会員のカトケンです。いつの歳三忌だったか忘れたが、毎度主催者である大出さんのお導きで皆さんの前で挨拶させてもらっており、挨拶の後参加者で声をかけてくださった方がいた。
それが縁で山南忌の時に大阪まで行くと車で史跡巡りをしてくださったり、うまいものを食いに連れて行ってくれたりするようになった。
時々東京に出張があると連絡をくださり、時間が合えばお目にかかることもしばしば。
その方とこの前電話で話していて「ほらあれ、あの人よ。シーボルトの娘を妊ませた…」とその時は分からなかったが、後からラインで「石井宗謙」と教えてくださった。何でも司馬遼太郎の『花神』や『胡蝶の夢』を読んで岡山の縁の地まで行ったそうな。
実は後になって、その人物の次男が箱館戦争に従軍していたことが分かった。一聯隊差図役石井楳太郎とぞいう。
『探墓巡礼ー谷中編』で書けなかった箱館戦争通史を組み立てるため、あるいは宣伝のための講演で材料として使った一聯隊石川証平の手記「説夢録」(幕末維新史料叢書『逸事史補・守護職小史』新人物往来社刊所収)のたまたまクリアファイルのいちばん上になっていたページから「シーボルト」なる文字が目に飛び込んできたのである。不思議な発見であった。
「説夢録」では楳太郎の父宗謙(原文では「宗賢」)がシーボルトの娘を娶り、楳太郎をシーボルトの息子アレキサンドルの従兄弟としている。しかし、楳太郎は宗謙とシーボルトの娘楠本イネとの間の子ではなく、そもそも楠本イネとアレキサンドルが姉弟だから、義理の甥になる。
ところが、この石井楳太郎、不幸にも斥候になって現地案内人を連れ稲倉石の関門(北海道檜山郡厚沢部町)に差し掛かった折、ピストルを落としてしまったことが仇となって榎本軍であることがバレ、松前藩に処刑された人物であった。
それでも、処刑される間際まで現地案内人の助命を嘆願していたほどの人格者であったのだ。このような人物がいたこと自体、事実は小説より奇なりの観を抱く。
手記をコツコツ読むとこのような発見があって楽しい。丸毛利恒の「北洲新話」(一名「函館戦記」『旧幕府』所収)はこのことを明治元年11月12日(1868・12・25)としている。
そして、件の大阪のおんちゃん。時々遠出をしては史跡巡りをした写真を送ってくださるのだが、この度は奥様のご実家香川県に行って美味しい食事とお酒を堪能されているのだなと思ったら、さらにそこから土佐まで足を伸ばし(もちろん車であるが)安芸郡芸西村へ行き、おりょうと君枝の像や安岡金馬顕彰碑の写真を送ってくるは、室戸岬の中岡慎太郎像の写真も来るは、果ては安芸郡東洋町(先端が逆三角形のかたちになっている室戸岬を越えて東の徳島県側に位置する)にある江藤新平遭厄地の看板がさびれている写真まで送ってきた!
しかも、免許取り立てのお嬢さんにこのとんでもない距離を運転させたというから高知県キャラクター黒潮君のイエローカードスタンプを送った。
「今のお気持ちは?」と黒潮君インタビュースタンプに対する答えは「悪い親ですなぁ
趣味に付き合わせるなんて」…お後がよろしいようで(=写真は佐賀県佐賀市にある江藤新平墓)。
来年もどうか1つ長い目で、よろしくお願いします!
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★流星忌・ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の告知チラシを公開しています。
流星忌・ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の告知チラシが出来ました
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それが縁で山南忌の時に大阪まで行くと車で史跡巡りをしてくださったり、うまいものを食いに連れて行ってくれたりするようになった。
時々東京に出張があると連絡をくださり、時間が合えばお目にかかることもしばしば。
その方とこの前電話で話していて「ほらあれ、あの人よ。シーボルトの娘を妊ませた…」とその時は分からなかったが、後からラインで「石井宗謙」と教えてくださった。何でも司馬遼太郎の『花神』や『胡蝶の夢』を読んで岡山の縁の地まで行ったそうな。
実は後になって、その人物の次男が箱館戦争に従軍していたことが分かった。一聯隊差図役石井楳太郎とぞいう。
『探墓巡礼ー谷中編』で書けなかった箱館戦争通史を組み立てるため、あるいは宣伝のための講演で材料として使った一聯隊石川証平の手記「説夢録」(幕末維新史料叢書『逸事史補・守護職小史』新人物往来社刊所収)のたまたまクリアファイルのいちばん上になっていたページから「シーボルト」なる文字が目に飛び込んできたのである。不思議な発見であった。
「説夢録」では楳太郎の父宗謙(原文では「宗賢」)がシーボルトの娘を娶り、楳太郎をシーボルトの息子アレキサンドルの従兄弟としている。しかし、楳太郎は宗謙とシーボルトの娘楠本イネとの間の子ではなく、そもそも楠本イネとアレキサンドルが姉弟だから、義理の甥になる。
ところが、この石井楳太郎、不幸にも斥候になって現地案内人を連れ稲倉石の関門(北海道檜山郡厚沢部町)に差し掛かった折、ピストルを落としてしまったことが仇となって榎本軍であることがバレ、松前藩に処刑された人物であった。
それでも、処刑される間際まで現地案内人の助命を嘆願していたほどの人格者であったのだ。このような人物がいたこと自体、事実は小説より奇なりの観を抱く。
手記をコツコツ読むとこのような発見があって楽しい。丸毛利恒の「北洲新話」(一名「函館戦記」『旧幕府』所収)はこのことを明治元年11月12日(1868・12・25)としている。
そして、件の大阪のおんちゃん。時々遠出をしては史跡巡りをした写真を送ってくださるのだが、この度は奥様のご実家香川県に行って美味しい食事とお酒を堪能されているのだなと思ったら、さらにそこから土佐まで足を伸ばし(もちろん車であるが)安芸郡芸西村へ行き、おりょうと君枝の像や安岡金馬顕彰碑の写真を送ってくるは、室戸岬の中岡慎太郎像の写真も来るは、果ては安芸郡東洋町(先端が逆三角形のかたちになっている室戸岬を越えて東の徳島県側に位置する)にある江藤新平遭厄地の看板がさびれている写真まで送ってきた!
しかも、免許取り立てのお嬢さんにこのとんでもない距離を運転させたというから高知県キャラクター黒潮君のイエローカードスタンプを送った。
「今のお気持ちは?」と黒潮君インタビュースタンプに対する答えは「悪い親ですなぁ
趣味に付き合わせるなんて」…お後がよろしいようで(=写真は佐賀県佐賀市にある江藤新平墓)。
来年もどうか1つ長い目で、よろしくお願いします!
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