会員のカネコです。
一昨日、5月17日(日)に第12回巡墓会「伝通院巡墓会~「江戸」と「明治」が息づく墓地~」を開催いたしました。
2009年から始めたこの会も6年経ちましたが、今回も無事に終える事ができました。
ご参加頂いた皆様には4時間、暑い中お付き合い頂き、改めて感謝申し上げます。
今年は徳川家康公没後400年という節目の年であり、徳川家と縁の深い伝通院で巡墓会が出来た事は当会にとっても意義深いものとなりました。
今回、巡墓した人物は下記となります。
【伝通院】
徳川家 将軍家一族
お大の方 家康生母
千姫 秀忠長女 豊臣秀頼正室
鷹司孝子 家光正室
徳川綱重 家光三男 甲府宰相(墓碑無し)
柴田錬三郎 作家『眠狂四郎』『御家人斬九郎』『水滸伝』『徳川太平記』
澤宣嘉公家・七卿落ち・外務卿
藤井紋大夫徳昭 徳川光圀家臣・藤井紋太夫誅殺事件
杉浦重剛 教育家 思想家 昭和天皇の師
清河八郎 庄内出身の志士 浪士組
ジョセフ岡本三衛門 イエズス会宣教師
千種任子 明治天皇側室
穂積清軒 中島三郎助甥、三河吉田藩士、蘭学者(墓碑無し)
【真珠院】
水野忠成 沼津藩主 老中
その他、浪士組結成の地処静院跡と幕末の処静院住職琳瑞和尚のお墓もご紹介しました。
各講師がそれぞれの人物に想いを込め、様々な資料を調べ解説いたしました。レジュメも後から読み返せるよう詳細な内容に仕上げました。
私個人としては昨年1年間、講師を休んでいましたが、今回は久々の講師復帰ともあって、少々力が入り解説が長くなってしまいましたが、やはり講師としては伝えたい事がありますので、この辺はご寛恕頂ければと思います。皇室や徳川家というのは歴史に興味も持った小学生の段階から大切にしてきた事なので、昨日はその辺の話しが出来たことで満足しております。
釣先生ご夫妻のお元気な姿を見る事ができ、我が会としてはとても良い1日となりました。
伝通院様にもこの場を借りて改めて御礼申し上げます。
定例秋の巡墓会については開催の可否も含め近いうちに話し合った上で、発表いたしますが、引き続き当会へのご支援・ご指導・ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。
【レジュメの訂正と質問回答】
レジュメの訂正と質問がありました件につき回答いたします。
・P.14 16行目 誤:扇町實徳→正:正親町實徳
・千種任子の墓碑について「典侍」と刻まれていますが、最終の位階は「権典侍」ではないかとのご指摘がありました。私もこの点は調査不足でありました。確かに『明治の宮廷と女官』(扇子忠著)巻末の「明治時代女官任官状況」によると明治40年典侍高倉寿子・柳原愛子、権典侍千種任子とあり、その後、大正3年になると典侍高倉寿子・小倉文子、権典侍姉小路良子となり、千種任子の名がありません。ただ、『華族大観』『新修昭和華族家系大成』の任子の項目には典侍とあり、一時期典侍となっていたものと考えられます。
手元の資料で分かる事は以上となりますが、また機会がありましたらご報告したいと思います。
一昨日、5月17日(日)に第12回巡墓会「伝通院巡墓会~「江戸」と「明治」が息づく墓地~」を開催いたしました。
2009年から始めたこの会も6年経ちましたが、今回も無事に終える事ができました。
ご参加頂いた皆様には4時間、暑い中お付き合い頂き、改めて感謝申し上げます。
今年は徳川家康公没後400年という節目の年であり、徳川家と縁の深い伝通院で巡墓会が出来た事は当会にとっても意義深いものとなりました。
今回、巡墓した人物は下記となります。
【伝通院】
徳川家 将軍家一族
お大の方 家康生母
千姫 秀忠長女 豊臣秀頼正室
鷹司孝子 家光正室
徳川綱重 家光三男 甲府宰相(墓碑無し)
柴田錬三郎 作家『眠狂四郎』『御家人斬九郎』『水滸伝』『徳川太平記』
澤宣嘉公家・七卿落ち・外務卿
藤井紋大夫徳昭 徳川光圀家臣・藤井紋太夫誅殺事件
杉浦重剛 教育家 思想家 昭和天皇の師
清河八郎 庄内出身の志士 浪士組
ジョセフ岡本三衛門 イエズス会宣教師
千種任子 明治天皇側室
穂積清軒 中島三郎助甥、三河吉田藩士、蘭学者(墓碑無し)
【真珠院】
水野忠成 沼津藩主 老中
その他、浪士組結成の地処静院跡と幕末の処静院住職琳瑞和尚のお墓もご紹介しました。
各講師がそれぞれの人物に想いを込め、様々な資料を調べ解説いたしました。レジュメも後から読み返せるよう詳細な内容に仕上げました。
私個人としては昨年1年間、講師を休んでいましたが、今回は久々の講師復帰ともあって、少々力が入り解説が長くなってしまいましたが、やはり講師としては伝えたい事がありますので、この辺はご寛恕頂ければと思います。皇室や徳川家というのは歴史に興味も持った小学生の段階から大切にしてきた事なので、昨日はその辺の話しが出来たことで満足しております。
釣先生ご夫妻のお元気な姿を見る事ができ、我が会としてはとても良い1日となりました。
伝通院様にもこの場を借りて改めて御礼申し上げます。
定例秋の巡墓会については開催の可否も含め近いうちに話し合った上で、発表いたしますが、引き続き当会へのご支援・ご指導・ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。
【レジュメの訂正と質問回答】
レジュメの訂正と質問がありました件につき回答いたします。
・P.14 16行目 誤:扇町實徳→正:正親町實徳
・千種任子の墓碑について「典侍」と刻まれていますが、最終の位階は「権典侍」ではないかとのご指摘がありました。私もこの点は調査不足でありました。確かに『明治の宮廷と女官』(扇子忠著)巻末の「明治時代女官任官状況」によると明治40年典侍高倉寿子・柳原愛子、権典侍千種任子とあり、その後、大正3年になると典侍高倉寿子・小倉文子、権典侍姉小路良子となり、千種任子の名がありません。ただ、『華族大観』『新修昭和華族家系大成』の任子の項目には典侍とあり、一時期典侍となっていたものと考えられます。
手元の資料で分かる事は以上となりますが、また機会がありましたらご報告したいと思います。