会員のカネコです。
8月11日(日)に二本松市市民交流センターにて開催された「第9回平島松尾顕彰会「柳渓忌」」に出席してきました。
平島松尾といっても地元二本松の人の間でもあまり知られていませんが、二本松少年隊の生き残りで、維新後は自由民権運動に身を投じ、福島事件で国事犯として逮捕され、出獄後は衆議院議員に数度当選し、現在に続く福島民友・福島民報の創刊にも関わっています。
平島家の親族を中心にして顕彰会が組織され、毎年4月に総会と8月13日の松尾命日近くに「柳渓忌」が開催されています。
私は一昨年に、東京二本松会幹事で平島松尾の弟の孫にあたる藤井様のお誘いで入会し、その年の「柳渓忌」に出席しました。
「柳渓忌」は親族・来賓による献花、平島家ご子孫の平島フク様により献詠などが行われました。
「柳渓忌」の後、例年は講話があるのですが、今年は講話は短めにして出席者による懇談会が行われました。
講話は会長の小島喜一先生による「各地の自由民権研究・顕彰運動の現在」と題して福島県を中心に各地の自由民権運動に関する研究団体や顕彰活動の状況についてお話しがありました。
「三春地方自由民権運動血縁の会」は福島県の自由民権運動の本拠地にも関わらず、ご子孫の高齢化などによりここ数年は活動休止状態になっているとのことでした。
その反面、石川町では「石陽社顕彰会」「石陽史学会」などにより活動が活発に行われているとこのとで、早稲田大学名誉教授で自由民権運動の研究家である安在邦夫氏寄贈の安在邦夫文庫の整理などが行われており、今後の活躍が期待できます。
その他、「福島自由民権大学」「喜多方歴史研究協議会」「全国自由民権研究顕彰連絡協議会」など各活動が紹介されました。
何でも「全国自由民権研究顕彰連絡協議会」は昨年結成され、事務局が我が母校大正大学に置かれているということで、誇らしい思いをいたしました。
懇談会では毎回平島家のご縁者が出席しているにも関わらず、今までご紹介が少なかったとのことで、今回は平島家の系図が配布され、ご子孫・縁者の方々のご挨拶や伝わっているお話しなどがありました。
平島家の姻族を辿ると榊山潤の『歴史―二本松藩士の維新』の主人公片倉新一郎のモデルとなった佐倉強哉、筑紫広門の子孫林家、二本松少年隊士武谷剛介、信州の教育に大きな足跡を遺した浅岡一、報国六烈士の脇光三を始め、沢井家・大谷家・寺田家といった二本松藩史に名を残す家々があり、大変興味深いものがあります。
懇談会ではその他の出席者からも挨拶があり、不肖私も少しお話しさせて頂きました。
たまたま隣になった方が、ブログ「年寄りの漬物歴史散歩 東京つけもの史」を運営している方で、何でも福神漬の歴史を調べているうちに二本松関係者に行き着いたとのことで、情報を求め今回ご出席されたとのことでした。
その方から平島松尾の同志である花香恭次郎のお話しも出たのですが、これも偶然で、私が数年前からご縁があった方が現在千葉県旭市大原幽学記念館で開催されている「あさひ 羽ばたいた人々」で平島松尾の同志である花香恭次郎を取り上げるように働きかけをしており、この日はその案内チラシも持って来ていたのでお渡ししました。
あさひ 羽ばたいた人々
自分が調べたことや関わっていたことがいろいろリンクしてくるのは大変面白いことです。
懇談会では、平島松尾顕彰会を細く長く続けるにはどうすれば良いかという話もあり、平島松尾自体の知名度がまだまだ低く、安達ケ原ふるさと村にある「先人館」でも取り上げられていないことや、少年隊士であったこともあまり知られていない現状なども話題に上がりました。
私からは少年隊の顕彰は戦死者がメインで、生き残りの隊士のその後についてあまり知られていないので、その辺の話が認知されるよう活動をしたいとお話ししました。
郷土の名士の顕彰活動は地道なもので、中には運営者の高齢化等で継続が困難になることがあります。
小島会長も仰っていたように「細く長く」でも継続することが大切だと思います。平島松尾顕彰会がこれからも続いていくよう私も微力ながらお役に立ちたいと思っています。
さて、「柳渓忌」の前後は、恒例二本松の寺院巡りをしてきました。
二本松の掃苔本としては平島松尾の弟平島郡三郎が書いた『二本松寺院物語』があり、私にとってはバイブル的存在で、いつもその本を基に墓探しをしています。
今回もレンタサイクルで心安寺墓地、蓮華寺、台運寺、正慶寺、長泉寺、顕法寺、香泉寺、大隣寺、松岡寺を巡りました。
『二本松寺院物語』は昭和初期に書かれたものなので、墓地の状況はだいぶ異なっており、記載されているお墓が無いことも多々あります。
今回は無縁集石となっている墓碑からいくつかの戊辰戦争殉難者の墓碑を確認しました。
一度みたお墓でも来た時には再度確認をするようにしています。
二本松の寺院は山裾にあることが多く、特に藩士の墓は山の中や斜面にあり、夏ともなると夏草が生い茂り、中には密林状態の場所もありますが、午前中の短時間、一心不乱に墓碑の撮影をしました。
途中、霞ヶ城前で行われている幕末の家老丹羽図書の屋敷跡発掘現場なども見てきました。
日帰りでしたが、今年も二本松で濃密な時間を過ごすことができました。
台運寺 平島松尾の墓
正慶寺 義人加茂石松の墓
正慶寺 彦根藩士小倉健輔の墓
丹羽図書屋敷跡
大隣寺 戦死群霊塔
大隣寺 小此木間雅の碑
大隣寺 武谷嘯雲の碑
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8月11日(日)に二本松市市民交流センターにて開催された「第9回平島松尾顕彰会「柳渓忌」」に出席してきました。
平島松尾といっても地元二本松の人の間でもあまり知られていませんが、二本松少年隊の生き残りで、維新後は自由民権運動に身を投じ、福島事件で国事犯として逮捕され、出獄後は衆議院議員に数度当選し、現在に続く福島民友・福島民報の創刊にも関わっています。
平島家の親族を中心にして顕彰会が組織され、毎年4月に総会と8月13日の松尾命日近くに「柳渓忌」が開催されています。
私は一昨年に、東京二本松会幹事で平島松尾の弟の孫にあたる藤井様のお誘いで入会し、その年の「柳渓忌」に出席しました。
「柳渓忌」は親族・来賓による献花、平島家ご子孫の平島フク様により献詠などが行われました。
「柳渓忌」の後、例年は講話があるのですが、今年は講話は短めにして出席者による懇談会が行われました。
講話は会長の小島喜一先生による「各地の自由民権研究・顕彰運動の現在」と題して福島県を中心に各地の自由民権運動に関する研究団体や顕彰活動の状況についてお話しがありました。
「三春地方自由民権運動血縁の会」は福島県の自由民権運動の本拠地にも関わらず、ご子孫の高齢化などによりここ数年は活動休止状態になっているとのことでした。
その反面、石川町では「石陽社顕彰会」「石陽史学会」などにより活動が活発に行われているとこのとで、早稲田大学名誉教授で自由民権運動の研究家である安在邦夫氏寄贈の安在邦夫文庫の整理などが行われており、今後の活躍が期待できます。
その他、「福島自由民権大学」「喜多方歴史研究協議会」「全国自由民権研究顕彰連絡協議会」など各活動が紹介されました。
何でも「全国自由民権研究顕彰連絡協議会」は昨年結成され、事務局が我が母校大正大学に置かれているということで、誇らしい思いをいたしました。
懇談会では毎回平島家のご縁者が出席しているにも関わらず、今までご紹介が少なかったとのことで、今回は平島家の系図が配布され、ご子孫・縁者の方々のご挨拶や伝わっているお話しなどがありました。
平島家の姻族を辿ると榊山潤の『歴史―二本松藩士の維新』の主人公片倉新一郎のモデルとなった佐倉強哉、筑紫広門の子孫林家、二本松少年隊士武谷剛介、信州の教育に大きな足跡を遺した浅岡一、報国六烈士の脇光三を始め、沢井家・大谷家・寺田家といった二本松藩史に名を残す家々があり、大変興味深いものがあります。
懇談会ではその他の出席者からも挨拶があり、不肖私も少しお話しさせて頂きました。
たまたま隣になった方が、ブログ「年寄りの漬物歴史散歩 東京つけもの史」を運営している方で、何でも福神漬の歴史を調べているうちに二本松関係者に行き着いたとのことで、情報を求め今回ご出席されたとのことでした。
その方から平島松尾の同志である花香恭次郎のお話しも出たのですが、これも偶然で、私が数年前からご縁があった方が現在千葉県旭市大原幽学記念館で開催されている「あさひ 羽ばたいた人々」で平島松尾の同志である花香恭次郎を取り上げるように働きかけをしており、この日はその案内チラシも持って来ていたのでお渡ししました。
あさひ 羽ばたいた人々
自分が調べたことや関わっていたことがいろいろリンクしてくるのは大変面白いことです。
懇談会では、平島松尾顕彰会を細く長く続けるにはどうすれば良いかという話もあり、平島松尾自体の知名度がまだまだ低く、安達ケ原ふるさと村にある「先人館」でも取り上げられていないことや、少年隊士であったこともあまり知られていない現状なども話題に上がりました。
私からは少年隊の顕彰は戦死者がメインで、生き残りの隊士のその後についてあまり知られていないので、その辺の話が認知されるよう活動をしたいとお話ししました。
郷土の名士の顕彰活動は地道なもので、中には運営者の高齢化等で継続が困難になることがあります。
小島会長も仰っていたように「細く長く」でも継続することが大切だと思います。平島松尾顕彰会がこれからも続いていくよう私も微力ながらお役に立ちたいと思っています。
さて、「柳渓忌」の前後は、恒例二本松の寺院巡りをしてきました。
二本松の掃苔本としては平島松尾の弟平島郡三郎が書いた『二本松寺院物語』があり、私にとってはバイブル的存在で、いつもその本を基に墓探しをしています。
今回もレンタサイクルで心安寺墓地、蓮華寺、台運寺、正慶寺、長泉寺、顕法寺、香泉寺、大隣寺、松岡寺を巡りました。
『二本松寺院物語』は昭和初期に書かれたものなので、墓地の状況はだいぶ異なっており、記載されているお墓が無いことも多々あります。
今回は無縁集石となっている墓碑からいくつかの戊辰戦争殉難者の墓碑を確認しました。
一度みたお墓でも来た時には再度確認をするようにしています。
二本松の寺院は山裾にあることが多く、特に藩士の墓は山の中や斜面にあり、夏ともなると夏草が生い茂り、中には密林状態の場所もありますが、午前中の短時間、一心不乱に墓碑の撮影をしました。
途中、霞ヶ城前で行われている幕末の家老丹羽図書の屋敷跡発掘現場なども見てきました。
日帰りでしたが、今年も二本松で濃密な時間を過ごすことができました。
台運寺 平島松尾の墓
正慶寺 義人加茂石松の墓
正慶寺 彦根藩士小倉健輔の墓
丹羽図書屋敷跡
大隣寺 戦死群霊塔
大隣寺 小此木間雅の碑
大隣寺 武谷嘯雲の碑
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