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Channel: 探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-
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先祖への旅~国立公文書館~

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会員のカトケンです。

久しぶりの先祖探索。気になっていたのは先祖の史料で活字になっていないもの。
我が先祖加藤筑後守が慶応4年(1868)箱根へ警衛に行っていることだ。

竹橋の文書館で明細短冊(=写真。旗本の分限帳に当たるもの)は活字になっているものの、箱根御用については翻刻されていない。



次のとおり読んでみたが、皆さんはどう読むか。

可達趣(表紙)

多賀上総介
駿府表為御警衛被差遣
同本御警衛之儀、御任せ
相成居候処、御都合も有之
候間、加藤筑後守并砲兵
歩兵隊附属役々共引揚
箱根近傍御警衛右兵隊□
被 仰付候間、其方ニも大
久保加賀守申合実備行届候様
可被致候事
加藤筑後守
同文兵? 御任せ文□除之





筑後守は歩兵頭並。多賀上総介は歩兵頭である。箱根の警備を任されたものの、何の都合にやあらん、引き揚げを命ぜられ、別の?兵隊が警備することとなったので、その隊長たる大久保加賀守へよろしく引き継ぎ願うと
小弟は解釈してみた。

徳川実紀にも軍艦にて駿府表へ遣わされ候なる記述があるが、これが将軍東帰の後なのか、富士山艦の戻った後なのかによってどの軍艦に乗って駿府に向かったのか気になるところ。

これが開陽丸であったなら、子孫の会に入れるのにと今はその資格があるか否かハッキリしないことを楽しみながら史料を探している。

それにしても、東京市史稿の講武所を読んだら、筑後守叙任前の忠左衛門が将軍に降嫁される親子様の護衛として、仲間50名とともに京を発し、中仙道を通って江戸まで来ていたことが分かり驚いたことも報告しておかなければと、この記事を書いている。

この週末静岡に帰り、様々な宿題に取り組みたい。時には友人とグラスを傾けながら。。。
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