また性懲りもなくサンライズ瀬戸に乗って土佐へ行っちょった会員のカトケンです。
○高知市内
水源地山の望月亀弥太(=写真)
今年1月に北添佶磨の生家へは行けたのですが(高知県高岡郡日高村岩目地)、
帰りにどうしても望月亀弥太の墓が分からなくて。
何のことはない。すぐ目の前まで来ていたのに入る山を間違えちょっただけやったきね(土佐弁)。
あとで地図見て愕然としたことは言うまでもなかったのですが。
まあ、何よりたどり着けて良かったです。
○香川県仲多度郡琴平町榎井(えない)日柳燕石の墓(=写真)
帰りは高松から寝台に乗るので
いったん琴平で降りて高杉晋作などが匿われた呑象楼へ。榎井小学校の校内に塀が取っ払われた形で建っていた。燕石の胸像もあり。向かいの春日神社には燕石の記念碑が。
呑象楼の元あった場所はここではなく、琴平駅から程近い商店街を抜けたところに呑象楼の跡という石碑が建っている。
そしてこの石碑をまっすぐ突き抜けた正面が日柳燕石の生家跡。ここにも石碑あり。
そこを左に折れて踏切を渡りずんずん行き、右手に日柳燕石の墓これより二丁と刻まれた石碑を頼りに民家の間を抜けていくと、こんもりとした樹の陰にひょっこり墓石が顔を出している。
犬を散歩させている人に会釈をしながら、その木陰のところに来ると両側に石柱を拵え、いくつか記念碑を配した墓地が現われた。(=写真)
これぞ日柳燕石こと加島屋長次郎の墓。向かって右に両親の墓、左には長男の墓。(=写真)
奥には御子孫の墓と思われる新しい墓碑が2基建つ。
琴電の出発時間を気にしながら、フィルム写真の撮影を一通り終え、次の目的地へ。
昨夏と同じ勝手知ったるコース。今回は高松築港まで行かず、栗林公園で降り今回の旅の締めくくりに訪れた姥ヶ池(ばあがいけ)墓地を訪ねる(高松市宮脇町)。
無事、
○徳川慶喜の侍医 柏原学而の墓(=写真)
を見つけて悠々とJR高松駅へ向かったーーおしまい
土佐史談会100年記念行事の写真
○高知市内
水源地山の望月亀弥太(=写真)
今年1月に北添佶磨の生家へは行けたのですが(高知県高岡郡日高村岩目地)、
帰りにどうしても望月亀弥太の墓が分からなくて。
何のことはない。すぐ目の前まで来ていたのに入る山を間違えちょっただけやったきね(土佐弁)。
あとで地図見て愕然としたことは言うまでもなかったのですが。
まあ、何よりたどり着けて良かったです。
○香川県仲多度郡琴平町榎井(えない)日柳燕石の墓(=写真)
帰りは高松から寝台に乗るので
いったん琴平で降りて高杉晋作などが匿われた呑象楼へ。榎井小学校の校内に塀が取っ払われた形で建っていた。燕石の胸像もあり。向かいの春日神社には燕石の記念碑が。
呑象楼の元あった場所はここではなく、琴平駅から程近い商店街を抜けたところに呑象楼の跡という石碑が建っている。
そしてこの石碑をまっすぐ突き抜けた正面が日柳燕石の生家跡。ここにも石碑あり。
そこを左に折れて踏切を渡りずんずん行き、右手に日柳燕石の墓これより二丁と刻まれた石碑を頼りに民家の間を抜けていくと、こんもりとした樹の陰にひょっこり墓石が顔を出している。
犬を散歩させている人に会釈をしながら、その木陰のところに来ると両側に石柱を拵え、いくつか記念碑を配した墓地が現われた。(=写真)
これぞ日柳燕石こと加島屋長次郎の墓。向かって右に両親の墓、左には長男の墓。(=写真)
奥には御子孫の墓と思われる新しい墓碑が2基建つ。
琴電の出発時間を気にしながら、フィルム写真の撮影を一通り終え、次の目的地へ。
昨夏と同じ勝手知ったるコース。今回は高松築港まで行かず、栗林公園で降り今回の旅の締めくくりに訪れた姥ヶ池(ばあがいけ)墓地を訪ねる(高松市宮脇町)。
無事、
○徳川慶喜の侍医 柏原学而の墓(=写真)
を見つけて悠々とJR高松駅へ向かったーーおしまい
土佐史談会100年記念行事の写真