会員のカトケンです。
3連休の中日となる15日、京都にて[『探墓巡礼ー谷中編』の刊行意義と京都にもあるゆかりの場所]と題して講演をさせていただいた。
歴史が好きになった記念の街でお話できるのは大変光栄で、レジュメを作りながらついあれもこれもと欲張って取り上げようとして、案の定時間が足りなくなってしまった。
14日に下見を兼ねて蹴上疏水公園の田辺朔郎の銅像(=写真)、大日山墓地の田辺朔郎夫妻の墓を見てきた。
場所はインクラインを登りきったところにかかる大神宮橋を渡って坂を登り、日向大神宮の方ではなく、安養寺の壁際の道を登っていくと墓地に着く。
登ってきた道が墓地でも階段になっていて、それをまっすぐ登っていき、右側の生け垣を横目に突き当たりまで上がりきり、左側を奥へ奥へ行くとドンづまりの少し手前に田辺夫妻の墓があった(=写真)。
妻は琵琶湖疏水設計のため田辺朔郎を抜擢した京都府知事北垣国道の長女静子。事前に見た青山霊園の田辺家墓誌にもそのことが書かれてあった。
なぜ田辺ゆかりの地を回ったかというと、『探墓巡礼ー谷中編』に載せた唯一京都にある墓が箱館政府松前奉行人見勝太郎のもので、その母の墓の撰文が田辺太一だからである。ちなみに父の墓のそれは谷中に墓のある中村正直(=写真は長遠寺人見家墓所)。
かつてこのブログでも紹介した人見家墓所の両親の墓を間違って[入って左側]と書いたが[右側]に訂正しようとずっと機会を伺っていたこともある。
3月13、14日 京都市③ 長遠寺、妙恵会総墓所
ともあれ、太一の『幕末外交談』をネタに近代化京都の水を整備した甥朔郎にも触れてみたのだが、ちょうど復活した琵琶湖疏水船の宣伝や九条山ポンプ場のパネル展示が充実していて時宜を得た訪問となった(=写真は疏水船のパンフレット)。
太一の娘花圃は三宅雪嶺に嫁ぎ、樋口一葉もその文章に嫉妬したという女流作家なのだそうで、青山霊園の太一と同じ一角に雪嶺・花圃の墓があることもお話しした。
1種ロ8号16〜17側で太一は少し奥に入ったところ、花圃は通り沿いにある(=写真は太一らの墓)。家紋は丸に桔梗。
14日はもう1箇所、瑞泉寺に今年建てられた岩瀬忠震・橋本左内の碑を見てきた。池田屋のすぐ近く、三条小橋の手前だった(=写真。木屋町通り三条下ル)。
翌日の講演で京都町奉行を務めた永井尚志に触れ、岩瀬の戒名[爽快]の話やこの新しい石碑も紹介させてもらった。幕末の新しい史跡として記憶にとどめておきたい。
ーつづくー
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★流星忌・ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の告知チラシを公開しています。
流星忌・ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の告知チラシが出来ました
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歴史が好きになった記念の街でお話できるのは大変光栄で、レジュメを作りながらついあれもこれもと欲張って取り上げようとして、案の定時間が足りなくなってしまった。
14日に下見を兼ねて蹴上疏水公園の田辺朔郎の銅像(=写真)、大日山墓地の田辺朔郎夫妻の墓を見てきた。
場所はインクラインを登りきったところにかかる大神宮橋を渡って坂を登り、日向大神宮の方ではなく、安養寺の壁際の道を登っていくと墓地に着く。
登ってきた道が墓地でも階段になっていて、それをまっすぐ登っていき、右側の生け垣を横目に突き当たりまで上がりきり、左側を奥へ奥へ行くとドンづまりの少し手前に田辺夫妻の墓があった(=写真)。
妻は琵琶湖疏水設計のため田辺朔郎を抜擢した京都府知事北垣国道の長女静子。事前に見た青山霊園の田辺家墓誌にもそのことが書かれてあった。
なぜ田辺ゆかりの地を回ったかというと、『探墓巡礼ー谷中編』に載せた唯一京都にある墓が箱館政府松前奉行人見勝太郎のもので、その母の墓の撰文が田辺太一だからである。ちなみに父の墓のそれは谷中に墓のある中村正直(=写真は長遠寺人見家墓所)。
かつてこのブログでも紹介した人見家墓所の両親の墓を間違って[入って左側]と書いたが[右側]に訂正しようとずっと機会を伺っていたこともある。
3月13、14日 京都市③ 長遠寺、妙恵会総墓所
ともあれ、太一の『幕末外交談』をネタに近代化京都の水を整備した甥朔郎にも触れてみたのだが、ちょうど復活した琵琶湖疏水船の宣伝や九条山ポンプ場のパネル展示が充実していて時宜を得た訪問となった(=写真は疏水船のパンフレット)。
太一の娘花圃は三宅雪嶺に嫁ぎ、樋口一葉もその文章に嫉妬したという女流作家なのだそうで、青山霊園の太一と同じ一角に雪嶺・花圃の墓があることもお話しした。
1種ロ8号16〜17側で太一は少し奥に入ったところ、花圃は通り沿いにある(=写真は太一らの墓)。家紋は丸に桔梗。
14日はもう1箇所、瑞泉寺に今年建てられた岩瀬忠震・橋本左内の碑を見てきた。池田屋のすぐ近く、三条小橋の手前だった(=写真。木屋町通り三条下ル)。
翌日の講演で京都町奉行を務めた永井尚志に触れ、岩瀬の戒名[爽快]の話やこの新しい石碑も紹介させてもらった。幕末の新しい史跡として記憶にとどめておきたい。
ーつづくー
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