会員のカトケンです。
10月第2週の3連休は、予定していた東軍慰霊祭に参加できませんでした。それというのも台風による鉄道の計画運休を踏まえ、前日のうちに最寄駅で払い戻しをしておりました。
各地で大きな災害となり、心よりお見舞い申し上げます。
今年は会津若松での開催でしたが、行き来の途中で罹災したり、交通機関が寸断されたりした場合、仕事に差し支えるので諦めたのです。
週明けに大きな行事で大事な役割を割り当てられていたからです。ぶら下がるならともかく、指示を出さなきゃいけない立場でしたので、休むわけにはいきません。
慰霊祭に行った方の話では大変盛況だったようで、東軍戦士たちには何よりの供養になったことと思います。
以前、友人を巻き込んで今回の会場となった天寧寺に付き合わせてしまい、近藤勇の墓までは行ってくれましたが、会津藩家老田中土佐の墓までは行ってもらえませんでした。一度は行ってみたいものです。でも、近藤の墓には青々とした紫陽花が咲いて絵になる写真が撮れました(=写真)。
会津はその時以来5年足を運んでいません。如来堂や母成峠など個人ではなかなか行けないところに2日目のツアーの行程で予定されていて、なおさら惜しかったなと思っています。
会津に足を運ぶ前に牧野登著『会津人の書けなかった会津戦争』(歴史春秋社)を読みました。西郷頼母家の血が流れる井深家から誤診による入院をきっかけに看護師としてハンセン病患者の世話を生涯にわたり続けた井深八重という人物の存在を知りました。静岡にお墓があるようなのでいつか訪ねてみたいと思います。(写真=その父井深彦三郎墓。青山霊園1種ロ23号9側南向き)
会津城下の西郷邸で頼母の娘の最期を看取ったのが土佐の中島信行かどうかを探る文章にも目を見張るものがありました。会津の本にまさか平尾道雄先生の名前が出てくるとは思いもよりませんでした。
発刊からすでに20年以上経過した古い本ですが、自分が本や催しで取り上げた会津の人物について、現地へ行って更に掘り下げる作業をこれから行うに当たって、光を与えてくれた気がしました。
明治150年をきっかけに様々な催しが開かれ、参加もし、本の出版や催しを行う側も経験したことにより、1つの軸、土台ができたのではないかと思っています。
今年イベントが開けなかったのは忸怩たる気持ちがありますが、様々な機会を通じてお話させていただく回数が増え、そのために本を読み込んだり、情報収集のためできるだけ効率的にたくさんの場所を訪ねたりする必要性を痛感しました。
そうして得られた生の情報が嬉しく、どれだけ励まされたことか。ですが、裏づけのためにはまだ調べが足りません。
その成果を活かせるか分かりませんが、森重さんの講演が終わったら行うつもりの告知(11月末に土佐モノの講演をします)をお見逃しなく。
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流星忌・ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の告知チラシが出来ました
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各地で大きな災害となり、心よりお見舞い申し上げます。
今年は会津若松での開催でしたが、行き来の途中で罹災したり、交通機関が寸断されたりした場合、仕事に差し支えるので諦めたのです。
週明けに大きな行事で大事な役割を割り当てられていたからです。ぶら下がるならともかく、指示を出さなきゃいけない立場でしたので、休むわけにはいきません。
慰霊祭に行った方の話では大変盛況だったようで、東軍戦士たちには何よりの供養になったことと思います。
以前、友人を巻き込んで今回の会場となった天寧寺に付き合わせてしまい、近藤勇の墓までは行ってくれましたが、会津藩家老田中土佐の墓までは行ってもらえませんでした。一度は行ってみたいものです。でも、近藤の墓には青々とした紫陽花が咲いて絵になる写真が撮れました(=写真)。
会津はその時以来5年足を運んでいません。如来堂や母成峠など個人ではなかなか行けないところに2日目のツアーの行程で予定されていて、なおさら惜しかったなと思っています。
会津に足を運ぶ前に牧野登著『会津人の書けなかった会津戦争』(歴史春秋社)を読みました。西郷頼母家の血が流れる井深家から誤診による入院をきっかけに看護師としてハンセン病患者の世話を生涯にわたり続けた井深八重という人物の存在を知りました。静岡にお墓があるようなのでいつか訪ねてみたいと思います。(写真=その父井深彦三郎墓。青山霊園1種ロ23号9側南向き)
会津城下の西郷邸で頼母の娘の最期を看取ったのが土佐の中島信行かどうかを探る文章にも目を見張るものがありました。会津の本にまさか平尾道雄先生の名前が出てくるとは思いもよりませんでした。
発刊からすでに20年以上経過した古い本ですが、自分が本や催しで取り上げた会津の人物について、現地へ行って更に掘り下げる作業をこれから行うに当たって、光を与えてくれた気がしました。
明治150年をきっかけに様々な催しが開かれ、参加もし、本の出版や催しを行う側も経験したことにより、1つの軸、土台ができたのではないかと思っています。
今年イベントが開けなかったのは忸怩たる気持ちがありますが、様々な機会を通じてお話させていただく回数が増え、そのために本を読み込んだり、情報収集のためできるだけ効率的にたくさんの場所を訪ねたりする必要性を痛感しました。
そうして得られた生の情報が嬉しく、どれだけ励まされたことか。ですが、裏づけのためにはまだ調べが足りません。
その成果を活かせるか分かりませんが、森重さんの講演が終わったら行うつもりの告知(11月末に土佐モノの講演をします)をお見逃しなく。
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