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東京近郊霊園所在の華族墓①(田中子爵家墓所(田中不二麿))

幹事の黒坂です。
最近更新が滞っており、申し訳ありませんでした。
写真の整理をようやく再開出来るようになったので、今後はその中から厳選紹介をしていきたいと思います。

今日紹介したいのは、東京近郊霊園所在の華族墓です。
ご存知の方もいると思いますが、都営霊園(青山霊園・多磨霊園など)や寺院墓地(護国寺など)に多くの諸侯・公家・新家族の墓所があります。
確かに23区内には多くの華族墓がありますが、東京の市域や近県に造られた郊外型霊園にも建立されています。
これから複数回に分けて、その中からごく一部ですが、紹介していきたいと思います。

第1回目は、田中不二麿です。
田中不二麿は幕末~維新期に活躍した名古屋藩士です。
名前は「不二麻呂」とも表記され、寅三郎や国之輔とも称していました。位階は正二位。子爵。号は「夢山」です。
幕末期には尊攘派の「金鉄組」に属し、尊皇攘夷の大道を説き続け、同僚の丹羽賢、中村修らとともに尊皇攘夷建白書を藩内要職者に提出しました。
尾張藩内で発生した青松葉事件以後、徳川慶勝の片腕となって藩論の統一に尽力し、一躍藩の内外にその名を知られるようになります。
慶応3年(1867)、王政復古後は新政府の参与となり、同日の小御所会議に尾張藩代表として出席した。明治4年(1871)に文部省出仕と同時に岩倉遣欧使節団理事官となり、欧米の教育制度の調査に当たりました。
帰国後は文部大輔まで進み、学制実施と教育令制定を主導しましたが、明治13年(1880)に司法卿に転じました。
以降、参事院副議長、駐伊特命全権公使、駐仏特命全権公使、枢密顧問官、司法大臣を歴任し、近代日本政治に深く寄与した大人物です。
明六社会員の会員でもあり、島崎藤村の長編小説『夜明け前』や、井上ひさしの戯曲『國語元年』に登場します。

不二麿は始め、谷中霊園に埋葬されていましたが、後にあきる野市にある五日市カトリック墓地に改葬されています。
谷中霊園時代の墓碑には、「夢山田中不二麻呂之墓」と記され、元々は神式型墳墓でした。
現在はカトリック墓地に所在するということから子孫はキリスト教へと改宗したとみられます。
墓域には、真新しい墓石が3基並び、一番右の墓誌に名前が刻まれています。
田中子爵家の墓所は、雑司ヶ谷霊園にもあり、田中不二麿の跡を継いだ田中阿歌麿とその家族の墓所となっています。

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