会員のカトケンです。
ジョン万次郎研究の第一人者で、国際ジャーナリストの北代淳二さんが11月28日老衰のため逝去された。92才だった。
土佐史談会関東支部の第2代支部長を平成26年から3年間務め、ご指導いただいた。穏やかな性格で、いつも優しく接してくださり、よく通るお声で関東支部例会の進行を務められていた。理事会で小弟が辛辣な意見を述べても、寛容に受け止めてくださり、大変ありがたいリーダーであった。
最初に関東支部でご講演されたときはすでに80才になんなんとするご年齢であったが、当時まだ最新と言えるパワーポイントを駆使してのご説明で、そのよく通るお声でマイクが要らなかったほどだったと、印象深く小弟の記憶に刻まれている。
今思い返してみると、北代さんが支部長の期間は3年間と思いのほか短く感じるが、そう思ったのは、田村金寿初代関東支部長の下、支部長代行として例会講師への講演依頼を引き受け、支部長となるまでその責務を果たされ満を持しての登板だったこと、支部長職を第3代鍋島高明さんに譲った後も相談役の理事として残り、理事会開催の場所に従前どおり外国人特派員協会のレストラン席を取ってくださって、長きにわたり関東支部運営に貢献されたことから、もっと長く支部長を務めた印象を受けたためだろう。もう耳が遠くなったからと役職を退かれたときは、90才目前であったが、まだまだお元気であった。
創業と守成のいずれが難きかと言えば、立ち上げの際こそ大変苦労した土佐史談会関東支部であるが、第2代支部長であった北代さんは、支給されるようになった本部からの助成金を受け取るための関東支部口座の開設、例会参加者でメールアドレスを教えてくれた方に会員非会員を問わず支部長自らメールにて例会案内を送信してくださったことにより、郵送での案内費用の節約や非会員への案内により例会周知の拡大に多大な貢献をされたこと、こうしたことが現在の支部運営に存分に生かされていることを考え合わせると、より難き守成を務めた北代支部長が支部運営を軌道に乗せた偉大な功労者であることが改めて浮き彫りになり、感謝してもし切れないものがある。またその暖かいお人柄と爽やかな運営で毎年例会を連綿と続けて来られたことも、現在支部を率いる立場の小弟にとってはとても足元にも及ばぬ大恩人であり、今後もお手本として敬意を払い続けること必定である。
北代さんは、高知市のご出身で国際基督教大学を卒業後、TBSに入り、現在も放映されている「JNN報道特集」の初代キャスターを務め、ワシントン特派員、ニューヨーク支局長などを歴任された。こうした履歴は、水曜(12/4)の高知新聞はじめ各紙に訃報が出たことでご存知の方も多かろう。
得意の英語を駆使し、ジョン万次郎の一大漂流記である『漂巽紀畧』(講談社学術文庫)の監修を務め、その才能をいかんなく発揮された。その出版を記念して、訳者の谷村鯛夢さんとともに土佐史談会関東支部でお2人によるリレー講演をされたことが思い出される。その時印象的だったのが、ジョン万次郎が米国民主主義の理想《E PLURIBUS UNUM》(エ・プルリブス・ウヌム)を伝えたという話である。
『漂巽紀畧』は画家である河田小龍がカラフルな絵をふんだんに盛り込んだドキュメンタリーであり、その中でジョン万たちを救った捕鯨船ジョン・ハイランド号の船尾部分に「エ・プルリブス・ウヌム」なる文字が記されている。これは米国国章に鷲の絵とともに刻まれた米合衆国のモットーであり、異なる人種や宗教や文化の人間が共存し共生するという民主主義の理想を表現している。「多くのものが集まってできた1つ」という意味のラテン語である。
この言葉を一介の漂流民であるジョン万次郎が鎖国をしていた我が国へ伝えたということの意味を北代さんはこの時の講演のみならず、『漂巽紀畧』の解説など様々なところで書いている。
『土佐史談』第257号「中浜万次郎特集号」に寄稿した「『漂巽紀畧』で読み解く万次郎のメッセージ」しかり、ジョン万の生涯をコンパクトにまとめた『日本の海のレジェンドたち』(海文堂)に書いた「ジョン万次郎」しかりである。
この指摘は米国滞在が長く、ジャーナリストの目を持ち、英語に堪能な北代さんの慧眼のなせる技であり、NPO法人中浜万次郎国際協会の会長を長く務められ、まさにジョン万の伝道師として、私たちの心に今後も深く刻まれることであろう。かつて高知市民図書館から出版されていた『漂巽紀畧』がようやく最近文庫版になって、手に入れやすい「普及版」に変わったとき、北代さんという格好の監修・解説者を得たことは、読み手にとってこれほどの僥倖はあるまい。
もう少し、ジョン万に関する様々な見解を北代さんに聞いてみたかった。ジョン万のふるさと土佐清水市にはジョン万次郎資料館があるが、「ジョン万次郎記念館」をぜひ高知市に建てたいというのが北代さん晩年の夢だった。
上記のほか、『土佐史談』第239号「欧米文化と土佐人の交流特集号」所収「『ジョン・マン』と『中濱万次郎』ーグローバル・マインドの形成ー」、同第269号所収「万次郎と咸臨丸」にも北代さんのジョン万像が記されていることを付け加えておきたい。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
(写真は平成28年11月関東高知県人大懇親会にて右から2番目が北代さん、その左が鍋島高明第3代関東支部長、左端が橋田栄澄元理事、右端が加藤)
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土佐史談会関東支部の第2代支部長を平成26年から3年間務め、ご指導いただいた。穏やかな性格で、いつも優しく接してくださり、よく通るお声で関東支部例会の進行を務められていた。理事会で小弟が辛辣な意見を述べても、寛容に受け止めてくださり、大変ありがたいリーダーであった。
最初に関東支部でご講演されたときはすでに80才になんなんとするご年齢であったが、当時まだ最新と言えるパワーポイントを駆使してのご説明で、そのよく通るお声でマイクが要らなかったほどだったと、印象深く小弟の記憶に刻まれている。
今思い返してみると、北代さんが支部長の期間は3年間と思いのほか短く感じるが、そう思ったのは、田村金寿初代関東支部長の下、支部長代行として例会講師への講演依頼を引き受け、支部長となるまでその責務を果たされ満を持しての登板だったこと、支部長職を第3代鍋島高明さんに譲った後も相談役の理事として残り、理事会開催の場所に従前どおり外国人特派員協会のレストラン席を取ってくださって、長きにわたり関東支部運営に貢献されたことから、もっと長く支部長を務めた印象を受けたためだろう。もう耳が遠くなったからと役職を退かれたときは、90才目前であったが、まだまだお元気であった。
創業と守成のいずれが難きかと言えば、立ち上げの際こそ大変苦労した土佐史談会関東支部であるが、第2代支部長であった北代さんは、支給されるようになった本部からの助成金を受け取るための関東支部口座の開設、例会参加者でメールアドレスを教えてくれた方に会員非会員を問わず支部長自らメールにて例会案内を送信してくださったことにより、郵送での案内費用の節約や非会員への案内により例会周知の拡大に多大な貢献をされたこと、こうしたことが現在の支部運営に存分に生かされていることを考え合わせると、より難き守成を務めた北代支部長が支部運営を軌道に乗せた偉大な功労者であることが改めて浮き彫りになり、感謝してもし切れないものがある。またその暖かいお人柄と爽やかな運営で毎年例会を連綿と続けて来られたことも、現在支部を率いる立場の小弟にとってはとても足元にも及ばぬ大恩人であり、今後もお手本として敬意を払い続けること必定である。
北代さんは、高知市のご出身で国際基督教大学を卒業後、TBSに入り、現在も放映されている「JNN報道特集」の初代キャスターを務め、ワシントン特派員、ニューヨーク支局長などを歴任された。こうした履歴は、水曜(12/4)の高知新聞はじめ各紙に訃報が出たことでご存知の方も多かろう。
得意の英語を駆使し、ジョン万次郎の一大漂流記である『漂巽紀畧』(講談社学術文庫)の監修を務め、その才能をいかんなく発揮された。その出版を記念して、訳者の谷村鯛夢さんとともに土佐史談会関東支部でお2人によるリレー講演をされたことが思い出される。その時印象的だったのが、ジョン万次郎が米国民主主義の理想《E PLURIBUS UNUM》(エ・プルリブス・ウヌム)を伝えたという話である。
『漂巽紀畧』は画家である河田小龍がカラフルな絵をふんだんに盛り込んだドキュメンタリーであり、その中でジョン万たちを救った捕鯨船ジョン・ハイランド号の船尾部分に「エ・プルリブス・ウヌム」なる文字が記されている。これは米国国章に鷲の絵とともに刻まれた米合衆国のモットーであり、異なる人種や宗教や文化の人間が共存し共生するという民主主義の理想を表現している。「多くのものが集まってできた1つ」という意味のラテン語である。
この言葉を一介の漂流民であるジョン万次郎が鎖国をしていた我が国へ伝えたということの意味を北代さんはこの時の講演のみならず、『漂巽紀畧』の解説など様々なところで書いている。
『土佐史談』第257号「中浜万次郎特集号」に寄稿した「『漂巽紀畧』で読み解く万次郎のメッセージ」しかり、ジョン万の生涯をコンパクトにまとめた『日本の海のレジェンドたち』(海文堂)に書いた「ジョン万次郎」しかりである。
この指摘は米国滞在が長く、ジャーナリストの目を持ち、英語に堪能な北代さんの慧眼のなせる技であり、NPO法人中浜万次郎国際協会の会長を長く務められ、まさにジョン万の伝道師として、私たちの心に今後も深く刻まれることであろう。かつて高知市民図書館から出版されていた『漂巽紀畧』がようやく最近文庫版になって、手に入れやすい「普及版」に変わったとき、北代さんという格好の監修・解説者を得たことは、読み手にとってこれほどの僥倖はあるまい。
もう少し、ジョン万に関する様々な見解を北代さんに聞いてみたかった。ジョン万のふるさと土佐清水市にはジョン万次郎資料館があるが、「ジョン万次郎記念館」をぜひ高知市に建てたいというのが北代さん晩年の夢だった。
上記のほか、『土佐史談』第239号「欧米文化と土佐人の交流特集号」所収「『ジョン・マン』と『中濱万次郎』ーグローバル・マインドの形成ー」、同第269号所収「万次郎と咸臨丸」にも北代さんのジョン万像が記されていることを付け加えておきたい。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
(写真は平成28年11月関東高知県人大懇親会にて右から2番目が北代さん、その左が鍋島高明第3代関東支部長、左端が橋田栄澄元理事、右端が加藤)

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