会員のカトケンです。
今年の正月はいつもの仲間と富士で飲むことになり、夕方まで時間があるので、沼津まで足を伸ばし駅前の蓮光寺を訪れた。荒井郁之助の叔父成瀬正典の墓を探したかったからだ。何年か前に訪れたが見つけられなかった。
成瀬はポーハタン号に乗って日米修好通商条約の批准のため米国に渡った人物としてはあまり知られていない。
新見正興、村垣範正、小栗豊後守忠順に比べて知名度が低いからだらうか。その写真がこの度風狂童子から発売された『勝海舟関係写真集』(=写真)に載っている。これはなかなかシブいチョイスだと思う。
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その写真の所有者は石井至誠氏という。この石井氏のご先祖は成瀬の妻タキの姉妹フクの夫石井至凝。小筒組差図役頭取を経て沼津兵学校資業生2期、横浜税関に勤務した人。その息子至喬は釜山税関に務めた。
今回同山に墓碑のある吉田泰門は見つけられたが、成瀬には辿りつけなんだ。吉田は慶応4年(1868)陸軍御用取扱、翌明治2年沼津勤番組世話役頭取。明治8年(1875)12月25日没、享年44才(=写真。右側の戒名:真光院圓覺道照居士)。
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孫に日清役後、日本領となった台湾に当時東洋一の長さ(1,500メートル強)を誇る鉄橋をかけるのに尽力し、その完成を見ず40才で亡くなった鉄道技師飯田豊二がいる。
妻暢は成島柳北の娘。なお、成島柳北の別の娘の墓が静岡市葵区沓谷霊園にある(黒水家の墓。以前ブログに紹介した梅澤孫太郎墓の隣)。
成瀬は慶応4年(1868)砲兵頭陸軍御用取扱、翌明治2年7月2日没(1869・8・9)、享年47才。
日本人として幕末に真っ先に海外へ行きながら、明治という新しい時代をほとんど見ることがなかった、小栗忠順同様の人物の墓探しをこれからも続けたい。
ちなみに一昨日は、出版舎風狂童子から発売された『勝海舟関係写真集』著者のひとり高山みな子さんと新年会で一緒になり、勝家や目賀田家のふるさと・米山検校・渋田利右衛門などの話に花が咲いた。
そして昨夜は日蘭協会新年会にて佐倉の山岡さんと久しぶりにお目にかかり、仲間が佐藤泰然を書いたのでぜひ読んでくださいと『探墓巡礼ー谷中編』を謹呈。本のチラシもお渡しした。
これも日蘭協会に誘ってくださった小杉雅之進ご子孫故伸一さんのお導きであらう。昨年の伸一さんをしのぶ会では大雄寺にまだ知らぬ小杉家の墓があることを雅之進の兄直吉のご子孫からうかがった。
正月に詣でた静岡市蓮永寺の小杉直吉墓(=写真)には、■正面[正五位小杉直吉墓]、右面に直吉について[泰嶺院殿松韻日響居士/明治三十六年(1903)八月廿四日歿行年六十八]と刻む。また左面には[泰信院殿清庫日貞大姉/小杉直吉妻庫子、行年六十七。明治四十三年(1910)八月十日死/泰溪院妙峰日通大姉/行年七十歳。大正十年(1921)十二月六日没]とある。最後の女性は関係不明。
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『探墓巡礼ー谷中編』でこの直吉墓を取り上げながら碑面を載せそびれたので、ここで補っておきたい。
おまけーー沼津駅前のビルに貼ってあった韮山のイベントチラシ(今週末の催し)
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流星忌・ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の告知チラシが出来ました
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今年の正月はいつもの仲間と富士で飲むことになり、夕方まで時間があるので、沼津まで足を伸ばし駅前の蓮光寺を訪れた。荒井郁之助の叔父成瀬正典の墓を探したかったからだ。何年か前に訪れたが見つけられなかった。
成瀬はポーハタン号に乗って日米修好通商条約の批准のため米国に渡った人物としてはあまり知られていない。
新見正興、村垣範正、小栗豊後守忠順に比べて知名度が低いからだらうか。その写真がこの度風狂童子から発売された『勝海舟関係写真集』(=写真)に載っている。これはなかなかシブいチョイスだと思う。
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その写真の所有者は石井至誠氏という。この石井氏のご先祖は成瀬の妻タキの姉妹フクの夫石井至凝。小筒組差図役頭取を経て沼津兵学校資業生2期、横浜税関に勤務した人。その息子至喬は釜山税関に務めた。
今回同山に墓碑のある吉田泰門は見つけられたが、成瀬には辿りつけなんだ。吉田は慶応4年(1868)陸軍御用取扱、翌明治2年沼津勤番組世話役頭取。明治8年(1875)12月25日没、享年44才(=写真。右側の戒名:真光院圓覺道照居士)。
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孫に日清役後、日本領となった台湾に当時東洋一の長さ(1,500メートル強)を誇る鉄橋をかけるのに尽力し、その完成を見ず40才で亡くなった鉄道技師飯田豊二がいる。
妻暢は成島柳北の娘。なお、成島柳北の別の娘の墓が静岡市葵区沓谷霊園にある(黒水家の墓。以前ブログに紹介した梅澤孫太郎墓の隣)。
成瀬は慶応4年(1868)砲兵頭陸軍御用取扱、翌明治2年7月2日没(1869・8・9)、享年47才。
日本人として幕末に真っ先に海外へ行きながら、明治という新しい時代をほとんど見ることがなかった、小栗忠順同様の人物の墓探しをこれからも続けたい。
ちなみに一昨日は、出版舎風狂童子から発売された『勝海舟関係写真集』著者のひとり高山みな子さんと新年会で一緒になり、勝家や目賀田家のふるさと・米山検校・渋田利右衛門などの話に花が咲いた。
そして昨夜は日蘭協会新年会にて佐倉の山岡さんと久しぶりにお目にかかり、仲間が佐藤泰然を書いたのでぜひ読んでくださいと『探墓巡礼ー谷中編』を謹呈。本のチラシもお渡しした。
これも日蘭協会に誘ってくださった小杉雅之進ご子孫故伸一さんのお導きであらう。昨年の伸一さんをしのぶ会では大雄寺にまだ知らぬ小杉家の墓があることを雅之進の兄直吉のご子孫からうかがった。
正月に詣でた静岡市蓮永寺の小杉直吉墓(=写真)には、■正面[正五位小杉直吉墓]、右面に直吉について[泰嶺院殿松韻日響居士/明治三十六年(1903)八月廿四日歿行年六十八]と刻む。また左面には[泰信院殿清庫日貞大姉/小杉直吉妻庫子、行年六十七。明治四十三年(1910)八月十日死/泰溪院妙峰日通大姉/行年七十歳。大正十年(1921)十二月六日没]とある。最後の女性は関係不明。
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『探墓巡礼ー谷中編』でこの直吉墓を取り上げながら碑面を載せそびれたので、ここで補っておきたい。
おまけーー沼津駅前のビルに貼ってあった韮山のイベントチラシ(今週末の催し)
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