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Channel: 探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-
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板垣退助百回忌に参加

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会員のカトケンです。

9月末にいつも高知でご厄介になるTさんのご紹介で、品川神社裏の墓地にて板垣退助百回忌に参加した。

板垣の墓所は2度目である。急な階段を登って社殿の右を奥に入るよう表札があるが、これに気づく人は少なかろうと思う。

この日は案内人がいてすでに人も入っており、生憎の雨であったが、終始厳かなうちに法要が執り行われた。

参列には板垣の玄孫などご一族はもちろんのこと、研究者や福岡孝弟のご子孫(板垣の妻が出ている)、山内家の名代として深尾家のご子孫が見えるなど、さながら土佐藩の集まりかと錯覚するようであった。

直会は場所を移して三田へ。様々な方からご挨拶があり、板垣が岐阜で遭難したときに駆けつけた、当時医師だった後藤新平の奥州市にある記念館の前館長、板垣ら立志社傘下の潮江の結社発揚社員の徳弘馬域郎のご子孫など、興味深い話が聞けそうな方々が一堂に介した場となった。

小弟も水を向けられたので、思わず日頃思っていることをしゃべってしまった。すなわち板垣という人物像を立体的に解明したり、歴史的に位置づけるには板垣の自由民権運動に反対したり、抵抗したりした人たちのことを調べて初めて板垣像が確立できるのだなどと、偉そうなことを発言してしまったのだ。

それは自分が土佐史で最も力を入れて研究してきた反板垣勢力である古勤王党のことをもっと研究すべきという主張なのだが、それ以上に「板垣の国家主義」というテーマこそやる必要があると前から思っていたことも影響したのだと思う。

何故なら、立志社傘下の共行社が板垣たちに反感をもって離脱していくからだ。片岡健吉が説得するがうまくいかない。いわゆる共行社の分離問題として板垣たち自由民権運動に大きな楔を打ち込まれる事件となった。

それでも板垣が国家に尽くそうとしていたのは、大隈内閣で入閣する動きからも判るし、大同団結後の後藤象二郎の入閣にも同じことが言えるだろう。やはり、明治人や幕末を生きてきた人たちの国家観や行動原理を追求しないことには本当に板垣たちを理解したことにならない。自由民権運動を意味もなくやっていることに等しいのである。

あの頃は国の大きな目標として憲法制定があったし、いち早く国際社会の仲間入りが必要であった。そのような背景、現在との違いを理解した上で憲政をどのように国家運営や国民生活に生かすか板垣を通して考えてみるのも面白いと思う。

板垣が若かりしころ、罪を咎められて追いやられた高知市神田(こうだ)に百年を記念して謫居(たっきょ)の地の碑が建てられるなど、今年は土佐でも板垣の足跡を追う動きがあって目が離せない。

この日は本当に様々な方と交流でき、そこで知り合った方に翌日連れていってもらったイベントで、一生に一度できるかできないかの貴重な体験をさせてもらった。

あとで分かったことだが、その方も板垣同様、今の社会で人が進んでやらないことを行い、積極的に社会貢献をしていた。自然、週明けの仕事に身が引き締まる。流星忌の準備など、忙しい最中に潤いの雨となった。まだ自分にもできることがあると思う。
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