会員のカトケンです。
9/28東軍慰霊祭の協力呼びかけでお訪ねしたのは、彰義隊で戦死した伴門五郎のご子孫。
最初に手紙を書いてその後電話を入れたところ、ちょうどご当主の妹さんが里帰りされており、手紙も読んでいただいていたようで、兄は連絡を待っているとのこと。
ちょうど留守にされており、夜になってようやくお話ができました。
伴門五郎のことはさほど伝わっていなかったのですが、お父様が満鉄に入られて、戦後はしばらくウズベキスタンで技術者として重宝され、昭和23年になってようやく帰国できたというお話など、その後の伴家についてお聞きすることができました。
静岡に来た伴家は門五郎の娘が長島家から紹五郎という婿を迎えました。この長島家は静岡市長を務めた長島弘裕が出ています。ご当主は門五郎の玄孫に当たります。
ちなみに長島家の墓は静岡駅前の宝泰寺にあります。
また、伴家はある有名な神社の宮司の家とも系図がつながっているとのこと。さらにすぐ近所に私が小学校のとき毎日遊びにいっていた同級生の家があるというオマケつき。
地元ならでは、というより若いうちから歴史に興味を持っていたのに今までいったい何をして来たのかと反省させられる思いです。
ともあれ、東軍慰霊祭の参加にご快諾をいただき、歴史に導かれた不思議な縁を感じるこの頃です。
さて、東軍慰霊祭の協力者最後は、トミーと言われた日本人、遣米使節の通訳として活躍した立石斧次郎の一族で、家具の販売をしている石川さん。
徳川慶喜公が大河の主役になった年に「シズオカ文化クラブ」を立ち上げ、静岡の歴史文化の発信に骨を砕いてきた方です。
実は先考とも交流があり、静岡歴博の会で伊能忠敬の話を聞かされ、遂に佐原の生家にある記念館まで足を運んでくれたそうです。
そんな縁もあり、電話でずっとやり取りをさせていただいていたのですが、ようやくお会いでき、話が尽きませんでした。
元々は、慶喜公の大河の年に釣洋一先生を静岡に招いてトミーについて講演を依頼されたという関係で、真っ先にご協力をお願いしたいと考えていましたから、いろんなお話を聞きながら、静岡をどのように発信するかという切り口をたくさん学ばせていただきました。
そして、今調べていることをぜひ若いうちに形にするよう奨められました。残すことの大切さ、伝えることの大切さを身に染みて感じました。
これからも歴史を通していろんな方と知り合いたいと思います。イベントの準備をしながら、これからもふるさとの先人、先輩の背中を追いかけることができたら、なんと素晴らしいことかと思いました。
9/28東軍慰霊祭の協力呼びかけでお訪ねしたのは、彰義隊で戦死した伴門五郎のご子孫。
最初に手紙を書いてその後電話を入れたところ、ちょうどご当主の妹さんが里帰りされており、手紙も読んでいただいていたようで、兄は連絡を待っているとのこと。
ちょうど留守にされており、夜になってようやくお話ができました。
伴門五郎のことはさほど伝わっていなかったのですが、お父様が満鉄に入られて、戦後はしばらくウズベキスタンで技術者として重宝され、昭和23年になってようやく帰国できたというお話など、その後の伴家についてお聞きすることができました。
静岡に来た伴家は門五郎の娘が長島家から紹五郎という婿を迎えました。この長島家は静岡市長を務めた長島弘裕が出ています。ご当主は門五郎の玄孫に当たります。
ちなみに長島家の墓は静岡駅前の宝泰寺にあります。
また、伴家はある有名な神社の宮司の家とも系図がつながっているとのこと。さらにすぐ近所に私が小学校のとき毎日遊びにいっていた同級生の家があるというオマケつき。
地元ならでは、というより若いうちから歴史に興味を持っていたのに今までいったい何をして来たのかと反省させられる思いです。
ともあれ、東軍慰霊祭の参加にご快諾をいただき、歴史に導かれた不思議な縁を感じるこの頃です。
さて、東軍慰霊祭の協力者最後は、トミーと言われた日本人、遣米使節の通訳として活躍した立石斧次郎の一族で、家具の販売をしている石川さん。
徳川慶喜公が大河の主役になった年に「シズオカ文化クラブ」を立ち上げ、静岡の歴史文化の発信に骨を砕いてきた方です。
実は先考とも交流があり、静岡歴博の会で伊能忠敬の話を聞かされ、遂に佐原の生家にある記念館まで足を運んでくれたそうです。
そんな縁もあり、電話でずっとやり取りをさせていただいていたのですが、ようやくお会いでき、話が尽きませんでした。
元々は、慶喜公の大河の年に釣洋一先生を静岡に招いてトミーについて講演を依頼されたという関係で、真っ先にご協力をお願いしたいと考えていましたから、いろんなお話を聞きながら、静岡をどのように発信するかという切り口をたくさん学ばせていただきました。
そして、今調べていることをぜひ若いうちに形にするよう奨められました。残すことの大切さ、伝えることの大切さを身に染みて感じました。
これからも歴史を通していろんな方と知り合いたいと思います。イベントの準備をしながら、これからもふるさとの先人、先輩の背中を追いかけることができたら、なんと素晴らしいことかと思いました。