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Channel: 探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-
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『歴史研究』最新号掲載「少年隊士の生き残り佐野常樹とその一族の墓」

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会員のカネコです。
当会幹事メンバーでリレー連載をしている『歴史研究』「掃苔行脚」ですが、最新号は私が書いた「二本松掃苔録⑬~少年隊士の生き残り佐野常樹とその一族の墓~」が掲載されています。



佐野常樹は元の名を浅見四郎といい、二本松少年隊士として戊辰戦争を戦い、その後、縁あって佐賀藩出身で日本赤十字の父と呼ばれた佐野常民の養子となり、初代ニチメン社長となりました。
詳しくは『歴史研究』最新号をご覧頂ければ幸いですが、誌面には青山霊園の常樹の墓写真しか掲載していませんでしたので、常樹の実家である丹羽浅見家の墓所と丹羽浅見家の祖である浅見忠政の墓の画像を掲載します。

丹羽浅見家の墓所は二本松市成田にある藩主丹羽家の菩提寺である曹洞宗巨邦山大隣寺で、今年の7月に二本松製糸工場の創設者である山田脩の墓所をお寺の方に尋ね案内して頂いた際、山田家墓所に隣接した所に、この丹羽浅見家の墓所を見つけました。



初代忠政の墓は同市竹田にある真宗大谷派棚倉山正慶寺にあり、子孫が建てた比較的新しい墓碑の側面にその名が刻まれています。同墓地には少年隊隊長木村銃太郎の墓もあります。正慶寺は私の母方の墓がある事から幼少時より何度も訪れていますが、この浅見家の墓碑に気づいたのは8年前の事です。



14名の戦死した二本松少年隊士の最期は、会津白虎隊士の自害に並び、東北諸藩の戊辰の悲劇を象徴したものでありますが、生き残った隊士達がその後どのような人生を歩んだかという事は意外と知られていません。
最近は少年隊士に限らず、戊辰を生き残った二本松藩士が明治という新しい世をどのように生き抜いたか?という事に非常に興味があります。
今後の連載でも戊辰を生き残った二本松藩士達を取り上げて行きたいと思っています。

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探墓巡礼顕彰会では12月13日(日)に【探墓巡礼顕彰会オフ会-芝金地院巡墓会-】を開催します。
詳しくは下記開催要項をご覧下さい。
探墓巡礼顕彰会オフ会-芝金地院巡墓会-
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