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Channel: 探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-
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炎天下の遠州浜松を往く

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会員のカトケンです。

先々週の3連休を利用して、遠州浜松を訪れた。巡墓会開催に当たり、見ておきたい墓があったからだ。

目的の寺院は、地図で調べると駅から近いため、実家に帰りついでに前田匡一郎著『駿遠に移住した徳川家臣団』から、浜松市内の幕臣墓をピックアップした。

いくつかの候補と箱館戦争に参加した新選組中島登・土方歳三の終焉に立ち会った大島寅雄関連も時間が許す限り、回ろうという計画だ。

ただ1つ気がかりなのは、会津藩士北原雅長(神保修理実弟)の墓が家康夫人築山の墓と同じ寺院であることだ(西来院=写真)。さすがに大河ドラマで取り上げられたばかり。さぞ人出が多かろうというものだ。



ともあれ、案ずるより産むが易しでいつもなら東京ー静岡間の新幹線代を下ろして実家に帰るのだが、浜松行を見越して静岡ー浜松間の新幹線代も余計に下ろしてきた。

幸い、家の用事も土曜に済ませ、日曜午前身体が空いたことから、浜松掃苔に出た。

目指すは心造寺(浄土宗、先照山。中区紺屋町300-19)。何十年ぶりの浜松散策で大都会の雰囲気を味わいながら、炎天下に晒される中、母が持たせてくれた日傘を差しながら歩いた。

心造寺は、新選組中島登の鉄砲火薬店跡の筋向かいにあった。同じ町内というのは判っていたものの、こんなに目の前だとは思わなかった。(写真=中島登宅跡現状)



心造寺の墓域は、緩やかな坂を登り、本堂の左手をさらに登ったところにあった。幕臣津田誠之(学問所勤番、三重県七等属)の墓(=写真)は墓域のほぼ中央にあったが(天保2年[1831]生〜明治25年[1992]3月17日没)、目的の新村信の実父松平勘十郎政隆(大番。明治8年[1875]1月13日没。祐善院保誉勝道居士)の墓は無かった。



信は徳川慶喜の側室で、慶喜家を継いだ(徳川宗家とは別に家を立てた)慶久や勝海舟の養子になった精の生母である。新村の苗字は、慶喜の家臣新村猛雄の養女になったからだ。

松平家の墓が1軒だけあったが、雑司ヶ谷霊園にある松平忠政(信の兄弟)の墓の家紋と違うため、同じ家ではないと確認できた。

津田家の背後にいかにも立派な、墓域中央に位置するに相応しい墓碑があったが、勘十郎の戒名とは違っていた。

ここの貴重な墓といえば、山葉家のものだろう。楽器やオートバイを製造している、浜松で、否、日本でも有力なメーカーの創業者の家である。傍らに昭和17年8月8日に建てられた創業者の跡継ぎ[山葉直吉翁記念碑]がある。

さて、そこから同じく中区鴨江にある鴨江寺墓地(鴨江3-19。寺院とは離れた場所にある)を目指した。途中、坂がきつく難儀したが、時折さわかやな風が吹いて心地良かった。

鴨江寺墓地の主は大島寅雄である。インターネットで調べてみると、正面の3名の戒名の右端が大島で、右面に[大嶋慎清]と書かれており、戒名にも諱である[慎清]の2字が入っている。残念ながら、没年月日が刻まれていない。

墓地に向かって右端に近く、手前から5列目にあった(=写真)。墓に3体の観音像が供されている。



大島寅雄は幕臣、小人目付。清水平次郎の長男だが、慶応2年(1866)に絶家の大島宗右衛門家を継いでいる。戊辰4月に江戸を脱し、伝習第一大隊に属す。会津母成峠の戦いで負傷し、新選組中島登に救われ、仙台へ出て蝦夷へ投じた。

箱館政権では陸軍奉行添役を務め、土方歳三の戦死を五稜郭に伝えた。降伏後、浜松で代書人をしていて、中島登に偶然再会している。

天保13年5月15日(1842・6・23)生まれ、大正5年(1916)11月7日、75才没。

墓地向かいの家に建物を挟んでスペインとイタリアの国旗が掲揚されているのが印象的であった。

ここから浜松城方面に舞い戻って(今度は下りだから楽である)、北原雅長の墓を目指した。例の築山と同じ西来院の墓所である(曹洞宗、高松山、中区広沢2-10-1)。

下りでは街が眺望できたが、再び登り坂を経て寺院の石柱に出くわした。2台も車が出てきたため、さぞ混んでいるかと思ったが、意外や意外行ってみると本堂は無人でお参りができるようになっており、手前に寺のパンフレットらしきものがガラスケースの中の掲示板(寺院によくあるもの)に家康と築山の系譜など詳しく解説されたものが貼られていた。

本堂に向かって左手の森のようになっている墓地を入り、右側に行くと築山の墓所[月窟廟]があり、そこを通り過ぎて、右手に松下家の墓があるところまで来たら、左に曲がると2番目に北原雅長の墓があった(=写真)。墓碑の正面左真ん中やや下に[妻いと]と刻む。



会津藩家老神保家は北雅長の兄修理が藩主松平容保が鳥羽伏見の戦のさなか慶喜とともに江戸へ去ったことの責めを負って切腹、父内蔵助利孝も会津戦争で命果てた壮絶な家であった。

北原は『七年史』(日本史籍協会叢書)を著すことで京都守護職の命を受け、王城の都を護ったときから会津戦争敗戦までの七年間の会津藩の正当性を主張したかったのだろう。

ともすると、会津戦争ばかりが取り上げられるが、天誅組の変や禁門戦争を鎮圧し、都を護った会津藩の功績は大きい。

北原は禁門戦争を、また戊辰の役では若松城を守り戦った。瓦解後は工部省に、のち初代長崎市長、東京下谷区長を務める。浜松には晩年隠棲した。大島と同じ天保13年(1842)生まれ。通称半助。大正2年(1913)7月24日、72才没。

帰りに築山の墓所に詣でた(=写真)。右手の看板に詳しい解説があり、築山切腹は未だに謎と書かれていた。戒名は[清池院殿潭月秋天大禅定法尼]。天正7年8月29日(1579・9・29)、38才没。父は関口親永、母は今川義元妹。



築山の墓は戦災で焼失し、昭和53年四百年忌に復原されたもの。

左手に家康の異父弟松平源三郎康俊の墓もある(=写真)。天正14年4月3日(1586・5・21)没。裏面に[松平大蔵少輔源勝以これを造立す]と刻む。



残念ながら中島登の墓天林寺までは行けなかった。後で調べてみると幕臣の墓があったようで、下調べの不完全さが露呈してしまった。見つからなかった、足を伸ばせなかった幕臣の墓とともにまたの機会に訪れたい。

西来院から浜松駅に戻る途中の中華料理店で昼食をとった。あまりの値段の安さに驚いてしまったが、頼んだチャーハンは肉や玉ねぎがゴロンと入っていて黒っぽく、チャーハンというよりヤキメシという感じであった。

最後に西郷局が生母である徳川二代将軍秀忠の産湯の井戸を訪ねた(=写真。遠州鉄道「遠州病院」駅入口左手)。ここから西に五百メートルのところが産湯の井戸と解説があるのになぜか井戸があったから、復元なのだろう。また、浜松城内という説もあると案内板に記載されていた。



静岡県西部の幕臣墓は中々足を運べずにいるが、最初に挙げた前田著書に載っていても墓が見つからないところがあり、刊行から年月も大分経過しているため、機会を見つけて少しずつ確認していきたい。
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第17回巡墓会「護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会Part.2~徳川の復権と大陸をめぐる近現代の群像~」開催のお知らせ

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探墓巡礼顕彰会では昨年11月に約5年ぶりに巡墓会を再開いたしました。
今年5月には新型コロナウィルスも5類感染症に移行し、コロナ以前の生活に戻りつつあります。
このような世間の動向を鑑みて、昨年に続き今年も巡墓会を開催することといたしました。
昨年同様、コロナ対策を行いつつの開催となりますので、人員調整のため、当申し込みフォームにて参加の受付をいたします。

以下、開催要項と当日の注意点をよくご覧いただき、内容にご了承いただけましたらお申込みください。
申し込みは1回につき1名様のみとなります。

以下、開催要項と当日の注意点をよくご覧いただき、内容にご了承いただけましたら下記の専用フォームからお申込みください。
受付は8月26日(土)20:00から開始となり、定員に達し次第終了となります。

専用申し込みフォーム(8月26日(土)20:00より受付開始)

第17回巡墓会「護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会Part.2~徳川の復権と大陸をめぐる近現代の群像~」申し込みフォーム

申し込みは1回につき1名様のみとなります。

【開催要項】
「護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会Part.2~徳川の復権と大陸をめぐる近現代の群像~」

・テーマ:幕臣など徳川にゆかりが深く、また大隈重信などその復権に力を尽くした人物を取り上げるとともに、再来年の昭和100年を期して日本近現代史の中で特に中国大陸を巡って護国寺・雑司ヶ谷に眠る人物たちが果たした役割を探ります。朝ドラ「らんまん」の主人公のモデルになった牧野富太郎の出身地高知県高岡郡佐川町ゆかりの人物や昨年の巡墓会に引き続き来年新一万円札となる渋沢栄一と関わった人物も取り上げます。

・開催日:令和5年(2023)9月30日(土)
・集合場所:護国寺入口
(東京メトロ有楽町線護国寺駅1番出口徒歩2分)







※仁王門を入ってすぐ右側のベンチ周辺が集合場所です。

・案内:加藤健太郎、金子千滋(探墓巡礼顕彰会幹事)
・参加費:2,000円
・受付時間:12:30~13:00
・開催時間:13:00~16:30(途中休憩有り)
・懇親会:17:00~ JR池袋駅前予定(コロナの状況により中止の可能性あり)

【当日の注意点】
・マスクの着用は各自の判断にてお願いいたします。また、当日朝に検温を行い、37.5℃以上の熱があった場合は参加を見合わせてください。
・巡墓中は人と人の間隔を空け、密になるのを避けながらの移動をお願いいたします。
・墓域内への立ち入りができない墓所もありますので、その場合は塀外・柵外からの拝観となりますのでご了承下さい。
・墓地内は一部、足下が悪い場所がありますのでお気を付け下さい。傾いた墓碑や石灯籠には近寄らないで下さい。
・ゴミ等はお持ち帰り下さい。
・体調が悪くなった場合は幹事にお申し出下さい。
・蚊が多い可能性がありますので、苦手な方は虫除けスプレー等対策を各自でお願いします。
・大きな地震が起きた際は、墓碑や石灯籠が倒壊する恐れがありますので、速やかに離れて下さい。
・急な天候の変化によって中止する場合がありますのでご了承下さい。
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第17回巡墓会「護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会Part.2~徳川の復権と大陸をめぐる近現代の群像~」開催が明後日に迫りました

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会員のカネコです。
8月25日に告知しました第17回巡墓会「護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会Part.2~徳川の復権と大陸をめぐる近現代の群像~」の開催が明後日30日(土)に迫りました。

開催要項・当日の注意点は告知時に掲載しましたが、天気予報では30日(土)の気温が30℃前後の予想となっており、参加者の皆さまにおかれましては特に「暑さ対策」を念入りに行った上でお越しいただければと思います。具体的にはスポーツドリンク等飲み物、タオル、冷却グッズ等をご準備いただければと思います。
また、長時間歩きますので、歩きやすい靴・服装でお越しください。場所によっては蚊が多い場所もありますので、苦手な方は虫よけスプレーの準備もお願いいたします。

当日の巡墓人物も確定いたしましたので、事前に発表いたします。

[護国寺]
深尾重孝 植物学者牧野富太郎を育んだ佐川のお殿様、土佐藩首席家老の家系
田中光顕 近藤勇を尊王攘夷の志士と認める、土佐藩首席家老深尾家臣、内閣書記官長、宮内大臣
大隈重信 第8,17代内閣総理大臣、西暦導入者、幕臣小栗忠順復権に尽力、徳川慶喜回顧録を寄稿
大倉喜八郎 大倉財閥の設立者、「死の商人」か否か、教育・文化事業にも貢献
富田鉄之助 第2代日銀総裁、多摩を東京に編入した東京府知事、実業家、教育者、勝海舟門下生
伊達順之助 大陸を駆け抜けた「独眼竜」の末裔
服部宇之吉 昭和天皇の漢学の師、義和団事件の目撃者
益田孝 渋沢栄一の盟友、三井物産初代社長、千利休以来の茶人
[雑司ヶ谷霊園]
押川方義 「はね駒」松浪先生のモデル、東北学院創立者、キリスト教伝道者からアジア主義者へ
成瀬仁蔵 「あさが来た」成澤先生のモデル、日本女子大学創立者
ジョン(中浜)万次郎 幕臣、土佐藩士、祖国で捕鯨を夢見た漢、米国を伝えた初めての日本人
松平忠政 徳川慶喜側室新村信兄、形原松平家第9代当主
落合直澄 国学者
中村是公 夏目漱石の親友、南満州鉄道総裁、後藤新平の片腕
東條英機 第40代内閣総理大臣、陸軍大将、A級戦犯絞首刑者
村山鎮 慶喜に仕えた幕臣にして幕府役職の証言者、茶業功労者

このほか、護国寺の報国六烈士碑や音羽陸軍埋葬地もご紹介します。

あと1名参加者枠が空いていますので、ご参加できる方は以下よりお申込みください。
専用申し込みフォーム(9月29日(金)22:00受付終了)

第17回巡墓会「護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会Part.2~徳川の復権と大陸をめぐる近現代の群像~」申し込みフォーム

申し込みは1回につき1名様のみとなります。

以下改めて開催要項・当日の注意点となりますので、ご参加予定の方はご確認ください。

【開催要項】
「護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会Part.2~徳川の復権と大陸をめぐる近現代の群像~」

・テーマ:幕臣など徳川にゆかりが深く、また大隈重信などその復権に力を尽くした人物を取り上げるとともに、再来年の昭和100年を期して日本近現代史の中で特に中国大陸を巡って護国寺・雑司ヶ谷に眠る人物たちが果たした役割を探ります。朝ドラ「らんまん」の主人公のモデルになった牧野富太郎の出身地高知県高岡郡佐川町ゆかりの人物や昨年の巡墓会に引き続き来年新一万円札となる渋沢栄一と関わった人物も取り上げます。

・開催日:令和5年(2023)9月30日(土)
・集合場所:護国寺入口
(東京メトロ有楽町線護国寺駅1番出口徒歩2分)







※仁王門を入ってすぐ右側のベンチ周辺が集合場所です。

・案内:加藤健太郎、金子千滋(探墓巡礼顕彰会幹事)
・参加費:2,000円
・受付時間:12:30~13:00
・開催時間:13:00~16:30(途中休憩有り)
・懇親会:17:00~ JR池袋駅前予定(コロナの状況により中止の可能性あり)

【当日の注意点】
・マスクの着用は各自の判断にてお願いいたします。また、当日朝に検温を行い、37.5℃以上の熱があった場合は参加を見合わせて下さい。
・巡墓中は人と人の間隔を空け、密になるのを避けながらの移動をお願いいたします。
・墓域内への立ち入りができない墓所もありますので、その場合は塀外・柵外からの拝観となりますのでご了承下さい。
・墓地内は一部、足下が悪い場所がありますのでお気を付け下さい。傾いた墓碑や石灯籠には近寄らないで下さい。また、地震が起きた際は、墓碑や石灯籠が倒壊する恐れがありますので、速やかに離れて下さい。
・ゴミ等はお持ち帰り下さい。
・気温が高い場合はこまめに水分補給を行ってください。またなるべく日陰にて解説をお聞き下さい。
・体調が悪くなった場合は幹事にお申し出下さい。
・蚊が多い可能性がありますので、苦手な方は虫除けスプレー等対策を各自でお願いします。
・急な天候の変化によって中止する場合がありますのでご了承下さい。
・一般の歩行者の方や、墓地内の墓参の方の妨げにならないよう、幹事メンバーの引率に従っての移動をお願いします。また、少人数の幹事での運営となり、参加者の中にはご年配の方・お子さまもおり、車の往来が多い道もありますので、なるべく引率のお手伝いもお願いします。
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第17回巡墓会「護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会Part.2~徳川の復権と大陸をめぐる近現代の群像~」無事終了しました

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会員の会員のカネコです。
本日9月30日(土)第17回巡墓会「護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会Part.2~徳川の復権と大陸をめぐる近現代の群像~」を開催しました。
護国寺・雑司ヶ谷霊園に眠る近現代を駆け抜けた計16名の人物のお墓をご案内しました。
日中の気温が30℃に迫る中、参加者22名(講師含む)の方にお集まり頂き、無事に終了することが出来ました。ひとえにご参加いただいた方々ひとりひとりのご協力によるもとの感謝いたします。
『探墓巡礼』の出版社である風狂童子の代表杉﨑忠博様、『探墓巡礼』のプロデューサーで古写真研究家の森重和雄様にもお越し頂き、開会式でご紹介いたしました。
ご参加いただきました皆さまに改めて御礼申し上げます。

「護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会Part.2~徳川の復権と大陸をめぐる近現代の群像~」にて解説した人物は以下の通りです。

[護国寺]
深尾重孝 植物学者牧野富太郎を育んだ佐川のお殿様、土佐藩首席家老の家系(加藤)
田中光顕 近藤勇を尊王攘夷の志士と認める、土佐藩首席家老深尾家臣、内閣書記官長、宮内大臣(加藤)
大隈重信 第8,17代内閣総理大臣、西暦導入者、幕臣小栗忠順復権に尽力、徳川慶喜回顧録を寄稿(加藤)
大倉喜八郎 大倉財閥の設立者、「死の商人」か否か、教育・文化事業にも貢献(金子)
富田鉄之助 第2代日銀総裁、多摩を東京に編入した東京府知事、実業家、教育者、勝海舟門下生(加藤)
伊達順之助 大陸を駆け抜けた「独眼竜」の末裔(金子)
服部宇之吉 昭和天皇の漢学の師、義和団事件の目撃者(金子)
益田孝 渋沢栄一の盟友、三井物産初代社長、千利休以来の茶人(金子)
[雑司ヶ谷霊園]
押川方義 「はね駒」松浪先生のモデル、東北学院創立者、キリスト教伝道者からアジア主義者へ(金子)
成瀬仁蔵 「あさが来た」成澤先生のモデル、日本女子大学創立者(金子)
ジョン(中浜)万次郎 幕臣、土佐藩士、祖国で捕鯨を夢見た漢、米国を伝えた初めての日本人(加藤)
松平忠政 徳川慶喜側室新村信兄、形原松平家第9代当主(加藤)
落合直澄 国学者(加藤)
中村是公 夏目漱石の親友、南満州鉄道総裁、後藤新平の片腕(金子)
東條英機 第40代内閣総理大臣、陸軍大将、A級戦犯絞首刑者(加藤)
村山鎮 慶喜に仕えた幕臣にして幕府役職の証言者、茶業功労者(加藤)

このほか、護国寺の報国六烈士碑や音羽陸軍埋葬地もご案内いたしました。



朝ドラ「らんまん」ロスの中、牧野富太郎出身地の殿様深尾重孝からはじまり、幕臣村山鎮まで、約3時間40分の巡墓会となりました。

時間の関係で詳しく解説できなかった部分も多々ありますが、参加者の皆さまには配布資料を後日ご覧いただければと思います。資料には略歴のほかエピソード、墓碑銘、関連墓情報、家紋名を入れております。附録の系図も合わせましてお読みいただけますと嬉しく思います。

今回のコンセプトは護国寺が徳川家ゆかりの寺院であることを起点とし、明治維新後に徳川家が復権していく過程で影となり日向となって動いた人物、徳川慶喜復権に尽力した渋沢栄一と深い親交があった人物、さらにこれらの人物が大陸へ向かった人物たちと関係があったことなどを踏まえ、人選をしていきました。
また、2年後の2025年が昭和100年という節目の年であり、これを踏まえ今まであまり取り上げなかった昭和の人物の代表として加藤さんが東條英機を取り上げました。これは当会にとって新たな挑戦になったように思います。

私個人としては今まであまり取り上げられなかった、両親の故郷二本松出身の人物を取り上げ、報国六烈士の脇光三、服部宇之吉、主人公の一家が二本松出身という前提で脚本された朝ドラ「はね駒」に登場した松浪先生のモデル押川方義を紹介できたことが大きな喜びであります。

当会ではコロナ禍後、久々の開催となった昨年の谷中霊園巡墓会を開催し、2年連続の開催ができました。
まだまだ、コロナ禍後のイベント開催については手探り状態ですが、参加者の皆さまのご協力のおかげで、持続的な開催が可能になりつつあります。
運営に対するご理解・ご協力に改めて感謝申し上げます。

今後も当会の巡墓会が歴史愛好家・研究家・掃苔家の方などさまざまな方たちの交流の場になることを願っております。
来年以降もコロナ等社会の情勢や、運営者の状況を踏まえながら企画を立てることができればと思っております。

引き続き当会へのご支援・ご指導・ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。
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【ご紹介】講演「上野彰義隊墓所の沿革―墓守代々と所有の史資料から」

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昨日開催の「護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会Part.2」にご参加いただきました彰義隊子孫の会事務局の大藏様より、下記講演会のご案内がありましたので、掲載いたします。

講演タイトル:上野彰義隊墓所の沿革―墓守代々と所有の史資料から 
演者:小川潔(小川興郷=椙太の子孫)『上野彰義隊 墓守の伝承(地湧社・2022年)』著者

司会:彰義隊子孫の会事務局 桑野範久
日時:10月7日(土)午後1時10分から 講演1時間半、質疑30分

場所:JR上野駅前の東京文化会館・中会議室1(定員40名)
会費:会議室使用料1500円の参加人数割(端数切り上げ)

詳細につきましては下記彰義隊子孫の会事務局にお問い合わせください。

彰義隊子孫の会

函館の平沼久美子さんご逝去

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去る2月19日(日)函館にお住いで、当会も大変お世話になった平沼久美子さんがご逝去されました。

平成21年(2009)当会発足時のころから釣洋一先生のお店春廼舎や新選組関係のイベントでお会いすることが多く、平成22年(2010)に開催した当会主催の護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会にもご参加いだきました。
いつも明るくお声かけいただいたことが今でも思い出されます。

平沼さんは埼玉県のご出身でしたが、平成24年(2012)5月に函館へ移住しました。土方歳三・榎本武揚や函館の歴史に魅了され、移住したとのことでした。その熱い想いに心打たれたものです。

函館や江差での熱心な歴史活動については時折耳にしていましたが、長年にわたり地域の活性化にご尽力されてきたことに敬意を表します。

平成24年(2012)の函館移住後も、翌年6月に行われた市ヶ谷での釣先生傘寿を祝う会へもお越しになっていたり、親しくお声かけいただいたことをよく覚えています。

平成30年(2018)流星忌開催の折には、函館での広報にご尽力いただきました。この時、運営幹事メンバーで宣伝や『探墓巡礼』の販促用に名刺を作成したのですが、平沼さんも是非函館で宣伝をしたとのことで、名刺を作りたいとご連絡があり、お送りしたことが大変印象に残っています。
その後も、函館での『探墓巡礼』の販促に大変ご尽力いただきました。

昨年6月、私が函館の碧血碑碑前慰霊祭に参加した折に久々にお目にかかることができ、お互い再会を喜び合いました。
勝手ながら函館営業部長とお呼びしていたのですが、この時に御礼を伝えられたことが、今となってはせめてもの救いであったように思います。

あんなにお元気だった平沼さんの突然のご逝去は、いまだに信じられません。
これからまだまだご活躍の場面があったかと思うと、残念な気持ちを拭い去ることができません。

平沼さんの土方歳三・榎本武揚や函館への熱い想いはいつもまでも私たちの心の中で生き続けることでしょう。
平沼さんのあの日の笑顔は忘れられません。
改めて当会活動へご尽力いただきましたこと、御礼申し上げます。

あまりにも突然のご逝去で、ご家族・関係者の皆さまには深い悲しみの中におられることとお察しいたします。
謹んでお悔やみ申しあげますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。

令和5年2月21日

探墓巡礼顕彰会幹事 加藤・金子・黒坂
(代表金子筆)

新年のご挨拶

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会員のカネコです。
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

昨年は9月に第17回巡墓会「護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会Part.2~徳川の復権と大陸をめぐる近現代の群像~」を開催し、コロナ明け2年連続で巡墓会を開催することができました。
開催にあたってはカトケンさんと二人で数回にわたり下見を行いました。
コロナ後ともあり人が密集しないような配慮、気候変動により高温も予想されたので、木陰の状況や休憩地点の確認、歩きやすい道の確認等々、安全な運営のために確認と意見交換を重ねました。
またまだ手探り状態ではありますが、2年連続で巡墓会を開催できたことは、私たちにとって大きな自信となりました。
これもひとえにご参加いただきました皆さま一人一人のご協力によるものと感謝しております。

昨年の「護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会Part.2~徳川の復権と大陸をめぐる近現代の群像~」は2010年に開催した「護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会」以来、13年ぶりの護国寺・雑司ヶ谷霊園での開催となりました。
当時はまだ、当会結成2年目で、第2回目の巡墓会でした。人選も講師がそれぞれ好きな人物を選ぶという方法でしたが、今回はここ数回の巡墓会の路線を引き続き、コンセプトを立てて人物選定を行いました。
護国寺が徳川家ゆかりの寺院であることを起点とし、明治維新後に徳川家が復権していく過程で影となり日向となって動いた人物、徳川慶喜復権に尽力した渋沢栄一と深い親交があった人物、さらにこれらの人物が大陸へ向かった人物たちと関係があったことなどを踏まえ、人選をしていきました。それらを集約したのが「徳川の復権と大陸をめぐる近現代の群像」という副題でした。

コンセプト巡墓会を開催して改めて確認したことは当会の名称にある「探墓」「巡礼」「顕彰」という3つのキーワードです。特にコンセプト巡墓会においては「顕彰」の部分が重要であると認識しました。
つまり、埋もれた人物にいかに光を当てるか、知られている人物でも従来の人物像と違った側面に光を当てることができるか、といったことがこのコンセプト巡墓会の要になると思いました。
人物不在の「探墓」「巡礼」ではあってはならいと思いました。
もちろんこの3つのキーワードのどれか一つも欠けてはなりませんので、「探墓巡礼顕彰会」の名称の通り、三位一体となる活動を常に心がけていきたいと改めて決意しました。

次回以降もコンセプト巡墓会を企画して行きたいと思います。
新生探墓巡礼顕彰会を今後ともよろしくお願いいたします。

昨年は当会発足時より応援いただいていた函館の平沼久美子さんのご逝去など悲しいこともありました。
思い返せば、当会発足から現在に至るまで、さまざまな方に支えられて活動を続けてきました。
今までに関わったさまざまな方の想いを受け継ぎ、「恩」を忘れることなく、励んで参りたいと思っております。

私個人としては、前年に引き続き仕事が多忙のため、なかなかプライベートの歴史研究に時間を割けずにいますが、その中でも昨年は朝河貫一生誕150年、河野広中没後100年という記念の年でしたので、福島県中通りでの企画展やシンポジウムに行くことができ、ライフワークである二本松を中心とした福島県の郷土史研究を深めることができました。
また、渋沢栄一の命日「青淵忌」で渋澤家のご子孫と言葉を交わすことができたことも思い出深いものとなりました。
二本松藩士のご子孫、さまざまな分野の有識者の方々とも交流ができ、これまでお付き合いがあった同好の方ともより深い交流を重ねることができました。

今年はこれらを糧にして、探墓巡礼顕彰会の活動とは別に、新たなプロジェクトへ向かいたいと構想を練っています。

本年が皆様にとって良い一年になることを祈念いたします。
引き続き、当会へのご支援ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
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新年のご挨拶

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会員のカトケンです。

大変遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

元旦から能登半島地震が起こり、未だ生存が確認されていない方がおられる状態で、寒い季節であるだけに大変心配です。被災を余儀なくされた方々に心よりお見舞い申し上げます。

昨年は再開後2回目となる巡墓会を9月30日に護国寺・雑司ヶ谷にて開催し、たくさんの方にお越しいただきまして、ありがとうございました。

明治、大正、昭和を生きた人が幕末を回顧したり、顕彰したりしたとき、旧幕府側をどう取り上げたか、また評価が定まっていない現代の人物、特に大陸との関わりを意識して取り上げてみました。

朝ドラ「らんまん」のモデルになった牧野富太郎にあやかり、出身地のお殿様で土佐藩筆頭家老の深尾家やジョン万次郎など「土佐モノ」にも触れる機会を得られました。

今年もカネコ幹事と下見をしながら企画していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

さて、昨年暮れの週末を使って港区麻布十番に善福寺と福泉寺を訪ねた。善福寺は安政6年6月3日(1859・7・2)、最初の米公使館として幕府の命を受けた場所である(=写真)。





目的は福澤諭吉の三女俊の婿清岡邦之助の墓が無いか確認することだった。父は武市瑞山率いる土佐勤王党の捕縛に対する助命嘆願のため、安芸郡野根山に挙兵し、処刑された道之助。

母は遺児邦之助を女手一つで慶大へ入れ、福澤の娘婿にまで育て上げた人。この人の兄が、土佐出身で昭和初期の総理大臣濱口雄幸の養父義立という関係。青山霊園で濱口を取り上げるときに一族である清岡邦之助に触れたいと考え足を運んでみたが、残念ながら徒労に終わった。

福澤夫妻の墓は本堂左手の墓域を入ると右側にある。その間に越路吹雪と岩谷時子の碑があった。

また墓域の上の方には評論家しまねきよしの墓もある(浄土真宗本願寺派、麻布山。港区元麻布1−6−21)。

さらに福泉寺に江戸後期に代官を務めた中村八大夫知剛の墓を訪ねた。教会のような造りの本堂を右手に進み、裏手の墓域に出ると壁に沿った中央手前寄りにあった。

正面に[真實院釋顯誠居士]と戒名を、左面に[俗名 中村八大夫 享年九十七/天保十四癸卯(異体字)三月二日卒(1843・4・1)]と没年を刻む(=写真)。家紋は丸に六角に花菱だろうか。





『探墓巡礼ー谷中編』で取り上げた箱館戦争に参戦した松岡盤吉の父正平が、江川坦庵に仕える前に中村代官の手代をしていた関係から見たかったのだが、松岡家がどこから来たかそこから先は未探究。中村代官は伝馬町代官を務めていたため、韮山に来る前に松岡家が江戸にいたことは確かである(浄土真宗本願寺派、港区南麻布1−6−7)。

帰りに善福寺に向かう途中、気になった喫茶店に立ち寄り、レトロな雰囲気を堪能した。マスターが一人で切り盛りしている昔ながらの店といった感じで、レモンが上に乗ったベイクドチーズケーキをコーヒーとともにおいしくいただいた。

夏に母と横浜スタジアムに野球観戦に行ったとき、中華街のはずれにあったレトロな喫茶店の雰囲気をここでも再び味わうことができた。横浜の方は女主人が切り盛りしていて、アイスコーヒーがとてもおいしかった。

昨年は9月に中学OBの合唱がようやく実現し、恩師や同窓の人たちと旧交を温めることができたり、正月も同級生と2年ぶりの再会ができ静岡市の歴史散策を楽しめたりと、書くべきネタは尽きなかったのだが、筆不精がたたって逐一報告ができなかったことを悔いて、今年も新たな気持ちで投稿できたらと思う。

何はともあれ、本年もよろしくお願いいたします。
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久々の京都①2人の中井と第18回山南忌

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会員のカトケンです。

今年もやって参りました都入り。11時に着くや否や自転車を借り、西洞院通りを北上。五条を右に折れ、高倉通りを上ると浄土宗、常照山、長香寺がある。



昨年、山南忌の前に少し見た大工頭中井大和守正清の墓所である。徳川家康に仕え、城閣や神社仏閣、天皇の住まいなどの建築も手掛けた人物として知られている。

本堂に背を向けて墓地に入ると、右手に中井家墓地がある。そのいちばん大きな墓がてっきり正清のものかと思い込んでいたら、裏面に諱が[正に行人偏に追うのツクリ]とあった(息子正侶のことカ)。これでは正清とちゃう。



困ったと思っていたところ、ふと中井家の反対側(すなはち入口から墓域に向かって左手)を見たら、水鉢に「中井」と刻まれ、墓域の中で最も大きな墓があった。

正面[宗徹道意]、左面[運譽妙慶]、右面[宗譽浄慶]と刻まれ、裏に回ってみると、ありました×2。

1年何をやっていたのかとホトホト自分がイヤになるが、見つかって良かったーー裏面に[中井大和守橘朝臣正清/元和五年(割書=己未)暦正月廿一日(1619・3・7)]と刻む。

3基並んでいて(=写真)、向かって左が正清、中央は不明(正面[仰譽誓雲])、右が[中井大和守内儀/(省略)/元和三(割書=丁丑)暦十月十五日(1617・11・13)]と刻む。内儀とは夫人とか妻の意味である。正面[深譽仰誓]、左面[専譽妙西]、右面[急譽西運]であった。



なお、省略部分は[當六親唱(土偏)進菩提]と読めるが意味不明。

そこから至近の因幡堂・平等寺をお参りして(=写真)、万寿寺通を東へ。珍しい、趣のある建物がたくさんあり、途中車が通れないほど狭くなっていったところの古い建物にも感心したものだ(=写真)。





そこから高瀬川に出るとこれまた雰囲気のある場所や建物に出会い(=写真)、夢中で写真を撮ったーー旧五条通である鴨川にかかり擬宝珠を擁する松原橋を渡って(=写真)、宮川町を北へ折れると木の扉に赤く丸い提灯がぶら下がる置屋がずっと続いていて、タイムスリップしたように風情がある場所であった。





途中、白川にかかる大和橋を越えて、新橋通から縄手通りに出る辺りに寄った(=写真)。ここが慶応4年(1868)2月に英国公使パークスが襲われたところである。



護衛の後藤象二郎は奮戦、中井弘は負傷。その中井の銅像が円山公園地下駐車場の上にあるか確認しに来たのだ(=写真)。



京都府五代目知事(当時は県令だろう)で、円山公園というより、もうほとんど八坂神社の左奥であった。樹木に囲われて昼でも暗く、あまり人気がない地味なところであった。

これでは交流があったとはいえ、坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像に比べて目立たないであろう。

そこへ来る前に通った新橋通の歴史的景観保存地区は、宮川町の置屋群とともに長らく知らなかったところで目を見張った(=写真)。



自分で言うのも何だが、今まで余りにも観光地に寄らな過ぎであっただろう。巽橋は知っていたが、そのすぐ反対側の新橋通はノーマークであった。

ところで、中井弘は実は土佐の人と関係が深い。先ほどの後藤象二郎や坂本龍馬のみならず、以前このブログでも書いた片岡直温がそうだ。昭和恐慌時の大蔵大臣として有名だが、中井が滋賀県令のときの部下で、『回想録』に中井の逸話を載せている。

また中井は東京駅で暗殺された原敬総理の岳父でもある。墓は京都洛南の東福寺といふがまだ見ていない。

中井の胸像を見て目的を果たしたので、あとは好きなところをちょろっと回って京都駅まで自転車を返しに。思いのほか、早く切り上げられたので、そこから京都駅展望台へ。

今まで登ったこともなかった高いところまで行き、抜群の眺めが見られた(=写真)。





そして初日は暮れていったーー
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久々の京都②第18回山南忌と懇親会

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会員のカトケンです。



(阪急烏丸駅にある江戸時代の「洛中洛外図」(高津家本)。令和5年3月11日撮影)

さて、遅くなりましたが、2日目の3月10日はいよいよ山南忌。前夜は早くホテルに戻ったつもりが、結局晩飯に出たのが7時台とあって、案の定夕食難民に。この時期の京都は観光客が多く、八条口側の店もとても賑わって目的の店に入れなかった。

それでも翌朝、ホテルの前の喫茶店の開店を待って、トーストとコーヒーだけのザ・モーニングをいただいて街へ出た。昔ながらの雰囲気に、地元の人と観光客が混じって味わい深い店だった。

翌日友人と1日京都巡りを予定していたので、京都駅のバス乗り場を下見、一日乗車券を求めに売り場に行ったら、バスのみの一日乗車券は昨年販売終了。地下鉄のセットで1,100円だから、5回でモトが取れると親切なご案内。

地下鉄を乗り継いで四条大宮へ。光縁寺に行くと、山南忌講演の汐海珠里さんとサポートの権東品先生と鉢合わせる。汐海さんはよほど緊張していたようだった。権さんはいつもどおり、快活なご様子であった。

本堂裏の墓域へ回ると、名古屋の成木さんにバッタリ。少し立ち話をして、また懇親会でと一旦別れ、墓参(=写真)。



山南敬介や大石酒造蔵、他の隊士たちの墓参にひっきりなしに人が来るため、お寺の方が忙しく線香を取り替える姿が印象的であった。

本堂に戻って階段を上がり、ご位牌にもお祈りを捧げ、いつもここで案内をしているアライさんと旧交を温める。

通りへ出て、旧前川邸に向かうと、案内の久保さんが来た人を写真に収めていた。少し旧交を温めることができたが、お邪魔にならぬよう、受付を済ませる。

そして切腹の間へ。そこへ至る前の庭がまた素敵である。ここは忙しなく人がひっきりなしに来るが、京都新選組の会の方々がデンと構えて迎えてくださり、案内の若い衆も大変そうだ。

お土産売り場を抜けて、顔見知りの人たちが集まると自然会話が弾む。熊本の佐川官兵衛顕彰会澤田さん、撥雲会の中島さん、佐幕派の穂刈さんなど、甲斐甲斐しくお世話をする田野社長ご夫妻の眼の前で笑いが飛ぶーー

お昼を挟んで12:30開始のため、早めに会場へ。昼前に壬生寺で稽古をしている天然理心流試衛館の有賀さんにお目にかかる。若手を指導されていて、とても忙しそうであった。

会場へ上がると、釣先生がご夫人の春音さんを伴って来ていて旧交を温めた。2週間後に会うのにもかかわらず、余りにも久しぶりだったため、話すこと盛りだくさんであった。

恒例となった演武や舞を終え、汐海さんの講演は、山南の訓みが「やまなみ」か「さんなん」かの提起や最期の考察に焦点を絞ったものであった。「三男啓助」の史料はかつて秋田書店の『別冊歴史と旅』新選組特集で谷春雄さんが発表したものではなからうか。

もう少し聴きたかったなぁというのが、あとで権さんとも話した講演の感想で、早速集まりを企画しようという話になった。

今年は講演の後にも演武が披露され、天然理心流試衛館の皆さんが緊張感のある演武を見せた。残念ながら高鳥館主が飛ぶ柔術の演武はなかったが、様々な方の意見を取り入れて行っていることが後でお話を聞いて分かり、工夫されているなと感じた。

抽選会も様々が品々が贈られた。そんな品物の一つ、谷キョウジさんからのコアラと新選組をかけたグッズがあった。何かと思ったら、多摩動物園にコアラがいるからと日野で谷さんが作らせたお土産だそうで、後ろに座っている谷さんとそんな話をしながら抽選会を楽しむことができた。

懇親会場が変わって不案内の釣夫妻を連れて行くよう田野社長に頼まれたにもかかわらず、恒例の椅子の片づけに夢中になり、ご夫妻を見失ってしまい、四条大宮の駅まで行ったところ田野夫人から電話が…

旧前川邸にいらしたとのことで、案内は久保さんへバトンタッチ。得意なはずの京都案内がとんだ迷宮案内になってしまった。

阪急電車での移動では、残念ながら去年のようにレギュラーメンバーとの再会はなく、それもそのはず、後で聞いたら片割れの1人はお子さんの受験で今年は来られず。やり取りしている年賀状も小弟が転居先を失念して旧住所に送ってしまい、「今年は行けない」とのコメントのただのキャッチし忘れであった。

年齢を重ねると、いろんなボタンの掛け違いが出てきてしまうもの。

そしてお楽しみ懇親会では、司会の影山さんのお祝い、釣先生が今年90歳を迎えるお祝い(=写真)など嬉しいことが続き、新徳寺の山田和尚や京都文化博物館の西山さんから転居先の有力情報を得られ、大収穫であった。



光縁寺で会った成木さんとは、経団連の会長を務めた植村甲午郎の父が幕臣の子弟で、サッポロビールの前身札幌麦酒会社専務植村澄三郎との話になり、実家に帰る度に読んでいる前田匡一郎著『駿遠に移住した徳川家臣団』に[ビール界育ての親]と書かれていることを思い出して、こういう記述が明治の幕臣を調べる醍醐味と改めて認識できた。

また今年の吟詠はアライさんのリクエストに応えて、頼山陽の「不識庵機山を撃つの図に題す」を行った。上杉謙信から見た川中島の戦いを漢詩にしたもので、[鞭声粛々]から始まる有名なもの。小弟が詩吟を始めるきっかけになった作品だけに感慨深かった。

余り練習する時間が無かったが、とにかくここではいつも暗誦を自身に課しているから、酒が入って記憶が飛ばないか冷や冷やもの。何とか無事終えてほッとひと息アライさんに感想を聞くと、自分でリクエストしていたことをスッカリ忘れていたという落ちであった。

毎年緊張を強いられる懇親会というのはいかがなものかと思うが、今年はちゃんとご挨拶をしたせいか、帰りがけに撥雲会の西村塾頭がお声がけくださったり、いつも山南忌で京都に来る際に宿の手配をしてくださって1月に亡くなった稲畑豊子さんが紹介したいとおっしゃっていたサワさんとお目にかかれたりと、やはり嬉しい、楽しい方が優る会なのである。

帰りがけに一緒になった方ともこの会の雰囲気の良さを分かち合えたーー



(五条大橋の袂にある扇塚。令和5年3月11日撮影)
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第26回土佐史談会関東支部例会のご案内

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会員のカトケンです。
間際のお知らせとなり、大変恐縮ですが、小弟が役員をしている土佐史談会関東支部の例会が5年ぶりに再開されます。

日時は7/6(土)14時から場所は酒菜浪漫亭になります。詳しくは以下の「ご案内」をご覧ください。



写真は、5月に高知へ行った際撮ったもの。柑橘博士田村利親の企画展を自由民権記念館へ見に行きました。



お墓のレポートはまた別の機会にいたします。
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快なり!渋沢栄一新1万円札発行

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会員のカネコです。
本日、渋沢栄一の肖像が描かれた新1万円札が発行されました。

東京タワーではこれを記念して東京商工会議所 主催による「渋沢栄一 新札発行記念ライトアップ」が行われました。
日没頃から栄一ゆかりの「藍玉」をモチーフとした藍色にライトアップされました。



15:00からは東京タワー正面玄関前で、東京商工会議所で渋沢デザインペットボトル水の無料配布が行われていたので、仕事の移動途中に立ち寄りました。




平成31年(2019)4月に新紙幣発行の発表があり、令和への改元をはさみ、9月に2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」の発表がありました。この年、にわかに渋沢栄一への関心が高まったことを鮮明に覚えています。
大河ドラマ「青天を衝け」は栄一の自伝『雨夜譚』のエピソードがふんだんに使われており、栄一周辺の人物も丁寧に描かれていて、私個人としてはとても楽しめたドラマでした。
小学生の頃に「独眼竜政宗」や「太平記」などを毎週日曜日が来るのを待ちわびていた感覚を久々に思い出したものです。

当会では平成30年(2018)に『探墓巡礼~箱館戦争関係人物を歩く~谷中編』を刊行し、その中で渋沢栄一の項を私が担当しました。
渋沢栄一については、かねがね業績に対する知名度が低いと思っており、私は平成23年(2011)に開催した「第4回巡墓会 谷中霊園巡墓会(前篇)」で栄一を取り上げました。
その流れで『探墓巡礼~箱館戦争関係人物を歩く~谷中編』での執筆となり、令和4年(2022)には渋沢とその周辺人物をテーマとした「第16回巡墓会 谷中霊園巡墓会~渋沢栄一とその周辺~」を開催しました。
こうしてみると、渋沢栄一を取り巻く環境はここ数年の間に大きく変化し、感慨深いものがあります。

私が渋沢に強い関心を抱いたのは佐野眞一著『渋沢家三代』(文春新書)でした。刊行は平成10年(1998)でしたが、購入したのは平成17年(2005)頃だったかと思います。


当時はよく近所のブックオフで歴史系の新書を雑多に買っており、何となく手に取って買ったのですが、読み始めるとどんどんとその世界に引き込まれました。
『渋沢家三代』というタイトルの通り、実業家としての栄一というより、栄一・篤二・敬三三代にわたる家族の物語であり、さらに尾高家や東の家などの親族の描写も詳しく、栄一だけではなく一族の人たちにも魅力を感じました。

平成23年(2011)の巡墓会の前年に初めて血洗島へ行き、渋沢栄一記念館・中の家・渋沢家墓所・尾高家・尾高家墓所などを巡り、大変感銘を受けたものです。

令和3年(2021)の大河ドラマ「青天を衝け」にあわせて、栄一の周辺人物を調べ直し、この作業は今も続いていますが、交流関係は政治・経済・教育・福祉と幅広い分野に及び、関係する地域も北海道から九州に及んでおり、栄一の活動範囲の幅広さにいつも圧倒されています。
『青天を衝け』最終回の「大河紀行」では、曾孫の渋沢雅英氏が「スケールの大きなね、守備範囲の広い、信じられないような活動家でしたよね。」と語っていましたが、正にこの言葉に栄一の生涯が凝縮されていると思います。

今回の新1万円札の発行を機にさらに栄一の業績が広く知られることを願うとともに、私も引き続き、栄一とその同志たちの掘り起こし作業を続けたいと思います。*******************************************************************★ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』のご注文は下記フォームよりお申込みください。
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第26回土佐史談会関東支部例会無事終了

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会員のカトケンです。

令和6年7月6日(土)午後2時から第26回土佐史談会関東支部例会を催し、つつがなく終了した。

例会の開催は実に5年ぶり。新型コロナウイルスの蔓延と前支部長鍋島高明氏の逝去によりずっと開催できなかったものだ。

昨年度から理事の皆さんの協力を仰ぎ、新たな仲間を増やして少しずつ準備を進め、例会が開ける態勢を整えてきた。

5月には土佐史談会本部総会に出て、毎年欠かさず関東支部への助成金を計上してくださったお礼を申し述べた。

平成17年関東支部の創設以来14年続けてきた例会を閉ざしてはいけないと、講演依頼と本部からの出張依頼をお願いしてきた。

およそひと月前から残されたEメールと会員名簿を頼りに告知を行った。

幸い、例会参加者22名・懇親会参加者19名を得て、盛会のうちに終わった(=写真)。


参加者が一体となって名残惜しく、なかなか解散できないほどだった。

1人目の講演は、吉川栄一さんに関東高知県人会(当時は土佐一木会)を立ち上げた山地土佐太郎の生涯を丁寧に説明いただいた。

冒頭、新しくお札になった人と同じ名前との自己紹介が参加者を和ませた。

山地が事業転換を絶妙なタイミングで行って実業家として生き延び、ブラジルに行ってたくましい馬に出合って馬に目覚め、事業の傍ら日本の馬を育てるべく陸軍の協力を得て摂政宮(昭和天皇)が乗馬服で出御される全国乗馬大会ご成功裡に催されたことなどが語られた。

2人目の講演は、はるばる土佐清水から田村公利土佐史談会本部副会長が駆けつけてくださり、ジョン万次郎が幼い頃の中浜村の様子、社会経済的な背景が分かるお話をされた。

なぜ万次郎が土佐清水から離れた宇佐浦から船出したのか、万次郎とともに漂流した漁師たちの名前を言えるかなどの基本的な問いかけが参加者をハッとさせた。

私たちは万次郎について如何に知らないか、根本的な情報のなさを思い知らされた。

帰国後の万次郎ばかり取り上げられるが、漂流前の万次郎の置かれた環境の研究が足りないという問題提起はとても新鮮であった。

また、田村副会長は関東支部への力強い応援をくださり、今後我々の活動へ後押しをいただいた思いである。

懇親会では参加者1人ひとりが土佐への思いや歴史への憧憬を語り、賑やかにかつ和やかな会となった。

このような会を開けたのはひとえに講演者と参加者、理事各位のご協力の賜物であり、ますます楽しめる会を催していくため、気を引き締めなければとの思いに駆られた。

今後も皆様のご指導やご助言を仰ぎながら支部長を続けていきたい。*******************************************************************★ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』のご注文は下記フォームよりお申込みください。
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最近の個人活動について

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会員のカネコです。
2009年の探墓巡礼顕彰会発足以来、歴史関係の活動は探墓巡礼顕彰会を中心に行っていましたが、数年前より活動の幅を広げるべく模索を続けていました。
当会幹事のカトケンさんは早くから釣洋一先生主宰の江戸史談や土佐史談会関東支部での講演を行っており、そんな彼の姿を見て羨望の眼差しを向けていました。そのほかにも各種の団体のお手伝いをしている話をよく聞いていました。
彼は自分が目立とうとせず裏方に徹し、地道に活動を続けていました。
私も及ばずながらその姿勢に学びながら、さまざまな団体と関係を持ちました。

まず、私のライフワークである福島県二本松市の郷土史研究においては、藩主丹羽家のご当主丹羽長聰様よりお誘いを受け、2010年から丹羽様が会長を務める東京二本松会に入会しました。
東京二本松会は二本松市出身者・縁者で構成される郷友会ですが、藩士のご子孫がいたり、会報に歴史系の記事が掲載されるなど、私の活動に大いに資するものがありました。
東京二本松会では会報に数回寄稿し、2019年からは役員として会報編集に携わることになりました。

東京二本松会の総会で二本松少年隊の生き残りで自由民権運動家となった平島松尾のご縁者の方とお会いしたご縁で、平島松尾顕彰会にも入会し、さまざまな情報を得ることもできました。

また、お墓以外に重点を置いている系図研究の分野では家系研究協議会と日本家系図学会に入会し、総会や例会などにお邪魔しました。

これらと並行する形で、2014年から副業でご先祖調査会社の調査員としての活動もはじまり、2022年春にはこの仕事を本業として1本化しました。
昨年はこの仕事の方で目黒学園カルチャースクールでオンライン講座「ファミリーヒストリーを調べよう~実践的な調査方法を学ぶ~」の講師を務めました。
また、同年には日本青年会議所石材部会よりお声かけをいただき、7月に開催された通常総会にて「参拝者から見たお墓の特性~過去から未来へのヒントを探る~」と題した講演を行いました。

今年は昨年の東京二本松会でご縁をいただいた早稲田大学名誉教授安在邦夫先生の推薦をいただき、福島県石川町で活動している福島自由民権大学の講座での講師を務めることになり、5月に郡山市郡山中央公民館で行われた福島自由民権大学春季講座で「二本松・三春の民権運動家群像~民権運動家の墓所を訪ねて~」と題した講演を行いました。


安在邦夫先生は二本松市(旧安達町)のご出身で、自由民権運動研究の第一人者です。以前も平島松尾顕彰会の柳渓忌で同席したことがあったのですが、その際は雲の上の人という感じでお声かけできませんでした。その後、先生のご著書『左部彦次郎の生涯』に感銘を受け、昨年の東京二本松会の折にサインをいただき、私が『歴史研究』に連載している「二本松掃苔録」のコピーをお渡ししたところ、思いがけずお声かけいただきました。
福島自由民権大学の講演前にも先生が川崎市で講演を行うとのことで、私が調べていた川崎の民権家情報を提供しました。
自由民権運動について私は門外漢ですが、戊辰戦争を生き残った人物の行方を追ううちに平島松尾などの民権家の存在を知り、何人かの民権家のことは調べていましたが、今回このようなご縁をいただき、私が今後活動する上で、大きな課題をいただいたような気がしています。
さらに、今年は家系研究協議会より夏の関東例会の講師の依頼をいただき、当初は会誌への寄稿実績が無かったので、一旦保留にさせて貰ったのですが、再度引き受けて欲しいとのご依頼があり、お受けすることになりました。
そして昨日、かつしかシンフォニーヒルズ別館で行われた家系研究協議会関東例会で「二本松城主畠山氏と二本松藩主丹羽氏の一族と家臣団」と題した講演を行いました。


家系研究協議会での初講演とうことで、いくつかのテーマの中で、やはり自己紹介代わりに最もライフワークとしている二本松のことが良いと思い、畠山氏と丹羽氏の一族・家臣団についての概要解説という内容にしました。
正直詰めが足りないと思う部分がありましたが、ご興味をお持ちいただいたり、逆に課題をいただいたりと、大変有意義な一日となりました。

このように講演をお受けすることで、今まで自分がやってきたことを整理する機会が得られますし、さらにご出席いただいた方々より新たな知見を得られたり、課題をいただいたりすることができ、私にとって大変有り難いことと感じています。

講演のお声かけをいただくことは大変ハードルが高いものだと思いますが、こうしてだんだんとお声かけをいただくようになったのも、それぞれの団体に長く所属して人間関係を大切にしてきたからこそだと思っています。
人生に一発逆転、一獲千金といったことはそうそうないと思います。 「急がば回れ」で地道に続けることでしか結果は得られないものだと思います。
今のところ、仕事も歴史活動も一つ一つこなして行っていますが、ふと不安な気持ちになったり、考え込んで夜に何度も起きることが多々あります。いつまでこの生活を維持できるのだろうか、と。
でも結局、次の日がくれば、正面からこれらの課題に向かって行くしかありません。

朝ドラ「虎に翼」で主人公寅子の恩師穂高重親が寅子へ「佐田君。気を抜くな。君もいつかは古くなる。常に自分を疑い続け、時代の先を歩み、立派な出がらしになってくれたまえ。」という言葉を最後に贈りました。
この言葉は私にも言われているような気がしました。時代の先は歩けないでしょうが、気を抜かず、常に自分に疑いを持ち続けて、自分の中にあるものを出し尽くしたいと思いました。

「築城三年、落城三日」あるいは「築城十年、落城一日」という言葉があります。
長く続けても気を抜いて人からの信用・信頼を裏切ることがあれば、転落するのはあっという間です。
これは実際に起こり得ることです。
改めて日々、緊張感を持って、自分自身の行動・言動を見返しながら、地道に歩んで行きたいと決意いたしました。

なお、「虎に翼」の穂高重親のモデルは渋沢栄一の孫で法学者の穂積重遠です。
穂積重遠については以前、当ブログで著書の『新訳論語』のことを紹介しました。

新年のご挨拶-谷中霊園巡墓会余滴-

「虎に翼」の穂高重親を見て「あれっ、栄一の父にそっくりなような気が・・・」と思った方は大正解です。*******************************************************************★ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』のご注文は下記フォームよりお申込みください。
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2024年巡墓会不開催のお知らせ

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会員のカネコです。
当会では2009年の発足以来、年1~2回の巡墓会を開催してきました。
2019年は巡墓会をお休みし、2020年に再開する予定でしたが、新型コロナウイルスによるパンデミックで2020年・2021年は開催することが困難になりました。
コロナが収束してきた2022年に再開し、2023年と2年連続開催することができました。

今年の年頭の時点では今年の秋頃に開催する予定で、各自構想を練っていましたが、幹事のカトケンさんが4月より関西方面に転勤することになり、今年の開催は困難と判断いたしました。

巡墓会は人物選定や数度にわたる現地の下見、関連人物の史跡確認や資料調査など開催までに数多くの作業があります。
特にコロナ明けの2022年・2023年はコンセプトを重視した内容にすべく、カトケンさんと私とで数度対面して下見や打ち合わせを行いました。
関西への転勤となると、関西と東京を何度も往来せねばならず、万全な準備が困難であるため、今年は無理に開催することはないとの判断に至りました。
巡墓会を楽しみにお待ちいただいている皆さまには大変申し訳ございませんが、ご理解のほどお願い申し上げます。

来年以降の開催についても不透明ではありますが、各自の状況をみながら検討いたしますので、また決まりましたら当ブログにて発表したいと思っております。

先日の記事にもありました通り、現在カトケンさんは土佐史談会関東支部長を務めており、活動の幅を広げてご活躍されています。私も各方面での活動が増えております。
各自、当会以外での活動も増えていますので、皆さまとはまたどこかでお会いする機会があるかもしれません。
皆さまには引き続き、ご支援ご鞭撻をいただけますよう、お願い申し上げます。*******************************************************************★ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』のご注文は下記フォームよりお申込みください。
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