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Channel: 探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-
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追悼 小美濃清明さん

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会員のカトケンです。

作家宮地佐一郎に師事し、『坂本龍馬と刀剣』『坂本龍馬・青春時代』『坂本龍馬と竹島開拓』(=写真)などの著書がある小美濃清明さんが今月5日、逝去された。



先月23日に主宰する幕末史研究会で自ら「土佐藩15代藩主・山内容堂の実像」を講演されたばかりだった。

ご病気からの回復と会の記念すべき300回開催を祝うべく一も二もなく駆け付けた。ご講演では張りのあるお声が健在、残りの人生を山内容堂の研究に捧げたいと宣言された矢先だっただけに悔やまれてならない。

懇親会で少しお話しすることができたが、それが言葉を交わした最後になろうとは露ほどにも思わなかった。

思えば、平成17年土佐史談会関東支部の立ち上げに際し事務局を務められ、その後理事として支部活動を軌道に乗せた大功労者である。

しかしながら、その後諸事情により小美濃さんは1会員に戻ったため、理事を未だに続けている小弟とは疎遠になってしまったが、幕末史研究会に時々顔を出すこともあって交流が全く途絶えるということはなかった。参加時にはあたたかく迎えてくださったことに感謝したい。

よく高知へ通っては高知市民図書館などで新たな資料の発掘に努めていた。土佐藩士が戊辰戦争に従軍した際の手記を翻刻した『宮地団四郎日記』はその賜で、未公開の資料を世に問うたことは貴重な業績である。

また、ライフワークの坂本龍馬を没後150年を期に『坂本龍馬大鑑』にまとめられたことは、宮地佐一郎の後継者として『坂本龍馬全集』の平成版をまとめたと言っても過言ではなかろう。

心残りなのは、土佐藩士秋山久作についてもっと資料のありかなどを聞いておけば良かったことである。この秋山久作(青山霊園の大久保利通墓の近くに眠る)は刀剣家であり、元々刀剣家でもある小美濃さんとは相通じるものがあったのではなかろうか。

秋山は、明治10年に高知県内の政治勢力につきその人物たちを軸に報告を行った人で、佐佐木高行日記『保古飛呂比』に記述がある。小弟が卒論を書くときに貴重な証言として重宝したものだ。平尾道雄が『立志社と民権運動』でその評を「秋山久作人物月旦」と呼んでいるのが気に入って、拙論にもその表現を借りたが、もう少し秋山のプロフィールを知るべく小美濃さんの知見にあやりたかった。

傑作なのは、『坂本龍馬と刀剣』に高知の郷土史家谷是さんのご母堂から「それは坂本龍馬の友だちじゃ」という証言を引き出したことである。戦前に刊行された藤本尚則『青年坂本龍馬の偉業』を糸口に知られざる人物との交流を探り当てたことは、先の講演でも自身で「私は調べ魔ですから」とおっしゃっていたことを彷彿とさせる。

谷是さん編集の『高知県の不思議事典』で高知県外からたった2人、小美濃さんと小弟が執筆したことは今となっては貴重な、良き思い出である。

それにしても、幕末史研究会で忘年会に切り替わる12月を除き、毎月様々な分野の歴史家(学者から在野史家まで)を講演させた豊富な人脈とそれを引き受けさせた説得力には驚嘆する。ご病気での断絶はあったにせよ、300回は偉業と言うしかない。

そのようにして数々の歴史愛好家を喜ばせてくれた小美濃さんに改めて敬意を表したい。どうぞ、安らかにお休みください。心よりお悔やみ申し上げます。合掌

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