岡とのつながりを実感できたこの上ない旅となりました。私はこの碑に新選組に属した矢田賢之助の名前を見出だし、少しお話しさせていただきました。


日光や今市で戦死した方々のこの慰霊碑は、依然として誰がいつ建立したのか謎のままですが、戊辰役ゆかりの碑として今後も注目すべきものと思います。

静岡駅までのバス中、皆さんが笑顔でこの旅を終えることができたことは何よりも嬉しいことでした。

土曜の慰霊祭からツアーの引率を務めてくださった影山さん、本当にありがとうございました。

そして、このようなふるさとをアピールする機会をくださった大出元社長、何よりも静岡開催を大出さんに進言し、実現のきっかけを作ってくださった釣洋一先生、本当にありがとうございました!

改めて静岡の歴史はまだまだ掘り起こす余地があり、今後も様々なきっかけを通じて発信していく必要を痛感しました。

ご協力いただいた皆さん、全国からご参加くださった皆さんに感謝申し上げますとともに、これを期にぜひ静岡をごひいきのほど、よろしくお願い申し上げます。

本駒込吉祥寺巡墓会 巡墓人物発表

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11月10日(日)に開催する本駒込吉祥寺巡墓会の巡墓対象人物が決まりましたので、お知らせいたします。

赤松則良 幕臣、海軍中将 (加藤)
林洞海 幕府奥医師、佐藤泰然娘婿 (金子)
安場保和 男爵、東北・北海道開発と近代化を実施 (黒坂)
榎本武揚 幕臣、蝦夷共和国総裁、子爵 (加藤)
佐藤進 男爵、陸軍軍医総監、順天堂医院院長 (金子)
二宮尊徳(金次郎) 農政家・思想家 (金子)
鹿島守之助 鹿島建設会長、外交史研究家、参議院議員 (加藤)
大沢基寿 高家旗本、堀江藩知事、「万石事件」の当事者、華族 (黒坂)
丹羽長守 旗本、北町奉行、中町奉行、二本松藩主丹羽高寛の祖父 (金子)
甲斐庄正親 旗本、南町奉行、お七を裁く (金子)
甲斐庄楠音 旗本、日本画家、風俗考証家 (黒坂)
前田利昭 七日市藩知事、大名、子爵 (黒坂)
溝口直正 幕末の越後新発田藩主・伯爵 (金子)
鳥居甲斐守忠耀 旗本、南町奉行 (加藤)
川田甕江 備中松山藩士、山田方谷門人 (加藤・黒坂)
板倉勝静 備中松山藩主、老中 (加藤)

■開催要項

★日時 平成25年11月10日(日)雨天決行
曹洞宗吉祥寺(東京都文京区本駒込3-19-17)
12:30より受付
13:00(現地出発)〜16:00くらい(現地解散)
★集合場所:地下鉄南北線本駒込駅改札前



★講師:探墓巡礼顕彰会幹事
★榎本武揚・赤松良則・安場保和など幕末・維新に活躍した人物や、二宮尊徳、鹿島守之助、町奉行鳥居耀蔵などの著名人のお墓をご紹介します。
★参加費用:1,500円(資料代含む)
(定員30名・参加費は当日受付にて)
★解散後、希望者で懇親会を行います。
(3,000円/場所:四谷春廼舎)
※寺院での開催となりますので、本堂へ参拝の後、墓地巡拝となります。墓碑解説の前に合掌をお願いいたします。
※寺院内のトイレは使用できませんので、駅構内や近くのコンビニをお使い頂きます。
※墓地内移動中は檀家様の墓参の妨げとならいようお気を付け下さい。
※墓域内への立ち入りができない墓所もありますので、その場合は塀外・柵外からの拝観となりますのでご了承下さい。
※一部足下が悪い場所がありますのでお気を付け下さい。
※ゴミ等はお持ち帰り下さい。
※体調が悪くなった場合は幹事にお申し出下さい。
※震災によって傾いたり、倒壊した墓碑や石灯籠がありますので、近寄らないで下さい。
※大きな地震が起きた際は、墓碑や石灯籠が倒壊する恐れがありますので、速やかに離れて下さい。
※急な天候の変化によって中止する場合がありますのでご了承下さい。
※雨天の場合は足下が悪くなるため、歩きやすい靴でお越し下さい。
※その他詳細等は決まり次第、探墓巡礼顕彰会ブログ上にて発表致します。

本駒込吉祥寺巡墓会 参加申込フォーム

釣先生休養のお知らせ

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幹事のカネコです。
当会会長である釣洋一先生が、2日(金)に転倒し、頭部を強打し入院されました。
当面静養が必要とのことですので、11月10日(日)開催予定の本駒込吉祥寺巡墓会には欠席されます。
釣先生のお話を楽しみにされていた方には大変申し訳ございませんが、釣先生が担当する予定だった人物に関しては、幹事メンバー3人で担当いたします。

つきましては告知していた巡墓会概要を一部変更いたします。

甲斐庄正親 担当:釣先生→カネコ

その他は予定通り開催したいと思います。

尚、9日(土)には釣先生、カトケンさん、クロサカさんが史遊会主催染井霊園巡墓会にゲスト講師出演する予定でしたが、こちらも欠席となります。

先生のご容体については春廼舎さんのブログに書かれています。
春廼舎

当会幹事一同、先生の一日も早いご回復をお祈りいたします。

明日、本駒込吉祥寺巡墓会開催です

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幹事のカネコです。

告知しておりました本駒込吉祥寺巡墓会がいよいよ明日開催となりました。
現時点で東京の天気予報は曇りのち雨となっていますが、雨天決行を予定しておりますので、よほどの悪天候にならない限りは開催いたします。開催が困難と判断された場合には当ブログにてお知らせ致します。

そのような天候状態ですので、服装・靴等、雨天を想定した格好でお越し下さい。足元が悪い場所もありますので、特に靴は汚れて良いもの、水濡れに強いものでお越し下さい。

釣先生がコンタクトを取り、榎本武揚のご子孫である榎本隆充さんにお越し頂く予定になっています。榎本武揚の墓前にてお話頂く予定です。さらにもう一方お越し頂く予定です。ご子孫から直接お話を聞ける貴重な機会となります。

前回お知らせしました、懇親会会場ですが、釣先生が快方に向かわれているとこの事で、奥様のご厚意で四谷春廼舎さんを開けて頂く事になりました。
当初の予定通り四谷春廼舎さんにて開催いたします。

■開催要項

★日時 平成25年11月10日(日)雨天決行
曹洞宗吉祥寺(東京都文京区本駒込3-19-17)
12:30より受付
13:00(現地出発)〜16:00くらい(現地解散)
★集合場所:地下鉄南北線本駒込駅改札前



★講師:探墓巡礼顕彰会幹事
★巡墓人物
赤松則良 幕臣、海軍中将 (加藤)
林洞海 幕府奥医師、佐藤泰然娘婿 (金子)
安場保和 男爵、東北・北海道開発と近代化を実施 (黒坂)
榎本武揚 幕臣、蝦夷共和国総裁、子爵 (加藤)
佐藤進 男爵、陸軍軍医総監、順天堂医院院長 (金子)
二宮尊徳(金次郎) 農政家・思想家 (金子)
鹿島守之助 鹿島建設会長、外交史研究家、参議院議員 (加藤)
大沢基寿 高家旗本、堀江藩知事、「万石事件」の当事者、華族 (黒坂)
丹羽長守 旗本、北町奉行、中町奉行、二本松藩主丹羽高寛の祖父 (金子)
甲斐庄正親 旗本、南町奉行、お七を裁く (金子)
甲斐庄楠音 旗本、日本画家、風俗考証家 (黒坂)
前田利昭 七日市藩知事、大名、子爵 (黒坂)
溝口直正 幕末の越後新発田藩主・伯爵 (金子)
鳥居甲斐守忠耀 旗本、南町奉行 (加藤)
川田甕江 備中松山藩士、山田方谷門人 (加藤・黒坂)
板倉勝静 備中松山藩主、老中 (加藤)

★参加費用:1,500円(資料代含む)
(定員30名・参加費は当日受付にて)
★解散後、希望者で懇親会を行います。
(3,000円/場所:四谷荒木町春廼舎)

※寺院での開催となりますので、本堂へ参拝の後、墓地巡拝となります。墓碑解説の前に合掌をお願いいたします。
※寺院内のトイレは使用できませんので、駅構内や近くのコンビニをお使い頂きます。
※墓地内移動中は檀家様の墓参の妨げとならいようお気を付け下さい。
※墓域内への立ち入りができない墓所もありますので、その場合は塀外・柵外からの拝観となりますのでご了承下さい。
※一部足下が悪い場所がありますのでお気を付け下さい。
※ゴミ等はお持ち帰り下さい。
※体調が悪くなった場合は幹事にお申し出下さい。
※震災によって傾いたり、倒壊した墓碑や石灯籠がありますので、近寄らないで下さい。
※大きな地震が起きた際は、墓碑や石灯籠が倒壊する恐れがありますので、速やかに離れて下さい。
※急な天候の変化によって中止する場合がありますのでご了承下さい。
※雨天の場合は足下が悪くなるため、歩きやすい靴でお越し下さい。
※その他詳細等は決まり次第、探墓巡礼顕彰会ブログ上にて発表致します。

本駒込吉祥寺巡墓会 参加申込フォーム

東軍慰霊祭の打上げと大江戸掃苔

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会員のカトケンです。11月は吉祥寺の巡墓会にたくさんの方にお越しいただき、誠にありがとうございました。釣洋一先生のお声かけにより、榎本武揚の子孫隆充さんが駆けつけてくださり、ご子孫ならではのお話に参加者の皆さんに大変喜んでいただき何よりでした。

さて、9月末に静岡で行われた東軍慰霊祭の打上げを11月30日(土)、ようやく実現できました。祭文を読んでくださった中島さん、開陽丸子孫の会に参加を呼びかけてくださった小杉さん、その先輩の内山さん、当日誘導・案内をしてくれた宮本さん、天然理心流館主高鳥さん、そして巡墓会に続き榎本さんが来てくださいました。

もちろん、場所は釣先生のお店春廼舎です。ただの宴会にこれだけの歴史上の人物のご子孫や関係者が一堂に会するだけでも感無量なのに、楽しい話がたくさん出て終始和やかに、笑いが絶えない贅沢な時間を過ごさせていただきました。

再来年にはオランダのドルトレヒトに開陽丸の碑ができるとのことで、幕末の歴史も世界をまたにかける展開になってきて楽しみが1つ増えました。

翌日(12/1)、やはり静岡での慰霊祭で地元でたくさんの参加者を集めてくださった石川さんが上京され、一族である小花和重太郎家の墓がある日暮里善性寺を釣先生の奥様と3人で訪ねました。小花和家の墓は山門を入って右手の高くなった場所以外にも右奥の墓域にもう一基ありました。

さらに榎本たちと箱館まで戦った若年寄永井尚志の墓がある本行寺、ここには今年建てられた累代之墓が尚志の墓左手にできていました。同寺墓域のいちばん奥にあります。

最後に、南千住の円通寺に向かい、戊辰ゆかりの地をめぐる楽しいひと時となりました。円通寺は実に23年ぶりに訪れ、彰義隊の墓のある囲いの中は以前はもっと木が鬱蒼としていたように思います。松平太郎をはじめ、永井尚志・岩之丞父子、大鳥圭介、高松凌雲、天野八郎、中田正広、小芝長之助、土肥庄次郎らの碑や墓に加え、黒門が圧倒的存在感を見せていました。

榎本武揚が書いた碑が多いことに3人ともすぐに気づき、ますます関心が深まりました。裏面をのぞくと同方会など旧幕臣の会が建てていることがわかります。

戊辰の役での殉難された方々の慰霊もさることながら、碑を建てたり記録を残したりした生存者を追跡することによって、明治になってから幕末当時がどのように回顧されたのかーー残された者たちの痕跡に私たちが歴史に迫る手がかりが埋もれているのではないか、そんな意を強くした小さな旅でした。

前日に引き続き、釣先生の待つ春廼舎で奥様の料理に舌鼓を打ったことは言うまでもありません。石川さんにも約束が果たせて何よりでした。

今後も様々な機会を通して、石川さんと協力して歴史を題材にふるさと静岡をもっともっとアピールしていきたいと考えています。

○善性寺(日蓮宗、関妙山) 荒川区東日暮里5-41-14
○本行寺(日蓮宗、長崇山)荒川区西日暮里3-1-3
○円通寺(曹洞宗、補陀山)荒川区南千住1-59-11

「平成の徳川家臣団大会in駿府」のお知らせ

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会員のカトケンです。昨年静岡市で催された東軍慰霊祭に御協力いただいた方から、今春楽しいイベントがあるというお知らせを受けましたので、ご紹介します。

 「平成の徳川家臣団大会in駿府」と題して講演、懇親会と史跡めぐりが2日間にわたって開催されます。

 日 時 :平成26年4月16日(水)〜17日(木)
 場 所 :静岡市民文化会館 大ホールなど
 参加資格:大会の趣旨に賛同された方

詳しくは、添付ファイルを御覧の上、3月15日までにお申込ください。
もちろん、小弟は徳川家臣団の子孫として参加します。

徳川みらい学会



第3回 谷中霊園巡墓会のお知らせ

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探墓巡礼顕彰会では、記念すべき第10回目となる巡墓会を5月25日(日)に開催することとなりまし た。
開催地は台東区谷中にある谷中霊園となります。
以下開催要項となります
■開催要項
★日時 平成26年5月25日(日)雨天決行
谷中霊園(東京都台東区谷中7-5-24)
12:30より受付
13:00(現地出発)〜16:00くらい(現地解散)
★集合場所:谷中霊園内の交番前(天王寺五重塔跡)

★講師:釣洋一先生・探墓巡礼顕彰会幹事
★三條西季知・岡本健三郎・村垣範正といった幕末期に活躍した人物から、三好政勝・榊原職直といった安土桃山〜江戸初期に活躍した人物までご案内する予定です。(その他の人物については、後日発表致します。)
★参加費用:1,500円(資料代含む)
(定員30名・参加費は当日受付にて)
★解散後、希望者で懇親会を行います。
(3,000円/場所:四谷春廼舎)

※墓地内移動中は霊園利用者の墓参の妨げとならいようお気を付け下さい。
※墓域内への立ち入りができない墓所もありますので、その場合は塀外・柵外からの墓参・解説となりますのでご了承下さい。
※一部足下が悪い場所がありますのでお気を付け下さい。
※ゴミ等は各自お持ち帰り下さい。
※体調が悪くなった場合は幹事にお申し出下さい。
※震災によって傾いたり、倒壊した墓碑や石灯籠がありますので、近寄らないで下さい 。
※大きな地震が起きた際は、墓碑や石灯籠が倒壊する恐れがありますので、速やかに 離れて下さい。
※急な天候の変化によって中止する場合がありますのでご了承下さい。
※雨天の場合は足下が悪くなるため、歩きやすい靴でお越し下さい。
※その他詳細等は決まり次第、探墓巡礼顕彰会ブログ上にて発表致します。

参加申込は下記の専用参加申込フォームよりお申込下さい。
谷中霊園巡墓会 参加申込フォームはこちら

最近の活動

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会員のカトケンです。

誠に残念ながら、4月16日は静岡市の徳川家臣団大会に出席できませんでした。前日に急遽仕事が入り、東京で足止めを食いました。

参加した方々や報道によれば、1200人もの参加者があり、大変盛況なものだったとか。

パネリストの榎本隆充様からは、武揚の書が墓に刻まれている縁で清水次郎長の話題に触れたことや裏話をお聞きすることができました。

また、その後機会があって榎本様の参加される開陽丸子孫の会や万延元年遣米使節子孫の会に顔を出させていただき、静岡に行けなかった時間をまるごと取り戻せたような楽しいひとときを過ごすことができました。

しっかりお墓情報もいただき、巡墓会後に訪ねるのを今から心待ちにしています。

幸い、静岡でのイベントは来年の徳川家康公400回忌のためのプレイベントで、来年も催されるようです。

来年こそ平日も休める部署に異動して、颯爽と静岡に現われてやろうと思います!以前、静岡まつりに旗本の格好で出ましたがね。

ちなみに、4月末に横須賀市浦賀にて咸臨丸フェスティバルなるイベントがあり、初めて顔を出したのですが、海上自衛隊によるトミーポルカの演奏がなかなか印象的でした。

ところが、トミーこと立石斧次郎のご子孫によれば、トミーポルカにはもう2パターンあって、全部で3つのバージョンがあるのだと初めて聞かされました。

いやはや、米国におけるトミー人気ここに極まれりと、驚きのこの2か月、いよいよ次の日曜、記念すべき第10回目の我々探墓巡礼顕彰会による谷中霊園巡墓会は、25日(日)13時開始(受付12時半〜)、集合は五重塔跡交番横の広場です。

何卒よろしくお願いします!

第11回巡墓会 「松陰と共に駆けた人たち〜「花燃ゆ」ゆかりの人たちを訪ねる〜」開催のお知らせ

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探墓巡礼顕彰会では、第11回目となる巡墓会を11月2日(日)で開催することになりました。
今回の開催地は初めての試みとなる移動型の巡墓会とします。
開催要項は以下のとおりです。

■開催要項
★巡墓テーマ
「松陰と共に駆けた人たち〜「花燃ゆ」ゆかりの人たちを訪ねる〜」
★主な人物
吉田松陰、橋本左内、乃木希典、楫取素彦の妻、桂太郎など
★日時 平成26年11月2日(日)雨天決行
南千住回向院⇒港区青山霊園⇒世田谷松陰神社
12:00より受付
12:30(現地出発)〜16:00くらい(現地解散)
★集合場所:JR南千住駅改札口付近

★講師:釣洋一先生・探墓巡礼顕彰会幹事
★参加費用:800円(資料代含む)+交通費
(定員30名・参加費は当日受付にて)
★解散後、希望者で懇親会を行います。
(3,000円程度/場所:下高井戸駅周辺の居酒屋(後日変更あり))

※寺院墓地や霊園、神社に入りますが節度を守り、他の墓参者の迷惑にならないようにお願いします。
※墓域内への立ち入りができない墓所もありますので、その場合は塀外・柵外からの墓参・解説となりますのでご了承下さい。
※一部足下が悪い場所がありますのでお気を付け下さい。
※ゴミ等は各自お持ち帰り下さい。
※体調が悪くなった場合は幹事にお申し出下さい。
※震災によって傾いたり、倒壊した墓碑や石灯籠がありますので、近寄らないで下さい 。
※大きな地震が起きた際は、墓碑や石灯籠が倒壊する恐れがありますので、速やかに離れて下さい。
※急な天候の変化によって中止する場合がありますのでご了承下さい。
※雨天の場合は足下が悪くなるため、歩きやすい靴でお越し下さい。
※その他詳細等は決まり次第、探墓巡礼顕彰会ブログ上にて発表致します。

その他、巡墓人物につきましては後日順次発表していきますのでブログのご確認をお願いします。

参加フォームはこちら

東京近郊霊園所在の華族墓①(田中子爵家墓所(田中不二麿))

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幹事の黒坂です。
最近更新が滞っており、申し訳ありませんでした。
写真の整理をようやく再開出来るようになったので、今後はその中から厳選紹介をしていきたいと思います。

今日紹介したいのは、東京近郊霊園所在の華族墓です。
ご存知の方もいると思いますが、都営霊園(青山霊園・多磨霊園など)や寺院墓地(護国寺など)に多くの諸侯・公家・新家族の墓所があります。
確かに23区内には多くの華族墓がありますが、東京の市域や近県に造られた郊外型霊園にも建立されています。
これから複数回に分けて、その中からごく一部ですが、紹介していきたいと思います。

第1回目は、田中不二麿です。
田中不二麿は幕末~維新期に活躍した名古屋藩士です。
名前は「不二麻呂」とも表記され、寅三郎や国之輔とも称していました。位階は正二位。子爵。号は「夢山」です。
幕末期には尊攘派の「金鉄組」に属し、尊皇攘夷の大道を説き続け、同僚の丹羽賢、中村修らとともに尊皇攘夷建白書を藩内要職者に提出しました。
尾張藩内で発生した青松葉事件以後、徳川慶勝の片腕となって藩論の統一に尽力し、一躍藩の内外にその名を知られるようになります。
慶応3年(1867)、王政復古後は新政府の参与となり、同日の小御所会議に尾張藩代表として出席した。明治4年(1871)に文部省出仕と同時に岩倉遣欧使節団理事官となり、欧米の教育制度の調査に当たりました。
帰国後は文部大輔まで進み、学制実施と教育令制定を主導しましたが、明治13年(1880)に司法卿に転じました。
以降、参事院副議長、駐伊特命全権公使、駐仏特命全権公使、枢密顧問官、司法大臣を歴任し、近代日本政治に深く寄与した大人物です。
明六社会員の会員でもあり、島崎藤村の長編小説『夜明け前』や、井上ひさしの戯曲『國語元年』に登場します。

不二麿は始め、谷中霊園に埋葬されていましたが、後にあきる野市にある五日市カトリック墓地に改葬されています。
谷中霊園時代の墓碑には、「夢山田中不二麻呂之墓」と記され、元々は神式型墳墓でした。
現在はカトリック墓地に所在するということから子孫はキリスト教へと改宗したとみられます。
墓域には、真新しい墓石が3基並び、一番右の墓誌に名前が刻まれています。
田中子爵家の墓所は、雑司ヶ谷霊園にもあり、田中不二麿の跡を継いだ田中阿歌麿とその家族の墓所となっています。

  

第12回巡墓会 「伝通院巡墓会~徳川家の人々と幕末維新の群像(仮題)~」開催のお知らせ

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会員のカネコです。
探墓巡礼顕彰会では、第12回目となる巡墓会を5月17日(日)で開催することになりました。
開催要項は以下のとおりです。

■開催要項

★巡墓テーマ
「徳川家の人々と幕末維新の群像(仮題)」

★主な人物
お大の方、千姫など徳川家の女性達・澤宣嘉・清河八郎・柴田錬三郎・杉浦重剛など

★日時 平成27年5月17日(日)雨天決行
12:30 受付開始
13:00 伝通院山門付近にて開会式・撮影
      探墓巡礼顕彰会幹事より挨拶
      巡墓会開始
      (途中トイレ休憩有り)
16:00 伝通院門前付近にて解散式
      探墓巡礼顕彰会幹事より挨拶
17:00 懇親会

★集合場所:伝通院山門前
東京都文京区小石川3−14−6
※寺院への問い合わせはご遠慮下さい。
【交通】
東京メトロ 丸ノ内線 後楽園駅より 徒歩10分
東京メトロ 南北線 後楽園駅より 徒歩10分
都営地下鉄 三田線 春日駅より 徒歩10分


 
★講師:釣洋一先生・探墓巡礼顕彰会幹事

★参加費用:1,500円(資料代含む)
(定員30名・参加費は当日受付にて)

★解散後、希望者で懇親会を行います。
(3,000~4,000円程度/場所:後楽園駅周辺の居酒屋にて

※寺院墓地での開催となりますので、節度を守り、他の墓参者の迷惑にならないようにお願いします。
※墓域内への立ち入りができない墓所もありますので、その場合は塀外・柵外からの墓参・解説となりますのでご了承下さい。
※一部足下が悪い場所がありますのでお気を付け下さい。
※ゴミ等は各自お持ち帰り下さい。
※体調が悪くなった場合は幹事にお申し出下さい。
※震災によって傾いたり、倒壊した墓碑や石灯籠がありますので、近寄らないで下さい 。
※大きな地震が起きた際は、墓碑や石灯籠が倒壊する恐れがありますので、速やかに離れて下さい。
※急な天候の変化によって中止する場合がありますのでご了承下さい。
※雨天の場合は足下が悪くなるため、歩きやすい靴でお越し下さい。
※その他詳細等は決まり次第、探墓巡礼顕彰会ブログ上にて発表致します。

その他、巡墓人物につきましては後日順次発表していきますのでブログのご確認をお願いします。

参加フォームはこちら

伝通院巡墓会開催しました

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会員のカネコです。
一昨日、5月17日(日)に第12回巡墓会「伝通院巡墓会~「江戸」と「明治」が息づく墓地~」を開催いたしました。
2009年から始めたこの会も6年経ちましたが、今回も無事に終える事ができました。
ご参加頂いた皆様には4時間、暑い中お付き合い頂き、改めて感謝申し上げます。

今年は徳川家康公没後400年という節目の年であり、徳川家と縁の深い伝通院で巡墓会が出来た事は当会にとっても意義深いものとなりました。



今回、巡墓した人物は下記となります。

【伝通院】
徳川家 将軍家一族
 お大の方 家康生母
 千姫 秀忠長女 豊臣秀頼正室
 鷹司孝子 家光正室
 徳川綱重 家光三男 甲府宰相(墓碑無し)
柴田錬三郎 作家『眠狂四郎』『御家人斬九郎』『水滸伝』『徳川太平記』
澤宣嘉公家・七卿落ち・外務卿
藤井紋大夫徳昭 徳川光圀家臣・藤井紋太夫誅殺事件
杉浦重剛 教育家 思想家 昭和天皇の師
清河八郎 庄内出身の志士 浪士組
ジョセフ岡本三衛門 イエズス会宣教師
千種任子 明治天皇側室
穂積清軒 中島三郎助甥、三河吉田藩士、蘭学者(墓碑無し)
【真珠院】
水野忠成 沼津藩主 老中

その他、浪士組結成の地処静院跡と幕末の処静院住職琳瑞和尚のお墓もご紹介しました。

各講師がそれぞれの人物に想いを込め、様々な資料を調べ解説いたしました。レジュメも後から読み返せるよう詳細な内容に仕上げました。

私個人としては昨年1年間、講師を休んでいましたが、今回は久々の講師復帰ともあって、少々力が入り解説が長くなってしまいましたが、やはり講師としては伝えたい事がありますので、この辺はご寛恕頂ければと思います。皇室や徳川家というのは歴史に興味も持った小学生の段階から大切にしてきた事なので、昨日はその辺の話しが出来たことで満足しております。

釣先生ご夫妻のお元気な姿を見る事ができ、我が会としてはとても良い1日となりました。

伝通院様にもこの場を借りて改めて御礼申し上げます。

定例秋の巡墓会については開催の可否も含め近いうちに話し合った上で、発表いたしますが、引き続き当会へのご支援・ご指導・ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。

【レジュメの訂正と質問回答】
レジュメの訂正と質問がありました件につき回答いたします。

・P.14 16行目 誤:扇町實徳→正:正親町實徳

・千種任子の墓碑について「典侍」と刻まれていますが、最終の位階は「権典侍」ではないかとのご指摘がありました。私もこの点は調査不足でありました。確かに『明治の宮廷と女官』(扇子忠著)巻末の「明治時代女官任官状況」によると明治40年典侍高倉寿子・柳原愛子、権典侍千種任子とあり、その後、大正3年になると典侍高倉寿子・小倉文子、権典侍姉小路良子となり、千種任子の名がありません。ただ、『華族大観』『新修昭和華族家系大成』の任子の項目には典侍とあり、一時期典侍となっていたものと考えられます。
手元の資料で分かる事は以上となりますが、また機会がありましたらご報告したいと思います。

西郷隆盛と西郷隆永

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久保です。
久保久保雨久保のペースでがんまります(笑)

西郷隆盛と西郷隆永について簡単に説明しておくと・・・

同一人物です(笑)

まぁ隆盛は実の父の名で、我々が知っている隆盛の本当の名前は
隆永なんですよね・

というわけで「西郷隆永」と彫ってあれば、あの「西郷どん」のことなのですが、
それには納得しなかった人がいるんです。



これ、西郷隆永と刻んでいるとこに、「永」の上から「盛」の文字を無理やり刻んでいるんです。

同じ人だとはいえ、隆永さんにもらうのはあまり値打ちがないのでしょうかね(^^;)

伴門五郎とその子孫の墓

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会員のカトケンです。

『歴史研究』に伴門五郎のことを書きました。彰義隊の戦死した幹部です。

実家である中仙道蕨宿の岡田家の菩提寺、三学院に年末から取材し書き上げました。(写真)



それから谷中の全生庵。彰義隊の同志丸毛牛之助の撰した石碑を見に暑い時期に行きました。

静岡の蓮永寺には子孫の墓があります。(写真)








東京近郊所在の華族墓② 東郷平八郎侯爵・小笠原長生子爵・南部男爵家(東郷寺)

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黒坂です。
前回投稿の田中不二麿子爵からかなり間が空いてしまいましたが、第2回目として紹介するのは、府中市東郷寺にある華族墓です。
「東郷」寺という名前から察する方も多いと思いますが、日露戦争における日本海海戦の英雄東郷平八郎海軍元帥ゆかりのお寺です。もともと東郷の別荘があった場所を東郷の死後、東郷元帥の菩提を弔い、顕彰するための寺院に改められました。
そのため、同寺には、東郷侯爵の供養塔が建てられています。
東郷平八郎侯爵の本墓は、ここからほど近くにある多磨霊園名誉霊域に埋葬され、立派な墓所がありますが、目と鼻の先に供養塔があるのは驚きです。



この供養塔を建立したのは、小笠原長生子爵という海軍中将で、東郷のことを大変慕っていました。
そのため、東郷元帥の顕彰活動を行っていた人物として知られています。
小笠原子爵は、元唐津藩主小笠原家の当主でもあり、幕末の老中小笠原長行の長男でもあります。
小笠原長行子爵の本墓は、世田谷区烏山の幸龍寺にあります。
父長行は最初谷中墓地に埋葬されましたが、後年長生によってこちらに改葬されました。
ちなみに東郷の供養塔の隣にも小笠原長生子爵の供養塔が建てられています。この他にも唐津近松寺や伊豆宗徳寺に有ります。



この2基に隣接して五輪塔が1基ありますが、こちらも南部日実男爵の墓碑になります。
この方は遠野南部家の当主であり、南朝の北畠顕家に従った南部師行の末裔です。
遠野南部家は、盛岡藩の中でも筆頭家老「御三家」として、破格の待遇を受けていた一族です。
明治になり、南朝に対する功績が認められ、旧盛岡藩主(伯爵)とは別に男爵を授けられました。



同寺には、境内に入ってすぐ左の一般墓域にも著名人の墓があり、豊田副武海軍大将や張作霖爆殺事件の実行犯とされる河本大作の墓もありますが、先ほどの南部男爵家の分家の墓もあります。

当寺の山門は、映画「羅生門」のモデルとしても使われた風情の良いお寺でした。

白河口戊辰之碑

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会員のカネコです。
久々の更新です。近頃は都内近郊の調査ばかりをしていましたが、7月に二本松、8月に富津・小田原、今月は宇都宮・白河へと遠方の調査も少しずつ行う事ができました。
今回は白河の事を書きたいと思います。

20日(日)に会員のクロサカさんと共に白河市稲荷山公園に建立された、白河口戊辰之碑を見に行きました。
この慰霊碑は昨年より戊辰戦争白河口の戦い記念碑建設委員会によって、建立の計画が行われ、先月29日に除幕式が行われました。
白河口の戦いは戊辰戦争で激戦が行われた所であり、私がライフワークとして研究を取り組んでいる二本松藩からも多くの戦死者を出した事もあり、今回の建立に僅かながら寄附をさせて頂きました。
慰霊碑正面には東軍・西軍の戦死者約1000名の名が刻まれ、裏面には建立に賛同し、寄附をされた方々の名が刻まれています。私の名も刻んで頂きましたが、日本全国の方が、この慰霊碑の建立に尽力されており、改めて大変意義深い慰霊碑になったものだと感嘆いたしました。戊辰戦争白河口の戦い記念碑建設委員会の皆様に敬意を表したいと思います。







この日は白河口戊辰之碑の他に、宇都宮・白河の寺院等を巡ってきました。
早朝より出発し、鈍行列車で宇都宮へ向かいました。宇都宮慈光寺では高徳藩主戸田忠至が養子に入っていた間瀬家や宇都宮藩士達の墓を調査しました。
その後、白河へ向かい、かねてから当会をご支援して頂いており、今回の慰霊碑に大変ご尽力をされた安司弘子さんに常宣寺をご案内して頂きました。
常宣寺は白河藩主松平(久松)家・阿部家の菩提寺であり、子女の墓や家臣団の墓が数多く残されています。
私は当地を訪れたのは2回目でしたが、安司さんに阿部家の一族である家老の平田家や松平家の家臣である服部半蔵家の墓所等を初めてご案内して頂きました。お忙しい中、ご案内して頂き、この場を借りて改めて御礼申し上げます。
その後、安司さんと別れ、クロサカさんとレンタサイクルで稲荷山などを巡りました。
龍興寺・松並の会津藩士墓地・稲荷山公園・萬持寺・妙関寺・関川寺・ハリストス正教会・皇徳寺・丹羽長重公廟・長寿院・小峰城・鎮護神山など17:30まで市内を巡りました。
二本松藩主丹羽光重公の父君である長重公の霊廟は2011年に訪れた際、燈籠が倒れ、損壊が酷かったのですが、昨年、修復工事が完成し、元の姿に戻っており、大変喜ばしく思いました。





白河は戊辰戦死者の墓の案内板が整備され、パンフレットも製作されており、巡墓が大変しやすくなっています。今回は鈍行列車で東京から片道3時間半の旅でしたが、新幹線を使えば2時間弱で行く事ができます。JR白河駅観光案内所ではレンタサイクルが無料で利用できますので、週末に日帰りで気軽に訪れてみてはいかがでしょうか。
稲荷山公園から眺めた田園風景が、日頃の都会の喧噪を忘れさせてくれました。

富津と二本松藩

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会員のカネコです。
前回の投稿でも少し触れましたが、8月12日(水)お盆休みの初日に千葉県富津市へ行きました。

富津は幕末に外国船がたびたび来航するようになると、海上防衛の必要に迫られた幕府により、重要な拠点とされ、砲台が築かれ、富津陣屋には警備のために会津藩、白河藩、柳川藩などの藩士が出張してきました。
二本松藩も幕府より安政5年(1858)から慶応3年(1867)の約10年間、富津砲台の警備を命じられました。
会津藩士に関しては富津で亡くなった藩士達の墓についての情報は多く見られ、当会でもお世話になっている、大佗坊さんのHP「会津いん東京」にも詳しく書かれています。
しかし、富津で亡くなった二本松藩士に関しての情報は殆ど無く、私も色々と調べていましたが、先頃、『郡山市史 第3巻』に富津で亡くなった二本松藩士は主に大乗寺に葬られたとの記載を見つけ、さらに文久元年に死亡し、長秀寺に葬られた佐々木紋太の過去帳の写真も掲載されていました。
墓碑の現存に関する記載はありませんでしたが、二本松藩士の墓が現存している可能性が高い事を確信しましたので、現地を調査することにしました。

富津市富津36にある大乗寺は『郡山市史 第3巻』に二本松藩士が主として葬られた場所とされていた寺院です。



まず、お寺の方に尋ねてみると、お盆の忙しい中、奥様に対応して頂きました。お話しによると、富津警備をしていた各藩の藩士の墓は無縁集石墓に集められており、以前も二本松藩士の墓を探しに来た方がいて、墓を見つけたという話しを聞いたとのことでしたが、詳しい場所は分からないとの事で、取り敢えず、無縁集石墓に案内してもらいました。
そこには何百基もの無縁墓があり、気が遠くなる作業でしたが、二本松の文字が刻まれている墓を丹念に探しました。柳川藩士の墓はすぐに見つける事が出来ましたが、二本松藩士の墓はなかなか見つからず、諦めかけていた所、柳川藩士の墓をもう一度よく見てみると、柳川藩士の墓に挟まれて[奥州二本松 橋本慶助墓]と刻まれた墓碑を見つけました。



遠く、二本松から離れ、風土も異なる地で、病に倒れ命を落とした藩士達の事を想い手を合わせました。

もう一ヶ所、富津市富津169-1にある長秀寺の方では残念ながら二本松藩士の墓は確認できませんでしたが、会津藩士・白河藩士の墓を確認する事が出来ました。

その後、二本松藩士達が10年間滞在した富津陣屋の跡へ行きました。住宅地に囲まれた一角にあり、「小河原多宮自刃の地」「白井宣左衛門自刃之地」「富津陣屋跡」の3つの石碑が建立されていました。



この日は他に飯野藩主保科家の菩提寺浄信寺、旗本小笠原家と会津藩士の墓がある正珊禅寺、田沼意尊が維新後に遠江相良から移封された小久保藩の陣屋跡、さらに佐貫に移動し、佐貫藩主阿部家の墓所がある勝隆寺跡、安楽寺、妙勝寺、三宝寺などを巡りしました。





真夏の猛暑日の調査となりましたが、朝から夕方まで大変充実した調査となりました。
途中訪れた富津岬と富津元洲堡塁砲台跡から見た東京湾が見事でした。

十河晋斎と二本松藩士佐倉家

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会員のカネコです。
都内にある二本松関係者の墓所を探すことはライフワークとなっていますが、最近も数カ所で二本松関係者の墓所を見つけることが出来ました。
今回は十河晋斎について書きます。

谷中霊園と谷中の寺院の墓本として著名な『谷中過去帳』という本があり、谷中の墓調査によく使っていたのですが、たまたま十河晋斎という二本松藩士の墓が瑞輪寺にあるという記載を見つけ、十河晋斎について調べてみると、二本松藩士佐倉定右衛門政定の子として生まれ、安積艮斎の門人となり、後に昌平校教授となった人物でした。
伊勢津藩士十河杢左衛門の養子となり、十河姓となり、維新後、京都府御用掛となり、府史編纂に従事し、その他に豊岡神社宮司・久爾宮晃親王侍講・神奈川県師範学校講師などを歴任したとあります。

7月19日(日)に瑞輪寺を訪れ、十河晋斎の墓所へお参りしました。
十河家の墓域には[晋齋十河定保墓][十河家之墓][十河定道墓]の3基がありました。



晋斎は明治37年1月2日に没しています。
晋斎は親友大沼枕山の墓が瑞輪寺にあることから、この地を墓所にしたそうです。
確かに大沼枕山の墓が近くにありました。この大沼枕山は永井荷風の遠縁であり、荷風はこの枕山のことを『下谷叢話』に詳しく書いています。

一方実家の佐倉家についてですが、晋斎の甥佐倉強哉の娘雪が作家榊山潤の夫人となっています。
榊山潤の歴史小説『歴史』の主人公片倉新一郎は義父である佐倉強哉がモデルとなっており、『歴史』の巻末に収められている「佐倉強哉の手記」を基に、創作されました。

佐倉家の墓所は二本松蓮華寺にあり、佐倉強哉はじめ佐倉家歴代の墓所は山の斜面の中腹にあり、少し離れた別域に弟佐倉達山の墓もあります。



これは7月26日(日)に二本松を訪れた際の写真です。
晋斎の父定右衛門政定は戊辰の役の二本松戦で戦死、長男源五右衛門政行は二本松藩が天狗党討伐のために出兵した際、常陸太田での戦いで戦死。当地の法然寺に葬られています。晋斎仕えた伊勢津藩は鳥羽伏見の戦いで早々と新政府軍につきましたが、実家佐倉家が仕える二本松藩は最後まで旧幕府側として戦い、実父政定は戦死しました。家族が敵味方に分かれた悲劇を晋斎はどう思ったのでしょうか。

私が所属している東京二本松会の幹事藤井さんは二本松藩士平島家のご出身で、佐倉家と姻戚関係になっています。平島家・佐倉家をはじめ、姻戚関係の二本松藩士の家の事については色々とご教示を頂いています。二本松藩士については『二本松市史 第5巻』に収められている「世臣伝」や『二本松寺院物語』などによって、その家系等を追う事ができますが、ご子孫の方から情報を頂く事で、より詳細な情報を得る事が出来ました。今後も二本松藩士の情報を丹念に収集して行きたいと思っています。

東京二本松会総会に出席しました

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会員のカネコです。
9月12日(土)に私が所属している東京二本松の総会がスクワール麹町で開催され、二本松繋がりで親しくさせて頂いている遠藤さんと共に出席しました。

東京二本松会は東京近郊在住の二本松に所縁がある人達で構成され、現在は二本松藩主丹羽家の18代目のご当主である丹羽長聰様が会長を務めています。私は4年前に丹羽様より直々にお誘いを受けてから参加しています。

東京二本松会は特に歴史研究団体ではありませんが、会員に藩士のご子孫の方もいらっしゃり、毎回色々なお話しを聞かせて頂いています。

総会は丹羽様や新野二本松市長のご挨拶、議事の後、東京女子大の石井信夫教授による「現代日本の野生生物問題」の講演がありました。







講演は毎年二本松出身の方がされるのですが、過去にはセブン銀行会長の安斎隆様などが講演しています。
石井教授は母方が二本松出身との事で、幼少の頃によく若宮にある実家に行っていたそうです。山田という姓であったそうですが、藩士の家に山田姓が多いので、藩士の家だったかお聞きすれば良かったなと少し後悔しています。

講演の後の懇親会では様々な方とお話しが出来ました。
幹事を務めている藤井様は昨年初めてお会いして、藩士の平島家のご出身であるとのお話しを聞きました。平島家は少年隊士の生き残りで自由民権運動家の平島松尾、『二本松寺院物語』の作者平島郡三郎を輩出した家であり、前回書いた佐倉家や浅岡家・渡辺家といった藩士の家と姻戚関係に当たるとの事でした。藤井様からその後様々な資料をご提供して頂きました。

藤井様のご親戚の林様は戦国大名筑紫広門のご子孫で、本家筋は旗本となりましたが、分家が丹羽家に仕官し、二本松藩士となった家柄です。筑紫姓から林姓になったのは先祖の一人がある事件を起こし、筑紫姓を憚り、丹羽公より林姓を名乗るよう命じられたということによるのもと教えて頂きました。林様は以前、国立国会図書館に勤務していたとの事で、その時のお話しなども聞かせて頂きました。

同じく藤井様のご親戚の脇様は日露戦争の際に特務機関として大陸に渡り、命を落とし、報国六烈士と称された脇光三のご子孫で、脇家は彦根藩士でしたが、光三は二本松藩士浅岡家より養子に入っています。若くして亡くなった光三の後、弟が脇家の養子となり現在に続いているとのことです。

監事の崎田様は明治初年に権大参事となった崎田伝右衛門良一のご子孫で、伝右衛門が戊辰戦争の際に帰順論を唱えた事や、伝右衛門が残した『復華日記』の事など、大変興味深いお話しをたくさん聞かせ頂きました。

藩士の家以外にも二本松の町人・農民の家には戦国時代の城主畠山家の家臣の末裔が多く見られます。私の祖母の実家も畠山家の旧臣の家です。また次回も様々な方からお話しを聞きたいと思っています。

総会資料と一緒に貰ったチラシの中に二本松市歴史資料館で10月3日から開催される企画展「二本松市指定の文化財」のチラシがあったのですが、これはちょっと行きたいなと思いました。

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