Quantcast
Channel: 探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-
Viewing all articles
Browse latest Browse all 302

企画展「しずおか別荘ものがたり」を見て~静岡市歴史博物館開館2年を問う~

$
0
0
会員のカトケンです。

2月の土佐史談会関東支部例会のため、京丹後から東京まで足を伸ばした後、実家のある静岡に戻り、開館2周年を迎えた静岡市歴史博物館に企画展「しずおか別荘ものがたり」を見に行った(写真は昨年4月末から6月までの今川義元展のパネルから)。


その場所は、昔静岡市立図書館があった場所で、荘厳な建物に静謐な雰囲気が幼かったときの記憶から甦るが、元をたどれば明治時代に葵文庫と言って、江戸幕府旧蔵書を所蔵していた場所であった。その後は青葉小学校になっていて、就職してから営業でお客さんである教師の方を訪ねたことがあった(のち廃校)。

企画展は3階に上がり、目の前の駿府城巽櫓や富士山が眺められる展望台を通って入るのだが(=写真)、その日は展示室に向かう途中、講演をされている第2代館長大石学先生の声が館内に響いていた。NHKEテレの「知恵泉」で聞き慣れたお声だけにすぐに判った。


展示は、井上馨の長者荘にまつわるものや遺品が配置され、だいたい文化財資料館のときの企画展《御楯組血盟書》で並べられたものをさらに充実させた感じであった。

御楯組血盟書 - 探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

会員のカトケンです。今回は閑話休題ーー墓は出てこない。地元静岡の市立美術館で「坂本龍馬没後150年特別展」が開催されている。東京国立博物館や長崎などを巡回し、なぜか...

goo blog

 
常設展示にある井上馨立像もあったから、バラエティ豊かな常設展から今後の企画展をある程度占うことができるかもしれない。

井上馨といえば、小弟は平成元年の日本テレビ年末時代劇スペシャル「奇兵隊」の萩原流行を思い浮かべてしまう。堤大二郎演じる伊藤俊輔とともに英国に密航し、英仏蘭米四国連合艦隊が下関を砲撃すると倫敦で新聞を読んで知り、急ぎ帰国。敗戦後、松平健演じる高杉晋作が偽家老宍戸某となってデーブ・スペクター扮するアーネスト・サトウと談判を伊藤が通訳していた(日本語でしゃべっていた気がするが)。

そんな幕末の激的な展開に息を飲み、その後山口市内の袖解橋で井上が俗論派に襲撃されるところなども印象的で、現場を訪ねたことがあったほどだ。ご存知のとおり、井上は瀕死の重傷を負いながら祖母の励ましと居合わせた美濃の医師所郁太郎の手術により、奇跡的に生き永らえ、明治時代に政治家として活躍できたのである。

そのような生涯を知っていただけに、静岡での企画展が再び行われたことに感慨深いものがあった(=写真)。


もう一人の主役、西園寺公望と坐魚荘も思い出深い経験がある。大学を卒業し静岡に戻って就職、営業車でたまたま静岡高校の近くを通ったとき、パン屋のドアに痩せっぽちの西園寺公望の写真が貼られているのに気づいた。なんだろうと思って見てみると、《西園寺公望と興津》という企画展が当時まだ清水市だった(現静岡市清水区)フェルケール博物館で行われている宣伝ポスターであった。

早速史学科出身の元請けの営業さんを誘って仕事をさぼって(?)清水へ見に行ったことが思い出される。若かったから無茶なことをしたものだが、営業は当時比較的自由な時間があり、売上げさえ目標分をこなしていれば何も言われることはなかった。そのとき、西園寺のデスマスクが展示され印象的だった記憶があり、やはり今回の展示でもお目見えしていた。

ともあれ、元老である西園寺詣でを時の政治家がこぞって行い、列をなすほどだったというからその盛況ぶりや如何に。

坐魚荘でボランティアさんが昭和の初めまで清見潟と呼ばれた興津はリゾート地であったと聞いたことも今となっては懐かしくなる。父が当時の別荘旅館で興津の脇本陣だった水口屋のことをしきりに口にしていたことが思い出される。大人の修学旅行よろしく、愛知県犬山市の明治村に移設された本物の坐魚荘を見に行ったことも楽しい思い出である。

だが、展示では井上と西園寺は取り上げられていたが、そのほかに興津に別荘を構えた、例えば成蹊学園を創始し、父親が元駿府与力であった中村秋香の別荘「松の下庵」や伊藤博文の養子で井上馨の甥である伊藤博邦の「独楽荘」、TOTO(東洋陶器)創業者大倉和親別荘などは、その一部の位置がパネルで示されていただけで、それら人物たちの解説がなかったのは寂しい気がした。備後国福山藩主阿部正桓の別荘は備品目録の展示があったようだが、川崎重工や川崎汽船の川崎正蔵の別荘「海水楼」などについても、できる限り詳しく取り上げて欲しかったと思う。

ただ、これらは将来の企画展で取り上げるネタとして取っておくということもあろうし、まとまった遺品が揃うという条件の無せる技なのかもしれない。そもそも長者荘や坐漁荘の存在を知らない人もいるだろう。

丸伸の石川たか子さんや父が設立前から応援してきた市の歴史博物館をもっと盛り立てるため、これからも時間の許す限り継続してモニターしていこうと思う。盛んに行われているトークイベントなど、静岡市民がもっと来てくれる、身近に感じてくれる館になることを期待したい。

ともあれ、開館2周年を過ぎ、今まで徳川家康・静岡浅間神社・臨済寺・静岡鉄道など単純明快で分かりやすいテーマが取り上げられてきたが、中でも今川義元展がいちばん充実していた。

展示が天・地・人のコーナーに分かれていたことがまずかっこ良かったし、とりわけ家臣団の概要が示され、苗字をたどることができるヒントが与えられた。この辺りも図録にきちんと記述されており、研究の伸びしろが期待される。

今川義元といえば、80年代からテレビで描かれた桶狭間にて信長に撃たれる貧弱な公家のイメージを払拭し、駿河を治めた大名として歴史上の人物に格上げされた観があり、感慨深いものがある。

静岡の殿様といえば、家康では天下人過ぎて、ともに臨済寺に墓のある今川義元や静岡県令関口隆吉がしっくり来る。あるいは米子に転封した豊臣大名中村一氏を取り上げるなど、挑戦的な試みもして欲しいものである。

関西では、この2月に大阪府岸和田市で大河ドラマ「功名が辻」で一氏を演じたタレントが「岸和田城冬の陣」と題し天守復興70周年を記念し復活した武者行列に呼ばれていたと報道されていたことが記憶に新しい。

静岡はというと、大河ドラマ「どうする家康」で今川氏真を演じた俳優が一昨年の春の静岡まつりに参列したなど見直しの機運もあって、そうした知名度の向上から、もっと歴史的な位置づけがなされることを期待してやまない。

静岡市は案外、歴史の宝庫だと言えそうだ。幼いころ、父から家康が安倍川の流れを変えた(安倍川の東に安西の地名があることが証拠)とか、駿府城の瓦を作る職人を愛知県渥美半島から呼んだために葵区瓦場町には「渥美」の苗字が多いなどと教えてもらったことがこうして今につながっている。

これからも先祖を追いかけつつ、生まれ故郷静岡市をめぐる歴史の旅を続けていきたい。4月26日から始まる企画展「明治維新と静岡〜徳川慶喜、家達と旧幕臣たち」も今から楽しみにしている。
(俳優の名前は敬称を略しました。)*******************************************************************★ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』のご注文は下記フォームよりお申込みください。
『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』購入申込みフォーム
★ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の告知チラシを公開しています。
流星忌・ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の告知チラシが出来ました

★下記SNSにて当会の最新情報を更新しています。是非フォローください。
twitter
Instagram*******************************************************************

Viewing all articles
Browse latest Browse all 302

Trending Articles