Quantcast
Channel: 探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-
Viewing all articles
Browse latest Browse all 295

伯母の7回忌 静岡市にて先祖の墓を案内

$
0
0
会員のカトケンです。

土曜の夜、静岡の実家に帰った。日曜に伯母の7回忌があるからだ。

母がいつもの如く車で迎えに来てくれて、後部座席に荷物を積もうとしたら、甥と姪の熱烈な歓迎を受けて驚かされた。

何でも姉が飲み会だとかで母が子供たちを預かり、今日は泊まっていくという。

賑やかな土曜になったーー

翌朝、朝っぱら早くから起こされる。これも賑やかで笑いが止まらない。甥のホットケーキがきれいに焼けて、母と遅くまで何やら話していた姉がムリヤリ起こされて、8時前には飯を食わされた。

お寺に集まるのが11時だったから、姉はそれまでに子供たちを清水まで送って戻って来なきゃならないから、てんてこ舞いだったろう。

なんとか無事間に合い、横浜の叔母夫妻や市内にいる叔父も皆揃った。

伯母の菩提寺は義伯父の実家の墓がある沓谷の蓮永寺。

ここには我が高祖父森川雅四郎とその甥 曲直瀬正好の墓がある。

ちょうど勝海舟の両親と妹の墓碑のすぐ左上だ。伯母の墓に線香をあげたあと、少し離れているが、高祖父らの墓のあるところまで行ってみようとなった。

一同士族墓地へ向かう。森川の墓で私たちとこの人物の関係を説明した。皆と血がつながった人の墓がここにあるとは知らなかったようで、叔母や叔父から見たら祖母の父であること、囲碁と槍を得意としたことが碑面に刻まれていることを説明した。

墓が土台から外されて下に置かれた状態が長く続いているため、いつか皆で修復できたら良いなと思った。

墓参前の読経のあと、ご住職に4年前この寺院で東軍慰霊祭を行ったお礼をさせてもらった。

前日、浦賀でその時静岡まで来てくださった中島三郎助のご子孫や北海道からいらした方にお目にかかっていたので、大変喜ばれていたことをお話させてもらった。「またいつでも使ってください」とおっしゃられた。

本堂に向かう途中、勝海舟の書が掛けられており、この寺の住職が海外布教に努めたことを勝が誉め称えた書だという説明を当時、ご住職がしてくださったことを思い出し、感慨深いものがあった。

寺を後にして伯母が晩年を過ごした部屋で静岡名物がちりばめられた弁当をつつきながら、思い出話に花が咲いた。やはり笑いが絶えず、また明日から仕事をがんばろうと思い直し、静岡を後にした。



(写真=我が先祖が仕えて幕臣になるきっかけになった第6代将軍家宣の肖像。山梨県立博物館の企画展看板より)

Viewing all articles
Browse latest Browse all 295

Trending Articles