会員のクロサカです。
本日は久しぶりに晴れたので駒込・王子方面に行って来ました。
同好の方には駒込圓勝寺を案内してもらい、こちらからは王子阿弥陀堂墓地と金剛寺を案内しました。
まず、圓勝寺は幕府数寄頭を歴代務めた伊佐家の菩提寺で、高台の墓地の真ん中辺りに伊佐家の墓所がありました。
写真は別のカメラで撮りましたが、正面に歴代の合祀墓が3基と両側に1基ずつの計5基の墓碑がありました。
この伊佐家は歴代「幸琢」を名乗り、左にあった夫婦合祀墓は裏面に「五代目 伊佐幸琢知芳」とありました。
詳しくは知りませんでしたが、伊佐家から彰義隊士が出ており、近くにはこの伊佐家出身の佐藤元次郎という隊士のお墓を教えて頂きました。
同墓地には他に旗本長山家や6代執権北条重時の末裔塩田氏の墓もありました。
続いて王子に移動して、阿弥陀堂墓地に向かいます。
近隣にある金輪寺が管理する墓地で王子神社社家の大岡家の墓所がありますが、こちらに榎本対馬守道章の墓があります。
こちらも墓域内に5基の墓碑があり、榎本道章のほか、養父または息子?の榎本克昌や縁戚と思われる瀬名家の墓もあります。
こちらは3度目ぐらいの再訪で、同好の方に案内したところ、大変喜んで頂きました。
最後に近くの金剛寺に移動し、徳川慶喜から相田姓と五三の桐を賜ったという相田家の墓所を案内したのですが、その近くに気になるお墓が....。
近くに寄ってみると岡田家の墓所のようですが、3基並んだ1番右にあった「岡田斧吉源良雄之墓」という名前と裏面には「明治二季己巳四月十七日」と刻まれていました。
調べてみると岡田斧吉という幕府遊撃隊の幹部を務めた人物の墓でした。
箱館戦争の松前折戸浜の戦いで戦死しています。
1番左の墓は岡田新五太郎という人物で斧吉の養父に当たります。
この人物も調べてみると、勝海舟の友人で共に勉学に励みましたが、文久二年に亡くなり、海舟も死去の報を聞くと、岡田家へ弔問に訪れたそうです。
ちなみに同墓域には子孫の墓もあり、墓誌に「義徴」という名前があります。
これは勝海舟の四男で岡田家が絶えるのを惜しんだ海舟によって、養子となっています。
王子は地元からバスや都電を使うと行きやすい場所なので調べればもっと幕末~明治関係者のお墓が見つかるかもしれないので、引き続き調べていきたいと思います。
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探墓巡礼顕彰会では11月12日(日)に第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」を開催します。
詳しくは下記開催要項をご覧下さい。
第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」開催のお知らせ
参加申込みは下記フォームよりお願いします。
第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」開催のお知らせ申込みフォーム
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同好の方には駒込圓勝寺を案内してもらい、こちらからは王子阿弥陀堂墓地と金剛寺を案内しました。
まず、圓勝寺は幕府数寄頭を歴代務めた伊佐家の菩提寺で、高台の墓地の真ん中辺りに伊佐家の墓所がありました。
写真は別のカメラで撮りましたが、正面に歴代の合祀墓が3基と両側に1基ずつの計5基の墓碑がありました。
この伊佐家は歴代「幸琢」を名乗り、左にあった夫婦合祀墓は裏面に「五代目 伊佐幸琢知芳」とありました。
詳しくは知りませんでしたが、伊佐家から彰義隊士が出ており、近くにはこの伊佐家出身の佐藤元次郎という隊士のお墓を教えて頂きました。
同墓地には他に旗本長山家や6代執権北条重時の末裔塩田氏の墓もありました。
続いて王子に移動して、阿弥陀堂墓地に向かいます。
近隣にある金輪寺が管理する墓地で王子神社社家の大岡家の墓所がありますが、こちらに榎本対馬守道章の墓があります。
こちらも墓域内に5基の墓碑があり、榎本道章のほか、養父または息子?の榎本克昌や縁戚と思われる瀬名家の墓もあります。
こちらは3度目ぐらいの再訪で、同好の方に案内したところ、大変喜んで頂きました。
最後に近くの金剛寺に移動し、徳川慶喜から相田姓と五三の桐を賜ったという相田家の墓所を案内したのですが、その近くに気になるお墓が....。
近くに寄ってみると岡田家の墓所のようですが、3基並んだ1番右にあった「岡田斧吉源良雄之墓」という名前と裏面には「明治二季己巳四月十七日」と刻まれていました。
調べてみると岡田斧吉という幕府遊撃隊の幹部を務めた人物の墓でした。
箱館戦争の松前折戸浜の戦いで戦死しています。
1番左の墓は岡田新五太郎という人物で斧吉の養父に当たります。
この人物も調べてみると、勝海舟の友人で共に勉学に励みましたが、文久二年に亡くなり、海舟も死去の報を聞くと、岡田家へ弔問に訪れたそうです。
ちなみに同墓域には子孫の墓もあり、墓誌に「義徴」という名前があります。
これは勝海舟の四男で岡田家が絶えるのを惜しんだ海舟によって、養子となっています。
王子は地元からバスや都電を使うと行きやすい場所なので調べればもっと幕末~明治関係者のお墓が見つかるかもしれないので、引き続き調べていきたいと思います。
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探墓巡礼顕彰会では11月12日(日)に第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」を開催します。
詳しくは下記開催要項をご覧下さい。
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