会員のカトケンです。土曜は常連客Mさんと日暮里で飲むことにしていたので、約束の時間ギリギリまで谷中を廻った。
いつもの千駄木で降り、三崎坂を昇っていく。谷中にも外国人観光客が増えてきたようだ。「圓朝まつり」の幟がはたはたと音をたてていたので、もしやと期待して全生庵をのぞいたら、すでに前日に寄席が終了していた。掲示板をこまめにチェックしていればよかったと悔やむ。
気を取り直して豆大福なんぞ食らいながら電車で調べてきた谷中霊園の第一目的地へ。
幕臣小花作助の墓。小笠原開拓の先駆者で明治政府でも引き続き小笠原に携わった人物。
よく来ていた界隈からやや壁寄りだったため今まで気づかなかったのだろう。東京都による看板も立っていた。(乙3号3側)
ここまで来たらと昨年麟祥院の巡墓会オフ会にて両親の墓とともに紹介した杉浦愛蔵家の墓が、なんと更地になっていたーーこれも悔やまれて仕方ないが、紹介しておいて良かったと思った。(乙3号7側)
昨年の段階で、麟祥院の墓を御遺族が守られている形跡があったので、まだ麟祥院を確かめていないが、何処かお参りしやすい場所へ移したのかもしれない。
ここでも真の目的を忘れず、奥宮慥斎の墓がかつて草茫茫だったのがきれいにされていることに気づきつつ、乙5号3側を目指す。
慶喜公のかかりつけ医師石川良信の墓だ(=写真)。ぐるぐる廻ったあげくようやく見つけるが、高松凌雲や土佐の松岡毅軒の背中合せだった。この人も幕府時代のみならず、墓碑にあるとおり「陸軍軍医監」として明治でも活躍した。高松で追いかけてきた柏原学而の師でもある。仙台の人。桜所とも称する。
慶喜公の墓とやや離れてはいるが、臨める位置に立っているのは偶然ではなかろう。
ここに来たついでにと訪れたのは、この秋「大圓寺・豪徳寺巡墓会」で御案内する大圓寺の勘定奉行土方勝政に関連して、その息子浦賀奉行土方雲山の墓に寄る。読むのに難儀する墓碑だ。(乙9号2側)
そこから五重塔跡の公園南側にある林研海の墓などを見て引き揚げた。
その後待ち合わせ場所へ行き、一献傾けながら歴史談義に花が咲いたことは言うまでもない。
日曜はかつて一度も訪れたことのない大塚先儒墓所に足を運んだ。柴野栗山の故郷高松に行きながら、墓を訪ねていなかった。
ここは吹上稲荷神社で鍵を借りないと入れない。さすがにこの時期は蚊が多く、草も脛の高さまで生い茂り、見たい墓碑に限って蜘蛛の巣が張られ難儀したが、室鳩巣・木下順庵・尾藤二洲・古賀精里。そしてようやくにして栗山柴野彦輔(=写真)
これでようやく夏休み完結です!やはり、シコクは志國と云ふべし!
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探墓巡礼顕彰会では11月12日(日)に第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」を開催します。
詳しくは下記開催要項をご覧下さい。
第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」開催のお知らせ
参加申込みは下記フォームよりお願いします。
第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」開催のお知らせ申込みフォーム
いつもの千駄木で降り、三崎坂を昇っていく。谷中にも外国人観光客が増えてきたようだ。「圓朝まつり」の幟がはたはたと音をたてていたので、もしやと期待して全生庵をのぞいたら、すでに前日に寄席が終了していた。掲示板をこまめにチェックしていればよかったと悔やむ。
気を取り直して豆大福なんぞ食らいながら電車で調べてきた谷中霊園の第一目的地へ。
幕臣小花作助の墓。小笠原開拓の先駆者で明治政府でも引き続き小笠原に携わった人物。
よく来ていた界隈からやや壁寄りだったため今まで気づかなかったのだろう。東京都による看板も立っていた。(乙3号3側)
ここまで来たらと昨年麟祥院の巡墓会オフ会にて両親の墓とともに紹介した杉浦愛蔵家の墓が、なんと更地になっていたーーこれも悔やまれて仕方ないが、紹介しておいて良かったと思った。(乙3号7側)
昨年の段階で、麟祥院の墓を御遺族が守られている形跡があったので、まだ麟祥院を確かめていないが、何処かお参りしやすい場所へ移したのかもしれない。
ここでも真の目的を忘れず、奥宮慥斎の墓がかつて草茫茫だったのがきれいにされていることに気づきつつ、乙5号3側を目指す。
慶喜公のかかりつけ医師石川良信の墓だ(=写真)。ぐるぐる廻ったあげくようやく見つけるが、高松凌雲や土佐の松岡毅軒の背中合せだった。この人も幕府時代のみならず、墓碑にあるとおり「陸軍軍医監」として明治でも活躍した。高松で追いかけてきた柏原学而の師でもある。仙台の人。桜所とも称する。
慶喜公の墓とやや離れてはいるが、臨める位置に立っているのは偶然ではなかろう。
ここに来たついでにと訪れたのは、この秋「大圓寺・豪徳寺巡墓会」で御案内する大圓寺の勘定奉行土方勝政に関連して、その息子浦賀奉行土方雲山の墓に寄る。読むのに難儀する墓碑だ。(乙9号2側)
そこから五重塔跡の公園南側にある林研海の墓などを見て引き揚げた。
その後待ち合わせ場所へ行き、一献傾けながら歴史談義に花が咲いたことは言うまでもない。
日曜はかつて一度も訪れたことのない大塚先儒墓所に足を運んだ。柴野栗山の故郷高松に行きながら、墓を訪ねていなかった。
ここは吹上稲荷神社で鍵を借りないと入れない。さすがにこの時期は蚊が多く、草も脛の高さまで生い茂り、見たい墓碑に限って蜘蛛の巣が張られ難儀したが、室鳩巣・木下順庵・尾藤二洲・古賀精里。そしてようやくにして栗山柴野彦輔(=写真)
これでようやく夏休み完結です!やはり、シコクは志國と云ふべし!
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探墓巡礼顕彰会では11月12日(日)に第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」を開催します。
詳しくは下記開催要項をご覧下さい。
第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」開催のお知らせ
参加申込みは下記フォームよりお願いします。
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