Quantcast
Channel: 探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-
Viewing all articles
Browse latest Browse all 302

榎本ー片岡ー郡司ー白瀬

$
0
0
会員のカトケンです。

あけましておめでとうございます。

昨年11月晦日土佐史談会関東支部の発表で那須盛馬こと片岡利和を取り上げたとき、千島の話をした。

片岡は明治25年(1892)に千島を探検し、最北の占守島に上陸。「片岡湾」の名を残した。その後、幸田露伴の実兄郡司成忠が白瀬矗を伴い開拓したが、度重なる戦争で離島を余儀なくされ開発が及ばなかった。

白瀬は置き去りにされたと郡司を恨み訴えたが、結局白瀬が南極に行くときに船を提供してくれた。

白瀬は秋田市にかほ市出身だが、三河にも墓があるという。ちなみに郡司成忠の墓は池上本門寺五重塔のたもと。千島・樺太交換条約を締結した榎本武揚の墓は言わずと知れた駒込吉祥寺。

もとより青山霊園に墓のある片岡利和については、未だご子孫にたどり着けずにいる。青山のアパートにご子孫がいることを突き止め、行ってみたがすでに引っ越した後だった。

昨年1月に新聞記事に載ったのをきっかけに探り当てたが、引越先が分からないから、あんなに青山霊園が近いのになぜ墓参に来ないのか聞くこともできないでいる。

今のご当主は千葉にお住まいのはずだが、その線を追いかけて電話をしても通じなかった。やはり何処かへ引っ越されて容易に墓参に来られないのかもしれぬ。

片岡の甥廣井勇の顕彰会は高知だから容易には墓参に来られまいし、多磨霊園にある廣井勇家や片岡の養女珊を母に持つ藤村義朗家(片岡養孫和雄の実家)の墓所は判っても、ご子孫宅までは判らないから連絡しようがない。

今のところ打つ手なしの状態である。しかし、こうして片岡利和のことを調べてみると様々な人物(閨閥ばかりでなく千島占守島開発の系譜)との関わりが見えてきて、歴史上の人物に関わる証言者に出会えるまであきらめず調査を続けてみたいと思っている今日このごろである。(=写真は白瀬のぶに由来する横須賀停舶中の南極観測船[しらせ]。横須賀軍港クルーズにて撮影)



本年もよろしくお願いします。
*******************************************************************
★下記SNSにて当会の最新情報を更新しています。是非フォローください。

Instagram

twitter

★流星忌・ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の告知チラシを公開しています。

流星忌・ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の告知チラシが出来ました

*******************************************************************

Viewing all articles
Browse latest Browse all 302

Trending Articles