会員のカネコです。
本日、13日(土)横浜市歴史博物館の企画展「“道灌以後”の戦国争乱 横浜・上原家文書にみる中世」を見てきました。
横浜市歴史博物館へは昨年の「明治150年記念企画展 戊辰の横浜 名もなき民の慶応四年」以来でしたが、神奈川県で育った私にとっては郷土の歴史にも強い関心があり、この博物館は時々訪れています。
私は普段、近世~近代のことを書くことが多いのですが、例えば江戸時代の大名・旗本の家系を辿ると中世の武士団や土豪、戦国大名の家臣などに行きつくことが多く、この辺りの知識も必須となります。
最近、たまたま岩付太田氏に関係することを調べていたこともあって、今回の企画展は見に行こうと思っていた所、13日(土)に黒田基樹先生による講演「太田道灌の子孫たち」が開催されるとこを知り、事前に申し込みをして講演を聴くことができました。
講演の前に展示を見ましたが、本当に道灌以後の岩付太田氏や江戸太田氏に関する展示がほとんどで、今まであまり取り上げられることが少なった部分であるので、大変見ごたえがありました。
文書以外にも太田氏に関連する法恩寺や静勝寺などの寺院、墓碑の写真パネルもあって、これも良い展示だなと思いました。
黒田先生の講演の冒頭で、博物館の方からの紹介がありましたが、その博物館の方が黒田先生を初めて知ったのが、20年ほど前に横浜市歴史博物館の開館準備室が設置された際に、小田原北条氏研究の大家下山治久先生が「凄い若い研究者がいる」とよく話していて、それが黒田先生だったとのことでした。
今では小田原北条氏はじめ関東の戦国史において黒田先生の名を聞かないことはないくらいですが、大先輩である下山治久先生もその才能を見出していたことに感心しました。
講演は黒田先生曰く「マニアック」な内容でした太田氏に関しては25年前に『北区史』を編纂した際に全国各地の史料を収集し、青森から長崎まで史料を探しに行ったそうです。当時はバブルの頃で、予算もそれなりついたそうで、行く先々で良い史料が出てきたそうです。
しかし、それ以降は太田氏に関する史料はほとんど増えていないとのことで、今回の講演では25年の間で思っている太田氏に関する疑問点についてを中心にお話しをされました。
特に道灌の後、2世代くらいの動向に関して不明な点が多いとのことで、確認できる文書からの推定で、道灌以降の太田家の家督がどう継承されたかについて詳しいお話しがありました。
あと、興味深かったのは江戸太田氏の資高が道灌の子資康の子ではないかも知れないということでした。資高の子康資の娘が徳川家康の側室英勝院となり、兄重正の子孫が遠州掛川藩主太田家になる訳ですが、資高が道灌の孫ではないとすると、掛川藩主太田家は道灌の直系ではなくなくるということになります。
黒田先生の研究では資高は道灌の叔父大和守資俊の系統ではなかとのことで、様々な根拠からその説を導き出していました。
私も様々な家の系図を見ますが、特に江戸期以前のものに関しては注意をして見なければなりません。黒田先生のお話にもあったのですが、発給文書などで名前が確認できれば存在が確定できますが、子孫が後世作成した系図には伝承された話に誤りがあったり、もしくは意図的に作られたものもあり、特に江戸期以前の系図を見る時には書かれていることを鵜呑みにしてはいけなものだと改めて思いました。
好きな音楽はコンサートに行って生で聴くのが良いですが、本も同じで、良い本を読んだらその著者のお話しを聴くと、著者の想いを感じることができますし、本を読んだ時とは違った側面も感じることができ、なるべく講演会などには行くべきだなと思いました。
(伊勢原市にある太田道灌の墓所(首塚) 平成24年(2012)撮影)
(北区赤羽西の稲付城跡 平成22年(2010)撮影)
*******************************************************************
★下記SNSにて当会の最新情報を更新しています。是非フォローください。
Instagram
twitter
★流星忌・ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の告知チラシを公開しています。
流星忌・ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の告知チラシが出来ました
*******************************************************************
本日、13日(土)横浜市歴史博物館の企画展「“道灌以後”の戦国争乱 横浜・上原家文書にみる中世」を見てきました。
横浜市歴史博物館へは昨年の「明治150年記念企画展 戊辰の横浜 名もなき民の慶応四年」以来でしたが、神奈川県で育った私にとっては郷土の歴史にも強い関心があり、この博物館は時々訪れています。
私は普段、近世~近代のことを書くことが多いのですが、例えば江戸時代の大名・旗本の家系を辿ると中世の武士団や土豪、戦国大名の家臣などに行きつくことが多く、この辺りの知識も必須となります。
最近、たまたま岩付太田氏に関係することを調べていたこともあって、今回の企画展は見に行こうと思っていた所、13日(土)に黒田基樹先生による講演「太田道灌の子孫たち」が開催されるとこを知り、事前に申し込みをして講演を聴くことができました。
講演の前に展示を見ましたが、本当に道灌以後の岩付太田氏や江戸太田氏に関する展示がほとんどで、今まであまり取り上げられることが少なった部分であるので、大変見ごたえがありました。
文書以外にも太田氏に関連する法恩寺や静勝寺などの寺院、墓碑の写真パネルもあって、これも良い展示だなと思いました。
黒田先生の講演の冒頭で、博物館の方からの紹介がありましたが、その博物館の方が黒田先生を初めて知ったのが、20年ほど前に横浜市歴史博物館の開館準備室が設置された際に、小田原北条氏研究の大家下山治久先生が「凄い若い研究者がいる」とよく話していて、それが黒田先生だったとのことでした。
今では小田原北条氏はじめ関東の戦国史において黒田先生の名を聞かないことはないくらいですが、大先輩である下山治久先生もその才能を見出していたことに感心しました。
講演は黒田先生曰く「マニアック」な内容でした太田氏に関しては25年前に『北区史』を編纂した際に全国各地の史料を収集し、青森から長崎まで史料を探しに行ったそうです。当時はバブルの頃で、予算もそれなりついたそうで、行く先々で良い史料が出てきたそうです。
しかし、それ以降は太田氏に関する史料はほとんど増えていないとのことで、今回の講演では25年の間で思っている太田氏に関する疑問点についてを中心にお話しをされました。
特に道灌の後、2世代くらいの動向に関して不明な点が多いとのことで、確認できる文書からの推定で、道灌以降の太田家の家督がどう継承されたかについて詳しいお話しがありました。
あと、興味深かったのは江戸太田氏の資高が道灌の子資康の子ではないかも知れないということでした。資高の子康資の娘が徳川家康の側室英勝院となり、兄重正の子孫が遠州掛川藩主太田家になる訳ですが、資高が道灌の孫ではないとすると、掛川藩主太田家は道灌の直系ではなくなくるということになります。
黒田先生の研究では資高は道灌の叔父大和守資俊の系統ではなかとのことで、様々な根拠からその説を導き出していました。
私も様々な家の系図を見ますが、特に江戸期以前のものに関しては注意をして見なければなりません。黒田先生のお話にもあったのですが、発給文書などで名前が確認できれば存在が確定できますが、子孫が後世作成した系図には伝承された話に誤りがあったり、もしくは意図的に作られたものもあり、特に江戸期以前の系図を見る時には書かれていることを鵜呑みにしてはいけなものだと改めて思いました。
好きな音楽はコンサートに行って生で聴くのが良いですが、本も同じで、良い本を読んだらその著者のお話しを聴くと、著者の想いを感じることができますし、本を読んだ時とは違った側面も感じることができ、なるべく講演会などには行くべきだなと思いました。
(伊勢原市にある太田道灌の墓所(首塚) 平成24年(2012)撮影)
(北区赤羽西の稲付城跡 平成22年(2010)撮影)
*******************************************************************
★下記SNSにて当会の最新情報を更新しています。是非フォローください。
★流星忌・ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の告知チラシを公開しています。
流星忌・ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の告知チラシが出来ました
*******************************************************************