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Channel: 探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-
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谷中霊園の改葬危機の墓所

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会員のカネコです。
先日は青山霊園で改葬危機となっている墓所について書きましたが、谷中霊園でも改葬危機となっている墓所が複数あります。
3月に谷中霊園へ行った際に立札が建てられていた墓所3ヶ所について紹介します。

まず、乙3号6側にある依田薫(子威・聖里)の墓です。





撰文によると但馬出石の出身で、江戸で河田貫堂に学び、維新後は太政官権少史、大主記、左院大掌記、五等議官、七等判事などを歴任しています。
撰文は出石藩主仙石政固によるものです。
この墓碑は佐倉藩士依田学海の墓に隣接しており、同じ依田姓ですので、以前より何か関係があるのではと思っていましたが、撰文を見る限りは関係性は見られません。
撰文によると、依田薫は東叡山下旧林光院塋域に葬るとありましたので、この墓碑は後年、この場所に移動したものと思われますので、偶然依田学海の隣になったか、もしくは同姓の縁によって何らかの関係がありこの場所に移されたものかと思います。
ただ、この墓碑は依田学海の墓に背を向けて建てられていますので、偶然なのかなとも思います。

次に乙4号1側にある遠山規方の墓です。





秋田藩の出身で、戊辰戦争は西軍方として戦い「秋田遊撃隊戦記稿」を著しています。維新後は西南戦争、日清・日露戦争に出征しています。

もう一つはこの遠山規方の近くにある高橋家の墓で、どのような家であるか不明ですが、側面に祖先式部、二代左衛門次郎にはじまり十一代までの名が刻まれています。





式部という名からはもともと武家であった家のように思われます。
十一代の金四郎という人物は、明治から大正期の出版関係者に高橋金四郎という同姓同名の人物がおり、その人物であるかも知れません。
隣には笠付きの江戸期の墓碑もあり、由緒のある家のように思われました。

この日は谷中霊園の一部しか見ておりませんので、他にも立札が建っている墓所があるかも知れません。
これは何度も書いていますが、これらの無縁墓所はご縁者が現れない限り改葬される可能性が高く、我々は推移を見守る他ありません。
ただ、青山霊園の伊丹男爵家や多磨霊園の高橋是清家(個人墓ではない方)のように立札が建てられた後、立札が無くなり、現存している墓所もありますので、これらの無縁改葬告知された墓所が残されることを願っています。
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