会員のカトケンです。
2月に放送された広末涼子と高見沢俊彦の先祖を取り上げたNHK番組「ファミリーヒストリー」放映後、友人たちとラインで楽しくやり取りをした。
広末涼子のときは、放映日に高知の谷 是さんから出演すると電話があり、ちやうど在宅勤務だつたゝめすべて視聴できた。
今は非常事態宣言中のため、勤務する日と在宅のときがあり、出勤のときは大概放映時間に間に合はない。
谷さん本人は「1時間くらいインタビューを受けましたが、放映されるのはほんの少しだと思ひます」とおつしゃつてゐた。どうしてどうして、広末家の話や帯屋町の様子など当時の町の様子が細かく語られてゐた。
番組で郷土史家として紹介されてゐたこの谷さんとは、小弟のブログでいつも高知で厚かましくもそのお宅に泊まらせてもらふと書いてゐるTさんのことである。
写つてゐた場所はその谷さんのお宅で、小弟は図々しくも寝泊まり自由、自転車付きでこゝを拠点に毎度土佐を駆け巡らせてもらつてゐる。感謝この上ないこと言ふまでもない。
放映の翌日、土佐史談会関東支部のメンバーとラインでしばし話が尽きなかつた。
出演した「広末のおんちゃん(伯父)は帯屋町の重鎮ながやけど気さくな方」だとか、「鍋島関東支部長の『高知経済人列伝』に広末の祖父静一が載りゆうで。戦後すぐ焼け跡から金物を掘り出し、むしろの上に並べて売り出したと書いてある」だとか。
この鍋島支部長の本には、谷さんが高知新聞最後の仕事として取り組んだ『新版 高知県人名事典』も引用され、以前関東支部で発表されたとき「同事典が大変役に立つた」と編集した谷さんを目の前にして語られたことが思ひ出される。なかなかお目にかゝれない瞬間であつたーー
THE ALFEE高見沢俊彦のときは、出勤日で帰宅してテレビをつけたら、高鳥館主(天然理心流試衛館)がインタビューを受けてゐた。なぜ天然理心流なのか再放送のときにやうやく分かつたのだが、放送中に館主と組み合つてゐたAさんから写つたと連絡が、これも10年くらい前に釣洋一先生の喜寿のお祝ひで知り合つた仲間と作つたグループラインに入つてきて驚いた。
高鳥館主は釣先生がゝつて経営されてゐた「幕末酒場・新選組屯所 春廼舎」に小弟がいつも入り浸つてゐたとき、鮭飯を炊いてもらつて一人では食べ切れないからと、良い頃合いで近所のお住まひからよく訪ねて来られ、色んなお話を聞かせて頂いた。
確か父を連れて春廼舎に来たときも、石河奉行様(旗本御子孫)とお弟子さんの小木曽女史とゝもに同席してくださつた。
拝島大師奉納額完成のときは件のAさんとゝもに名前を刻んで頂いたし、とりわけ受け継いでゐる天然理心流の系統のことを度々学ばせて頂いたものである。
だから再放送を見て高見沢家母方の祖父坂本家が出てきたとき、なるほど松崎和多五郎が受け継いだ天然理心流のことなら高鳥館主に聞くのがいちばんと、NHKの取材力に感心した。当時、松崎の弟子である井上才市のお弟子さんが御存命で、高鳥さんたちが訪ねていつたことがあると聞いたものだ。
また、平成26年5月に昭島に住んでゐる職場の友だちに車を出してもらつて、八王子市戸吹の桂福寺を訪ねていつた。天然理心流2代三助の門人、八王子市千人同心松崎正作・和多五郎父子の碑があることはもちろん、復元された天然理心流初代近藤内蔵助長裕と2代三助の墓(=写真)を見ることができた。
墓域に三助の実家をはじめ、坂本家が多かつたことを覚えている。歴代の通称からして三助の家と高見沢家の先祖の家は違ふ坂本のやうだ。
偶然とはいへ、その2本のファミリーヒストリーのおかげで思はず楽しいやり取りができ、改めて偉大な先人たちについて耳学問をさせてもらつてゐるありがたさをかみしめてゐる。(芸能人の敬称は略しました。)
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2月に放送された広末涼子と高見沢俊彦の先祖を取り上げたNHK番組「ファミリーヒストリー」放映後、友人たちとラインで楽しくやり取りをした。
広末涼子のときは、放映日に高知の谷 是さんから出演すると電話があり、ちやうど在宅勤務だつたゝめすべて視聴できた。
今は非常事態宣言中のため、勤務する日と在宅のときがあり、出勤のときは大概放映時間に間に合はない。
谷さん本人は「1時間くらいインタビューを受けましたが、放映されるのはほんの少しだと思ひます」とおつしゃつてゐた。どうしてどうして、広末家の話や帯屋町の様子など当時の町の様子が細かく語られてゐた。
番組で郷土史家として紹介されてゐたこの谷さんとは、小弟のブログでいつも高知で厚かましくもそのお宅に泊まらせてもらふと書いてゐるTさんのことである。
写つてゐた場所はその谷さんのお宅で、小弟は図々しくも寝泊まり自由、自転車付きでこゝを拠点に毎度土佐を駆け巡らせてもらつてゐる。感謝この上ないこと言ふまでもない。
放映の翌日、土佐史談会関東支部のメンバーとラインでしばし話が尽きなかつた。
出演した「広末のおんちゃん(伯父)は帯屋町の重鎮ながやけど気さくな方」だとか、「鍋島関東支部長の『高知経済人列伝』に広末の祖父静一が載りゆうで。戦後すぐ焼け跡から金物を掘り出し、むしろの上に並べて売り出したと書いてある」だとか。
この鍋島支部長の本には、谷さんが高知新聞最後の仕事として取り組んだ『新版 高知県人名事典』も引用され、以前関東支部で発表されたとき「同事典が大変役に立つた」と編集した谷さんを目の前にして語られたことが思ひ出される。なかなかお目にかゝれない瞬間であつたーー
THE ALFEE高見沢俊彦のときは、出勤日で帰宅してテレビをつけたら、高鳥館主(天然理心流試衛館)がインタビューを受けてゐた。なぜ天然理心流なのか再放送のときにやうやく分かつたのだが、放送中に館主と組み合つてゐたAさんから写つたと連絡が、これも10年くらい前に釣洋一先生の喜寿のお祝ひで知り合つた仲間と作つたグループラインに入つてきて驚いた。
高鳥館主は釣先生がゝつて経営されてゐた「幕末酒場・新選組屯所 春廼舎」に小弟がいつも入り浸つてゐたとき、鮭飯を炊いてもらつて一人では食べ切れないからと、良い頃合いで近所のお住まひからよく訪ねて来られ、色んなお話を聞かせて頂いた。
確か父を連れて春廼舎に来たときも、石河奉行様(旗本御子孫)とお弟子さんの小木曽女史とゝもに同席してくださつた。
拝島大師奉納額完成のときは件のAさんとゝもに名前を刻んで頂いたし、とりわけ受け継いでゐる天然理心流の系統のことを度々学ばせて頂いたものである。
だから再放送を見て高見沢家母方の祖父坂本家が出てきたとき、なるほど松崎和多五郎が受け継いだ天然理心流のことなら高鳥館主に聞くのがいちばんと、NHKの取材力に感心した。当時、松崎の弟子である井上才市のお弟子さんが御存命で、高鳥さんたちが訪ねていつたことがあると聞いたものだ。
また、平成26年5月に昭島に住んでゐる職場の友だちに車を出してもらつて、八王子市戸吹の桂福寺を訪ねていつた。天然理心流2代三助の門人、八王子市千人同心松崎正作・和多五郎父子の碑があることはもちろん、復元された天然理心流初代近藤内蔵助長裕と2代三助の墓(=写真)を見ることができた。
墓域に三助の実家をはじめ、坂本家が多かつたことを覚えている。歴代の通称からして三助の家と高見沢家の先祖の家は違ふ坂本のやうだ。
偶然とはいへ、その2本のファミリーヒストリーのおかげで思はず楽しいやり取りができ、改めて偉大な先人たちについて耳学問をさせてもらつてゐるありがたさをかみしめてゐる。(芸能人の敬称は略しました。)
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