会員のカトケンです。
今月19日に友人の平沼久美子さんが急逝した。歴史家釣洋一先生の店、春廼舎で知り合ってから交流は10年以上になる。
しばらくして新選組土方歳三が好きで函館に移住したと聞いて驚いたものだった。
確か平成26年6月だったと記憶するが、函館の碧血祭があったとき、同行した小杉さん(雅之進子孫)、中島さん(三郎助子孫)が土方愛さんや柳川熊吉のご子孫とともに北海道新聞の対談企画に参加している間、平沼さんに函館を案内してもらった。
高龍寺に渋田利右衛門一族の墓があると看板で知って、ずいぶん墓域を巡って探してくれたり、弁天台場跡や新選組最後の地の碑など知らないところにも連れて行ってくれたりしたことが思い出される。
その後、小杉さんの運転で江差など南北海道をめぐり、ずいぶん楽しい時間を過ごしたことが大変懐かしい。
その頃は函館に移住してまだ1,2年だったと思うが、もう専属タクシー運転手がいて驚かされたものだ。
いつも元気をもらっていて、小弟はラインで彼女をからかってばかりだったが、そんなやり取りをしてもお構いなく接してくれ、気を許せる人だった。
金子幹事の投稿にもあったとおり、我々が『探墓巡礼ー谷中編』を出版したとき、本当に力になってくれ、方々に売り込んだり、函館に来る観光客向けに職場に置いてくれたりしたことは大変励みになったし、感謝この上なかった。
ただの歴史好きにとどまらず、具体的に行動してくれる人だった。
そのことはかつてこのブログにも投稿したように、ポプラ社の漫画で榎本武揚が取り上げられたとき、筆者の方を榎本武揚のご子孫に紹介されたことでも明らかだ。そういうつなぎ役でもあった。
漫画版 幕末・維新人物伝 榎本武揚、本日刊行!
江差のお母さんと彼女が慕っていた方からも、江差のイベントに必ず顔を出してくれたし、昨年末東京であった北海道江差町紹介のイベントにもかけてくれたとその行動ぶりが偲ばれる。歴史のみならず、地域おこしにも参画されていただけに惜しまれてならない。
行動力が抜群で、日ごろ誰にも明るく接してくれていただけに、もしかしたらどこかで無理がたたっていたのかもしれない。
一度だけ恋愛のことで、自分の気持ちを告げずにその人と離れ離れになるのだと聞いたことがある。そのような内面を抱え、普段の明るい性格とまた違った一面を持っていたことは彼女の奥深さを垣間見た気がした。
ともあれ、件の小杉さんをよく慕っていて、これも一度だけ小杉さんが亡くなられたことを酷く寂しがっていたことがあったので、一緒に旅したときにフィルムカメラで撮った写真を送ってあげたことがあった。そうした一面もあったと皆さんにぜひ覚えておいて欲しい。
享年44才。きっと彼女は「北斗の星」になって、我々を照らし続けてくれると信じ哀悼の誠を捧げたい。
久美ちゃん、本当にありがとう!良き友を得て、俺は嬉しかったよ。
今月19日に友人の平沼久美子さんが急逝した。歴史家釣洋一先生の店、春廼舎で知り合ってから交流は10年以上になる。
しばらくして新選組土方歳三が好きで函館に移住したと聞いて驚いたものだった。
確か平成26年6月だったと記憶するが、函館の碧血祭があったとき、同行した小杉さん(雅之進子孫)、中島さん(三郎助子孫)が土方愛さんや柳川熊吉のご子孫とともに北海道新聞の対談企画に参加している間、平沼さんに函館を案内してもらった。
高龍寺に渋田利右衛門一族の墓があると看板で知って、ずいぶん墓域を巡って探してくれたり、弁天台場跡や新選組最後の地の碑など知らないところにも連れて行ってくれたりしたことが思い出される。
その後、小杉さんの運転で江差など南北海道をめぐり、ずいぶん楽しい時間を過ごしたことが大変懐かしい。
その頃は函館に移住してまだ1,2年だったと思うが、もう専属タクシー運転手がいて驚かされたものだ。
いつも元気をもらっていて、小弟はラインで彼女をからかってばかりだったが、そんなやり取りをしてもお構いなく接してくれ、気を許せる人だった。
金子幹事の投稿にもあったとおり、我々が『探墓巡礼ー谷中編』を出版したとき、本当に力になってくれ、方々に売り込んだり、函館に来る観光客向けに職場に置いてくれたりしたことは大変励みになったし、感謝この上なかった。
ただの歴史好きにとどまらず、具体的に行動してくれる人だった。
そのことはかつてこのブログにも投稿したように、ポプラ社の漫画で榎本武揚が取り上げられたとき、筆者の方を榎本武揚のご子孫に紹介されたことでも明らかだ。そういうつなぎ役でもあった。
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江差のお母さんと彼女が慕っていた方からも、江差のイベントに必ず顔を出してくれたし、昨年末東京であった北海道江差町紹介のイベントにもかけてくれたとその行動ぶりが偲ばれる。歴史のみならず、地域おこしにも参画されていただけに惜しまれてならない。
行動力が抜群で、日ごろ誰にも明るく接してくれていただけに、もしかしたらどこかで無理がたたっていたのかもしれない。
一度だけ恋愛のことで、自分の気持ちを告げずにその人と離れ離れになるのだと聞いたことがある。そのような内面を抱え、普段の明るい性格とまた違った一面を持っていたことは彼女の奥深さを垣間見た気がした。
ともあれ、件の小杉さんをよく慕っていて、これも一度だけ小杉さんが亡くなられたことを酷く寂しがっていたことがあったので、一緒に旅したときにフィルムカメラで撮った写真を送ってあげたことがあった。そうした一面もあったと皆さんにぜひ覚えておいて欲しい。
享年44才。きっと彼女は「北斗の星」になって、我々を照らし続けてくれると信じ哀悼の誠を捧げたい。
久美ちゃん、本当にありがとう!良き友を得て、俺は嬉しかったよ。