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Channel: 探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-
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中野村と名主堀江家と宝仙寺

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会員のカネコです。
とある理由で現在の中野区の中央、中野、本町周辺にあった中野村の事を調べています。

先月21日(月)に中野区立中央図書館など、中野区内を巡ってきました。
中野区立中央図書館はJR中野駅から徒歩10分弱の所にあり、なかのZEROの館内にあります。中はとても綺麗で、中野区の郷土資料が豊富にあり、なかなか良い図書館でした。



中野村といえば、5代将軍綱吉が出した「生類憐れみの令」によって作られた中野御囲(犬屋敷)があった所です。現在のJR中野駅の周辺にあったと言われ、駅前にある区役所にはその事を記念した犬の像があります。



「生類憐れみの令」は「天下の悪法」と言われましたが、動物愛護の精神から学ぶものがあるのでは無いかと思っています。将軍綱吉の治世もだいぶ評価されるようになりましたし、奸臣と言われた柳沢吉保も実は安定した治世を補弼した名臣だったという評価もあります。水戸光圀との不和も実は無かったと言われますし、赤穂事件の対応も決して悪いものでは無かったとの評価もあります。以前、当会の巡墓会で賄賂政治家と呼ばれた田沼意次の再評価を行いましうたが、いずれ柳沢吉保についても取り上げてみたいと思っています。

中野村の中心は現在のJR中野駅の周辺では無く、中野区中央の宝仙寺付近であり、青梅街道の宿場町として発展していました。
中野村の名主は堀江家といい、家伝では始祖堀江兵部が越前より農民十数名を連れ、この地にやって来て、弘治元年(1555)に中野村の開発を始めたとされています。当時の領主小田原北条氏より支配権を認められ、その後、徳川幕府からも名主を命じられ、江戸期を通じて中野村最大の有力者となりました。
その墓所は前述の宝仙寺の墓地に2ヶ所に分かれて現存しています。





宝仙寺の墓地は4月5日に調査して来ました。

この宝仙寺には伊達政宗の弟秀雄の墓もあります。



伊達政宗の弟と言えば、政宗が小田原に参陣する直前に自ら手討ちにした伊達小次郎が知られています。大河ドラマ『独眼竜政宗』でも大変印象的なシーンでした。
伊達家の系図には政宗の弟としてこの小次郎しか記載されておらず、秀雄という人物は見あたりません。
この秀雄は五日市横沢の大悲願寺の住職であり、同寺の記録によって政宗の弟という事が明らかになっています。秀雄はその後、宝仙寺の住職となったため、同寺に墓所があります。
この秀雄は小次郎と同一人物で実は政宗が密かに逃したという説もありますし、、別人で父輝宗の庶子だったため、伊達家の系図には出てこないという説もあります。真相を明らかにする事は難しそうですが、私個人としては、やはり小次郎を斬らずに逃していたらいいなという願望があります。

前述の堀江家に関しては大量の古文書が残されており、これらは東京都立大学に寄贈され、現在は首都大学東京に保管されています。
一部は翻刻され『武蔵国多摩郡中野村名主堀江家文書翻刻』として中野区立歴史民俗資料館より刊行されています。この本は都立中央図書館や中野区立中央図書館にて閲覧できます。また中野区立中央図書館には堀江家文書の中の絵図のみを複写した『堀江家文書絵図』全2冊があり、そこに中野区立歴史民俗資料館に他の文書の複写があると書いてあったので、歴史民俗資料館に問い合わせた所、文書を撮影し出力したものがあり、事前連絡で閲覧できるとの事で、近いうちに閲覧しようと思っています。

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