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Channel: 探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-
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次郎長、鉄舟の清水港。意外なところから松岡磐吉出没

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会員のカトケンです。

平成25年に我がふるさと静岡市で行われた東軍慰霊祭の史跡ツアーで回った清水の史跡に足を運んだ。









あのときはまだ見られた宝物館がなくなって久しい鉄舟寺、時間がなくて寄られなかった梅蔭寺を訪れ、リニューアルされた次郎長生家にはパネルに次郎長の主治医植木重敏の説明があった。(=写真はパンフレット)土佐出身の医師を次郎長が清水で開院させたもの。



詳しくは『土佐史談』256号にご子孫である植木豊氏が[清水次郎長に出会った土佐の医師]を寄稿されているので、参照されたい。

船宿末廣を経てフェルケール博物館で西園寺公望と水口屋の展示を見る。企画展も伊藤博文・山県有朋・井上馨の書もあって見応えがあったが、タンカーや軍艦長門の模型にも目を見張った。

なかなか充実した清水めぐりができた。これに奮起させられ、『探墓巡礼』に次郎長の記述は1ヶ所しか書かなかったことも悔いもあり、今回の旅の復習していたところ[次郎長翁を知る会]会報で偉大な先人の研究成果を目の当たりにし、岩波新書『清水次郎長』には一説として韮山代官手代の息子松岡磐吉が函南の大場久八を甲陽鎮撫隊に送り込んだことが書かれてある。これは発見だった。

松岡が富士山艦で近藤・土方と出会ったというのだが、その裏づけは取れていない。

一見関係ないやうに見えることでも少し興味の対象を拡げてみると意外な関わりが分かることがある。

それでも、『探墓巡礼』[松岡磐吉]の項に咸臨丸沈没地である北海道木古内町のことは書いたのに、地元静岡の興津清見寺にある咸臨丸殉難碑のことは書き忘れた自分のセンスの無さに今更ながらあきれ返るばかりである。

静岡を軸に引き続き調べを続けていきたい。
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